魔王の誘惑
油断をしていたわけじゃない。
ただ、予想外だっただけだ。
何かおかしいとは思っていたけれど、前と変わらない態度に俺は普通に喋っていただけ。
確かに、カルデンツァでの会合が何事もなく終わったから気は抜けていただろう。
神の祝福をささげる、という儀式に関しては魔力の動きは特になく、神子も大した反応はしていなかった。
儀式が終わった直後に何かされないかを警戒していたし、実際訪ねてこようとするのを父と叔父に頼ることで回避して、俺と勇者たちはそのまま魔の森に向けてカルデンツァを出発したのだ。
どこまでが、相手の思惑だったのか。
カルデンツァを出発して、2つ目の街に入った頃、第二師団ともう一度遭遇した。
タクラと話し会いをしに行く決心をしたファティマと、ついて行ったトリスを見送って。
第二師団のメンバーと話し会いに行ったルルリアと、前回の討伐で仲良くなったのか喋りに行ったダイチを見送って。
みゆきを一人にするわけにもいかず、俺とみゆきは同じ宿で待機をしていた。
そこに訪ねてきたのは、オルト。
「久しぶりだな、ユリス」
「なんだ? わざわざ来るなんて」
「前の討伐で会えなかっただろ? アリスが気にしててさ」
「あー…」
首を傾げたけれど、アリスがもう少し気にしてやりなさいよ、なんて喋っていた事が思い出されて。
知らない顔じゃなかったから俺は扉を開けたまま立ち話をした。
オルトの態度は、どこにも不審な処はなくて。
けれど、よく考えたら普通の態度をしていた事に違和感を覚えなければいけなかったのかもしれない。
宿に新しい人物が来たのに気付いたと同時に部屋に押し込まれて。
腕を抑え込まれるのに、時間はかからなかった。
「…な…っ!?」
「悪いな」
喋る口調は平坦で、何の感情も見えなくて。
見上げた先に映るのは、オルトらしくない表情の動かない顔。
顔にすぐ出るオルトらしくない表情に不審に思った瞬間、入ってきた人物からかかる声。
「……こうでもしないと、お話しできないものね…?」
そのまとわりつくような声に覚えがあった。
いや。
ついこの間聞いたばかりのその声に、俺は瞠目する。
「……【神子】…」
「こんにちわ、ユリス様。―――お話、聞いて頂戴?」
吊りあがる赤い口元に、鮮やかな紅の色。
憎悪とも憤怒とも取れるその目の色を見ながら、俺は自分が失敗した事を実感した。
☆
「お土産は受け取ってくれませんでしたのね」
椅子に括りつけられた状態で、俺は神子を仰ぎ見る。
オルトはあれ以降、喋る気配がなく神子の後ろに立っているままだ。
その表情は暗いままで、こちらを見る気配すらない。
「……オルトに何した」
「私は質問したのですけれど?」
「…………」
土産、は恐らくルルリアが持っていた瓶の事だろう。
あれを受け取っていたらどうなっていたか、考えるだけでも恐ろしい。
無言で見返すと、その態度に答えを見たのか神子は肩をすくめた。
「…貴方はいつだって思い通りにはならないのね」
「なってたまるか」
「つれないわ」
ただ上滑りするだけの言葉に辟易すると、オルトが口を開く。
「…あんまり悠長に話すな。時間が足りなくなる」
「あら、ごめんなさい。勇者が戻ってきたら面倒ですものね」
その言葉にダイチが出て行ったのは、彼らの策略と知れる。
そもそもオルトは第二師団でそれなりの期間を働いているわけで、ダイチの動向を掴むぐらいなら造作もなかっただろう。
…オルト自身はうっかり度が飛び抜けているのだが、今のこの態度だとそれも怪しいしな。
「じゃ、手短に話すわ」
「別に俺はもっと悠長でもいいんだがな」
「残念ね、もっともっと時間があれば魅了できるまで頑張るのに」
口を尖らせ、至極残念そうに呟く神子に身震いする。
ダイチ! いいから戻って来い!
こいつら勇者に関しては脅威を覚えてるみたいだから、多分ダイチが帰ってくればなんとかなる気がする。
「ふふ。これなーんだ?」
出てきたのは、小瓶。
ちゃぷりと液体が揺れた先には、黒い靄が相変わらず渦巻いていて気持ちが悪い。
俺が眉をしかめると、神子は何かに気付いたように瞠目した。
「……中身、見えてるの? どういうことよ」
「……」
「まさか貴方が勇者なわけ…?」
答えずにいると、神子はまさかね、と呟いて。
俺に近づいてくる。
「勇者にこれに【魔王の誘惑】が入っていることでも聞いたのかしら?」
「……誘惑…?」
聞き慣れない単語に、思わず神子の顔を見る。
すると神子は嬉しそうに、微笑むと。
顔を近づけてきた。
「そうよぅ…? 人を【堕とす】…そんな、罪を持った魂たちの、残りカスよ」
「で? お前もそれに堕ちたと?」
「―――――――――!」
堕ちる。
そんな言葉に反応して呟けば、神子の態度が激変した。
思わず椅子に座ったまま身を引くが、その前に力任せに蹴っ飛ばされて椅子ごと転がる。
って、痛ー!?
「―――こ、の…ッ」
「おい神子さん。落ちつけって」
「堕ちて何が悪いの!? 誰もかれもが私のせいにするくせに! 私は悪くなんてないのに!!!」
踏みつけにされる趣味はないが地雷を踏んだらしい。
転がったまま上を見上げれば、燃えるような紅の色がさらに激昂したように濃くなっていて。
思わずその色に見惚れると、神子の様子がさらにおかしくなった。
「なんで…なんで貴方は『魔力が使えない』の! 何故勇者でなかったのよ!!! 貴方が勇者であれば、簡単だったのに! 魔力が使えなければ勇者とは認められない、神のお告げに嘘はない、貴方は勇者になれない! 何故! どうしてよ!」
が、っと肩を踏みつけられ呻きが漏れる。
言われてる内容に俺が何故と言いたい。
なんで俺が勇者にならなきゃいけないんだ、何を激昂してるんだこの神子は。
「――――まあ、いいわ」
すとん、と痛めつけられた右肩の横に神子が座り込む。
手に持った瓶の栓を抜き、にこりと笑う顔に寒気を覚える。
「ふふ…この宿に今いるのは、勇者の彼女だけよね…? 楽しみだわ、勇者の絶望する顔を見るのが…」
「な、に…?」
みゆき?
何故ここに、みゆきの名前が…!?
「…みゆきに、何をする気だ…」
怒気が漏れると、神子は本当にうれしそうに、嗤う。
「…あら、期待以上かしら…? 何かするのは私ではないわ、貴方よ…」
「―――!?」
「【魔王の誘惑】は理性を無くさせ、精神を蝕むモノ…。ここまで言えば、鈍い貴方でもわかるでしょう…?」
頤にかかる指に気付かずに、茫然と神子を見上げる。
……まさか。
「私は貴方にこう言うだけでいいのよ…」
口を閉じようとするが、女とは思えないほどの力に口が閉まらず。
近づいてきた顔から眼もそむけられず、俺はただ近づく唇と、その中に飲まれた瓶の中身を見上げていた。
重なる唇に、感じたのは痛み。
しゃらり、と神子の手首についた腕輪が軽やかに音を立てる。
何かに侵食される感触に暴れるが、俺の視界は閉じて行く。
「『―――貴方の想いを遂げなさい。……私と一緒に堕ちて?』」
響く声を最後に、俺の意識は闇に閉ざされた。
<展開すると言った途端にこれだよ!
いつも通りですね。
次話は、視点が変わるため幕間になります。
と言う事で第二の山場デス。何か悲鳴が聞こえそうですが気のせいです多分。
ちなみに内容が内容なので、さくっと3日間連続投稿します。




