仲間-トリス-
弟と旅をするようになって一つ疑問に思う事がある。
「トリス?」
「え、はいっ?」
勇者召喚の地までもう少し。
ひときわ輝く魔力スポットを遠目に見ながら、俺はトリスと火の番を代わるために声をかける。
程なく返ってくる声は、いつも通りで。
俺は違和感を覚えながら、言葉を繋ぐ。
「……ずっと気になってたんだが」
「はい?」
「トリスは枕が変わると寝られないのか?」
「は? 枕?」
必要な時にすぐ寝られるらしいファティマは、危機管理のスイッチオンオフの切り替えが出来ているので心配はしていない。
だが、トリスはどうだろう?
魔術師は確かに、ある程度の疲労ならば魔法でどうとでも出来るだろうが…。
トリスの順番が俺の次になった事で気付いた、ちょっとした些細なこと。
それが気になって仕方なく、俺はつい口に出していた。
「……あまりよく寝ていないだろう?」
「え…」
「魔術師は魔力の循環である程度の疲労は抑えられると読んだ事はあるが、トリスは正直いつ寝ているのかわからないくらい、ずっと起きてないか?」
これが本を読んでいるとかなら注意を促すこともできようが、何か寝ようとして寝られてないみたいなんだよな…。
学生時代に実習もあっただろうに、旅慣れていないのだろうか。
だが俺よりは遠征がないとはいえ、行軍に関してはトリスはむしろ積極的に手伝いをしていたような記憶がある。
だからこその違和感。
「……ええと…ですね…」
「ん?」
「…寝たい、んですけ、ど…」
歯切れ悪く顔を伏せるトリスに事情があるのは窺えて。
俺はとりあえず喋らせてみよう、と続きを待つ。
「……色々思い出してしまって…」
「思い出す?」
思い出すと眠れなくなる記憶。
フラッシュバックするようにボロボロになった時の弟を思い出して眉をひそめる。
そういえば、サルートとはぐれたあの時も、トリスは殆ど眠れていなかったように思う。
事情が事情だったので気にしていなかったが…あの時だけの事ではなかったのだろうか。
「……はい。僕は…、いつも守られてばかりだったから…」
「……?」
「一日が終わって夜になると…その日の駄目だった事ばかり思い出して…眠れなくなるんです…」
トリスが軽く火元をかき回しながら、座り込む。
俺は本来なら寝なければいけないのだが、声をかけた手前放っておくことも出来なくて。
元の位置に戻って横に座り込むと、トリスは自嘲めいた笑みを見せた。
「…料理もそうでしたけど。学生の時、僕は何もさせてもらえなかったんです」
「え?」
「見張り番も、偵察も、騎士たちとの対話も、すべて。―――カイラードの者が、下々の事に手をわずらわす必要はない、と」
「……」
「何度も代わってほしいと言ったのに、受け入れてもらえませんでした」
講習の時の事を思い出す。
そういえばトリスの周りには、何人もの貴族の息子らしい奴らがいた。
取り巻きのようにトリスにくっついていた彼らは、いつもトリスの傍で行動を制限していたのだろうか。
「……僕は…役立たずです」
「トリス」
「あの時も、今も。…僕は言われた事しか出来なくて。いつも肝心な時には何も、出来ないんです」
爆ぜる火の音が物悲しい。
淡々と語る口調は平坦で、何もうかがい知ることは出来ないけれど。
俺には言える事があった。
「別に…今からでも頑張ればいいだろ」
「兄上」
「見張り番も偵察も慣れだ。大体、言われた事すら出来ない人間だって世の中にはいる。トリスは言われた事は出来るんだ、もう少し自信は持っておけ」
俺は、弟の何を見ていたんだろう。
慕われているのは知っていた、けれど俺は学生になってから一度もトリスに手紙を書いた事はない。
トリスからは何度か近況を知らせる手紙は届いていたし、当たり障りのない内容を覚えてはいたけれど返事は書かなかった。
…俺は今、弟の口からその事が出るまで、何も気づいてはいなかったのだ。
―――――――兄上は実習で何をしていますか? どうしたら、騎士と連携が取れるでしょう?
(それは嫌味か? 俺に何を聞きたいんだ?)
―――――――主席になりました。でもちっとも魔法が上手くなった気がしません
(主席って一番だろうが。上手くないなんて言うな、その一番をどれだけ取りたい人間がいると思ってるんだ)
弟の悩みは贅沢なものなのだと思っていた。
力があるからこその、無意識の傲慢。
それは馴染みのあるもので、だからこそ俺は自分の気持ちごと無視し続けていたのだが。
「…でも、僕は応用なんて出来ないですよ」
「基礎は出来ているだろ」
「…それぐらいしか出来なかったから…」
ファティマにも感じた、自己否定。
痛々しいまでの卑下に、感じたのは怒りだった。
「…トリス。俺はさっき言った」
「え?」
「基礎でも『出来ない人間がいる』と」
「あ…」
「出来ている事すら否定するのは、出来ない相手に対して失礼だ」
…大体俺は、魔法が使えないんだぞ…?
その相手に対して、何も出来ないと嘆くのはどうなんだよ?
「…あう…ごめん、なさい…」
俺の視線が怒りを含んでいると気付いたのだろう、縮こまるトリスに俺は冷めた視線を送る。
…落ち込ませたいわけじゃないのに。
制御のきかない感情に、俺自身がどうする事も出来ずにさらに言葉を重ねた。
「大体、応用が出来ないならどうしたいんだ?」
「え?」
「出来ないからって周りは待ってくれやしないだろう。ただ、後悔するだけでそれでいいのか?」
トリスはただ首を振る。
何度も、何度も。
違う、と言いたげに。
「…出来るように、なりたいです…ッ」
「じゃあ、頑張ればいいだろ」
俺はこの弟が努力しないような人間だとは思っていない。
嘆く傍で、出来る事はちゃんと出来るようにしようと、その心意気があるのだけは知っている。
ただ後悔するだけの人間なら、料理にしろなんにしろ…『失敗する』筈がないのだ。
チャレンジしたからこそ、失敗して落ち込んで、後悔している。
「…大体応用は、基礎が出来てないと出来ないものだ」
「は、い」
「…つまり応用する下地はお前の中に、あるんだ。何故、『応用できない』と思うんだ?」
「…だって僕はいつだって、何も…」
ループしそうな言葉を遮って、俺はたたみかける。
何もできなかったのは、今までの事。
「経験がないだけだろ。ここからは、俺たちは勇者を含めても4人しかいない。魔術を使えるのはお前一人と言っても過言じゃない。今から後ろ向きでどうするんだ」
「でも」
「ああ、もう。じゃあ今からでも、誰かと代わってもらうか?」
段々腹が立ってきて、そう告げると。
トリスはびくり、と怯えたようにこちらを見た。
その反応は…何か、違うものを含んだもので。
「…いや、です…ッ」
「トリス?」
「代わるのだけは…もう、嫌なんです…!」
まるで前に何かあったような物言いに、俺の眉が寄る。
なんだ?
今の違和感は。
「トリス、落ちつけ」
「あ…」
激昂したせいか、息を切らすトリスの頭に手を伸ばす。
そっと触れると、触られた事が意外だったのか、トリスは目を丸くしながら俺を見た。
伝わるトリスの魔力は、昔感じたままの素直なオーラをまとっていて。
根本が変わっていない事だけ、伝わってくる。
「…俺は別に代わってもらいたいと思ってるわけじゃないから、落ちつけ」
「あに、うえ」
「トリスは、一人で全部出来ないと駄目なのか?」
「え…」
これが他の魔術師なら、俺の立場は恐らく本当に雑用以下になっていたに違いない。
ファティマが俺をないがしろにするとは考えづらいが、魔術師中心の胸糞悪いPTになっていた事だけは想像に難くない。
それを思えばこのくらい、正直なんでもない事に思えて、俺は言葉を続ける。
「…トリスは俺の言葉も、ファティマの言葉もちゃんと聞けるだろう?」
「は、い?」
「応用が出来ない? そんなの経験がないから当たり前だ。人の言葉を聞かないと動けない? 言葉通りに出来れば連携は出来るだろう。…何が駄目なんだ?」
トリスが首を傾げる。
ああ、そうか。
トリス自身がわかっていないのか。
"魔術師としての重圧"が自分の中にある事を。
「…あのな。俺たちは、魔術師がリーダーじゃなくてもいいんだよ」
「あ…」
「わかるか? 俺やファティマが望んでいるのはリーダーとしてのお前じゃなくて、支えてくれる魔術師だ。…無理をする必要も、一人で責任を背負う必要も、ない。出来ない事はこれから頑張って、出来るようになればそれでいいんだ」
「あ…僕は…」
「俺たちは『勇者を助けて世界を救う』ためにここにいる。…一人一人が無理をする必要はない。作戦を立てるのはお前でも構わないけれど、それも経験を積んでいけば出来るようになる事だから。 …焦るな、トリス」
指先に触れる髪が、逃げて行く。
ずるりと座り込んで俯くトリスの頭を、俺はさらに手で追いかけてぐしゃりと撫でた。
「…やっぱり…敵わないな…」
「ん?」
「あ、いいえ。…僕、焦ってたんですね」
頷くと、照れたようにトリスが笑う。
憑き物が落ちたようなその表情にほっとして、俺も笑うと。
トリスの頬が少しだけ赤くなった。
「…僕、頑張ります」
「ああ」
「手始めは料理ですね!」
いや、そこは戦闘じゃないかな…。
まあファティマは放っておいても一人で全部せん滅しちゃうから、サポ中心で考えればいい気もするけれど。
どちらかと言えば大きい魔法を使いたがらないトリスだから、バランスは取れている気がする。
「…あんまり辛いのは、勘弁な」
「好き嫌いは駄目ですよ!」
「そういう次元じゃないんだけどなあ…」
何か別方向にヤル気を出した弟を見ながら、これは照れ隠しかねぇと面映ゆく思う。
なんだかな。
俺怒ってたはずなんだけど、いつの間にか違う方向へ進んでいた。
やっぱり俺は鈍くてお人好しなのかねぇ…。
「しばらくは僕が料理当番で! 見張りも多めにやりますね!」
「別方向にやる気ありすぎだろ…」
当分辛い料理を食わされる事に戦々恐々しながらも。
俺はなんとなく、気持ちが軽くなっていた。
―――数日後辛いものを食べ続けたせいでお腹を下したのは、別問題とだけ言っておく。