代わりのない選択肢
目を開けて身体を見てみるが、痛いところは何もない。
慌てて周りを見てみると、剣は何故か俺の身体すれすれのところに突き刺さっていた。
「なんで…? 兄様…?」
さっきまでの彼は、明らかに本気だった。
何故俺の上に剣を下さなかったのかわからず彼を見ると、サルートの目は光を失ったように硬直していて、止まっていた。
「兄様?」
様子がおかしい。
いや、最初からおかしかったけれど。
込められた想いはホンモノで……突き刺さった言葉は、未だ俺の中にある。
訳がわからないまま手を伸ばすと、サルートはとび退り今度は短剣を引いた。
「兄様?」
「あ…ああ…ッ」
「兄様!?」
そのまま剣が向かったのは何故か俺ではなくサルート自身の心臓。
いきなり今度は自分に突きたてようとする暴挙に俺は思わず彼に飛びかかり、短剣を止める。
「兄様落ちついて下さい! 何する気ですか!?」
「う…ああっ…」
サルートの焦点はさっきと違い、あっていない。
まるで何も見えてないまま剣を振り回す状況に必死でついて行くが、そもそも俺がサルートの動きについて行けるわけがなく。
弾き飛ばされかけるのを必死で縋りつき、ノエルが器用に尻尾で剣を弾くような格好になっていた。
「ノエ、短剣とばせ!」
『きゅい!!』
勢いよく振られた尻尾に、短剣がはじき飛んでいく。
ノエルグッジョブ。
剣を弾き飛ばされたサルートはバランスを崩し、草原に倒れかかる。
俺はそのまま馬乗りになって動きを封じようとして。
足払いをかけられて、素っ転んだ。
その間に距離を取られ、短剣を拾われる。
マズ…!?
と思ったが、今度は彼は自分に振りおろそうとはしない。
その代わり。
また、殺気に近い何かが彼から立ち上った。
(おい、なんなんだこれ…!?)
そしてそのまま投げられた剣を避けた処で、刺さっていた剣までの距離を詰められた。
ず、と抜かれた剣に戦慄が走る。
俺じゃ、サルートの剣を受ける事が出来ない。
腰に短剣は持っているが、引きぬく時間は与えてもらえそうになかった。
「…危ないなァ…」
ぞっとするほど低い声。
先ほどうめいていた声とは違う、まるで剣を振るのを楽しむようなその声…。
いきなり剣を振る気はないようだが、まるで隙が見えない。
絶望的な状況に、俺はただ声だけを出す。
「……お前、誰だ」
「サルートだろ? 何言ってるんだ、なぁユリス?」
くすくす笑う、その表情は楽しげで。
伸びた前髪から覗くその目は、いつもと変わらないようで。
ただ、視線だけが違う。
「違う、兄様は俺を殺そうとしたりなんかしない」
「殺されるような事をしたんだろう? なあ、ユリス。―――寵愛を受けしモノ」
何を言われているのかわからない。
ぶん、と振られる剣に慄いてしまい、足元が乱れかける。
「…俺は何もしてない」
「何も?」
「……何をしたって言うんだよっ! 兄様、正気に戻ってくれ!」
叫ぶと返ってくるのは嘲笑。
ああ、違う。
これは絶対違う、兄様じゃない、兄様は俺を、こんな風にあざ笑ったりしたことなんて――――――――。
「…魔力もない癖に頑張ってる?」
一歩。
「目障りなんだよ、お前の存在が」
二歩。
「お前がいなければ誰も苦しまなかったのに」
三歩。
そして、俺が一歩下がる。
「お前がいなければ俺だって――――――――――――――」
詰められた距離。
今度は外れない、確実な距離。
けれど、剣は振りおろされなかった。
いや、振りおろされかけたのだけど。
彼の視線は、俺の後ろに固定されていて―――――。
「サルート!!」
聞こえたのは、嬉しそうな女性の声。
空に浮かぶ、桃色の竜。
かけ下りてきた彼女は、お腹を大事そうに抱えて駆け寄ってくる―――――――。
「…だ、めだ…」
呟き。
次の瞬間、違う光を煌めかせたその目は、剣を見ると。
そのまま―――。
「え…? 何、い…いや、やめてええええええええ!!!」
彼女の前で。
その剣が振りおろされたのは、俺の上ではなくて。
サルート自身のお腹につきたてるように刺さる剣が、ただ、見えて。
「……悪ぃ、ユリス」
穏やかに笑う、その顔が。
いつもの兄様の顔で。
―――――――――――ねえ、ゆきちゃん。
―――――――――――楽しみね?
身体が落ちる。
暗転する前に見えたのは、彼女が泣く姿。
あの時の俺の顔は。
「……あんたまで…子供、置いて逝くのかよ…ッ」
咄嗟に口を衝いて出た言葉。
悲しそうに、笑う顔。
"その意味"を俺は知っていた。
崩れ落ちるその身体を、俺は受け止めるしか、出来なかった。
☆
「いや、いやなの、どうして!」
泣き叫ぶ彼女。
そっとサルートを草原に下ろすと、ゆっくりと黒い靄が肩口にたまっていく。
黒い、靄。
俺の目の前で魔方陣のような形を作ったそれを見て、俺は自分の短剣をそこに突き立てた。
「きゃっ?」
霧散する黒い靄、まとわりつく靄。
あの時の黒い物体と同じもの。
「ノエル、燃やせ」
投げつけた剣は空中で燃え尽きて砕け散る。
剣をさしたまま息を確認するが、サルートの息は既に虫の息だ。
「クララ、治癒魔法を」
「う、うん」
白い光が浮かぶが、あまり吸収されていかない。
剣を抜けばいいのだろうが、抜いたところで彼女の魔法程度ではふさぐのは難しいだろう。
絶望的な状況に、俺は唇をかむ。
「…ゆ、りす…」
「! 兄様」
「すま……うま、く、うごけなく」
「駄目です、喋らないで」
どうしたらいい。
どうすればいい。
サルート自身が魔法を使えればいいのだろうが、今のサルートに魔力はほとんど感じられない。
おそらくあの黒い靄に食いつくされたか、抵抗する時に使ったか…。
いずれにせよ回復手段がなく、俺は見守るしかできない。
「やだ…やだよぅ…やだよぅ…」
「くら、ら…」
細くなった手が、泣きつくクララの髪を撫でる。
その手がそのままお腹にたどり着き撫でていく。
「ふぇええ…」
俺に魔法が使えれば。
俺が、この指輪をはずせば。
助けられるんじゃないか?
『何度先読みして対策を考えても、助けられないんだよね』
『彼らを助けてほしい』
神様の願いが頭をよぎる。
けれど。
………けれど。
俺は、目を閉じる。
けれど。
今の俺にとって、大切なのは。
何より今、なくしたくないモノは。
「兄様、魔力があれば回復魔法は使えそうですか」
「…?」
怪訝そうに見る目は肯定を示していた。
俺はそっと指輪をはずす。
……巡る魔力。
ああ、魔力ってどう渡せばいいんだっけ?
確か…血縁者なら…。
「……?」
「握って下さい、強く」
俺の指輪をサルートの手に握らせると、サルートは目を見開いた。
流れ込んでいく力。
指輪を媒介にすれば容易だった。
「こ、れ…は…」
「剣、抜きます。…出来ますね?」
俺自身が回復魔法をかけるより。
恐らくは俺の魔力をサルートが使う方が、いい。
予測でしかなかったが、神具の中に魔力がある事をサルートは見抜いたらしい、頷く彼に合わせて俺は剣を抜いて行く。
包まれる、白い光。
それは幻想的なくらい、優しい光で。
俺はその光景を見ながら、ただ……。
心の中で、謝り続けていた。