依存心と恋心
人の心はままならないと誰が言ったのだったか。
竜は鳥と違って暗がりでもそれなりの動きが出来るため、むしろ遠くまで楽しそうに飛ぶノエルを眼下に認めつつ、俺は溜息をつく。
何から話せばいいのだろうか。
「…兄上は、ファティマさんが好きではないのですか」
「!」
黙りこむ俺をどう思ったか、後ろに座る弟が声をかけてきた。
直球なのはむしろいつも通りか。
弟の表情を見ずに俺は、ただ前を向く。
「友人としては好きだよ」
「恋愛感情ではないと?」
「ああ」
トリスも気づいていたのだろうか。
ファティマが俺を見る目は、恋愛感情だと。
俺とファティマの様子がおかしいのは、そのせいだと。
「…じゃあ、何故そんな顔をされているのですか」
「……なんでだろうな…」
俺にもわからない、のかもしれない。
本当に嫌いなら、断ればいいだけの事なのだろう。
だが、俺は間違ってもファティマという人間が嫌いではないし、好きだと言われて悪い気等はしなかった。
けれど、怖かったのだ。
自分の感情がわからなくなる。
「僕は、人の感情にそんなに聡い方じゃありません」
「トリス」
「でもそんな僕でも、あれはわかりました。彼女の目には、兄上しか映っていないと。彼女が思い続けるのは兄上なのだと、ハッキリわかるほど」
「…っ、そうか…」
手綱を握り締める。
思い浮かぶのは、夕日に向けてこちらを振りかえらないファティマの姿。
あの時、抱きしめながら俺は彼女の顔を見ようとはしなかった。
それは。
「……好きでないのなら、恋人にはなれないとはっきり言っては?」
「言った」
「じゃあ、もう彼女だけの問題じゃないですか。なんで兄上がそんな…」
「そんな?」
「…そんな、傷ついた顔をしているのです、か」
俺は。
傷ついて、いるのか?
何に対して?
「……俺は…」
「本当は、好きなんじゃないんですか? 恋愛として」
「いや」
「本当に? 兄上は、無理をして…自分に嘘をついてるんじゃ、ないん、ですか…っ?」
いやに先を促す弟に違和感を覚えて振り返る。
途中から半分泣き声だと思っていたのは間違いではなかったようで、そこにいたのは、泣きそうな顔をしたトリスだった。
「兄上はいつだって、自分は最後なんです」
「おいトリス」
「自分の事は、いつも後回しで。自分の気持ちも周りの気持ちもわかってないんです!」
「おい…」
だから何故お前が泣くんだと。
ボロボロ涙をこぼし始めるトリスに困惑して、俺が手伸ばすとトリスは首を振った。
「じゃあ、想像してみてください」
「何を?」
「もし僕が、ファティマさんの横にいたらどう思いますか」
「どうって…」
「見つめ合ってたりしたらどう思うか聞いてるんです」
言われるまま想像して見る。
トリスの方が背が高いので、少し顔は上向きになるだろうか。
二人とも造形はいいし、見つめ合ってる状態と言うとちょっと想像しただけでもなんか、恥ずかしい感じになるな。
なんだこれ。
「…お似合い?」
「どうしてそう言う結論になるんですかッ!!」
「いや、想像したまんまを伝えたつもりだけど」
何が言いたいのかわからなくて困惑していると、トリスがようやく落ち着いたのか肩を落とす。
通じてないって気付いたか。
すまん。
「…じゃあ、僕がファティマさんを好きだって言っても、兄上はその感想が出ますか」
「!?」
「僕が、ファティマさんと付き合う事になっても、祝福できますか」
何を言われたのかわからず見返すと、帰って来たのは思ったよりも真剣な目。
…なんだその予想外。
そりゃまあ、3人で旅してたわけだし、ファティマはすこぶる美人で惹かれない事もない、だろう、が。
…試して、いるんだろうか?
「……ああ、出来るよ」
「本当に? ちゃんと、想像できてますか?」
「……」
トリスとファティマがつきあったら?
ファティマはあれで恥ずかしがり屋だけど、きっと俺を見ていた時の様に目は雄弁に語るんだろう。
見つめ合って、それで。
お互いしか見えないほどに、相手の目を見るんだろう。
「…んー、ちょっと、さびしい、かね」
「寂しい…?」
「ああ。だけど、祝福できないほどじゃないよ」
…そう、か。
わかった気がする。俺が、彼女を拒絶できなかった理由が。
彼女に何を重ねて、何を怖がっていたかが。
俺が拒絶したのは彼女のために生きること。
それは、どうしても出来ないから。
けれどなんだかんだ理由をつけて彼女を見捨てられなかったのは、恐らく―――。
「……本当に、嘘を言ってるわけじゃないんですよね…?」
「しつこいぞ?」
「う…。だって、兄上が誰かを好きという話は聞いた事が、なかったので…てっきり、好きなのを誤魔化してるものだと…」
おい。
どれだけ信用ないんだよ。
そして誰からその情報はリークされてんだ?
どう考えてもサから始まる人のような気がしないでもないが。
「それに、今は魔王討伐の方が最優先だろうが?」
「え、ええ、まあ、そうなんですけど…」
「俺は少なくともこの旅が終わるまでは、恋人なんて作る予定はない」
「はあ…」
納得いかなさそうなトリスに、俺は笑いかける。
ああそうだ、本当に簡単な事なんだ。
俺は、聞かれるまで気付かないふりをしていただけなんだ。
「それに――――――俺には、忘れられない人がいるんだ」
「えっ!!」
「姿かたちは似ていないが、…目は似てるな。もし俺が傷ついたような顔をしてるなら恐らく…彼女を傷つけたくないのに、彼女と同じ気持ちを持てないからだろう」
――――――――――他の誰も、関係ないの。私には貴方が必要なんだよ、ゆきちゃん。
不意に思いだした彼女の声に、俺は頷く。
誰よりも何よりも俺だけを求めてくれた彼女と。
俺を好きだと言うファティマは、どこか似ていた。
最初に見た人を親と思う雛鳥のように、真っ直ぐに俺が必要だというその目は、見間違うほどにそっくりだったのだ――…。
「え、ええ、誰ですか? 僕の知ってる人??」
「さてな。…それよりもトリス、ファティマが好きって、実はかなりマジだろ」
「…!!!」
自分が言っていた内容にようやく気付いたのか、弟が慌てたように首を振る。
だが遅い。
本当かと聞いた時のその声は、その目は、素直な弟らしく簡単に答えを示していた。
少なくとも俺に本当に恋情がないかを確認するくらいには、惹かれているのだろうと。…まあ、憧れの類かもしれないが。
やがて誤魔化せないと気付いた弟は肩を落とし呟く。
「…僕、なんかじゃ、駄目ですよ…」
「何故だ?」
「僕じゃ、兄上の代わりにはなれませんから」
"代わり"
どこかで聞いた台詞に、首を傾げる。
そういえば旅を始めてすぐの時にも、代わりになれないと嘆いてはいなかっただろうか。
代わるのはもう嫌だと、叫んでいなかっただろうか。
「…別に代わりになる必要なんて、ないだろ?」
「……?」
「その"好き"はお前のモノだろ? なんで俺の代用品になる必要がある?」
トン、と胸のあたりをつく。
好きは自分だけのモノ。
それは、俺が彼女に言われた台詞だったように思う。
俺じゃ守り切れないと嘆いた時に、彼女は確かこう言ったのだ。
「――――『大切なのは、自分の気持ち』だろ?」
「あ……」
ノエルは飛び疲れたのか、そろそろ旋回がゆるくなっている。
大分遠くへ飛んできたし、戻るのも頃合いだろうと首の向きを変えさせると、ノエルが楽しそうに鳴いた。
「…そう、ですね…。僕も大切なことを忘れていたのかもしれません―――――――」
弟の声は実感が篭っていて、何かを連想させたが聞かなかった事にする。
誰だって聞かれたくない事の一つや二つ、あるだろう。
もうひとつ気づいた事はあったけれど、俺は心の中にとどめることにした。
――――君のいないこの世界で。
俺は、他の誰かを好きになる事が出来るのだろうか?
いや。
他の誰かを、好きにならなければいけないのだろうか?
君より好きになれる人が、この世界にいるのだろうか―――――――――?
24年目にしてようやく別の人生歩んでる事に気づいたようです。
お知らせ。ストック切れですので次回投稿は間が空きます。
次回投稿は決まり次第活動報告に載せますのでご了承ください。




