(十五)
十五
式場の控え室で、真歩は鏡に映る自分を見つめた。
幸いなことに、梅雨にも関わらず快晴だった。
窓から差し込む光は、磨かれた床できらきらと反射し、純白のドレスの輝きを増している。
真歩はこの数日間で痩せてしまい、首や肩のラインが一回り小さくなってしまっていたが、その瞳はしっかりと前を見据え力強い。
扉をノックする音がし、両親が控え室に入ってきた。
「真歩、あんた大丈夫なの?」母が真歩の体調を気遣った。
母は白髪染めを行ったばかりのきれいな黒髪を一つにまとめ、この日のためにタンスにしまっていた着物を着ている。
「うん、大丈夫よ。」真歩は微笑んで、答えた。
「具合が悪かったら、式を中断してもいいんだからね。」母親は真歩のベールを手で直しながら、彼女をいとおしそうに見やった。
「ねえ、お父さん。真歩きれいね。」
「・・ああ。」父親は言葉少なだ。
「ああ、もう、直之くんたら。もうちょっと子供は後でもよかったのに。真歩がつらそうで。」母親が眉間にしわをよせるものの、笑顔を見せる。
「いいのよ、わたし、幸せなんだから。」真歩がきっぱりと言い切ると、母親も父親もこみ上げるものがあるようだ。
「結婚するなら、この子供には自分の出自を悟らせないような、完璧な父親になってほしいの。雪の子供が得るはずだった愛情を、すべてこの子に注いでやって。」
あの日、真歩は直之にそう言った。
直之は、真歩が他の男性に抱かれたのは、自分の過去の過ちのせいだと思っている。
「そう思わせておこう。」真歩は考えた。
タクシーの車内で、嫉妬という感情が身を焼き尽くそうとしているまさにそのとき、真歩は心の一部分に安堵とも言える開放感も感じていた。
「助かるかもしれない」彼女は思ったのだ。
子供を産むためには結婚するしかない。
真歩はすでに三十歳。会社を退職したばかり。子供と二人で生きていくために、新たな仕事を探すにしても、よい条件では見つからない。
直之はこれから、贖罪の気持ちを込めて、必死に真歩と子供を受け入れようとするだろう。それがたとえ心からの愛に変わらなくとも、彼は子供には気づかせないはずだ。真歩にも、これまで一度たりとも自分の過ちを気づかせたことがなかった。彼が必死になれば、完璧な父親を演じることができる。
傍目から見れば、なんと狡猾でなんと卑怯な女。直之の罪悪感につけいり、自分と子供の保身を約束させた。真歩はその事実に愕然としながらも、そんな自分を躊躇なく受け入れようとしていた。
「ではそろそろ。」式場のスタッフが花嫁を呼びにきた。
式場に併設された教会の扉が開くと、純白の道の向こうに直之が立っているのが見える。ステンドグラスから入る色とりどりの光が、十字架を縁取る。そして直之がゆっくりとこちらを見た。
その顔からは覚悟がうかがえた。
これからの彼の人生。
これからの彼女の人生。
そして子供の人生。
全力で生き抜く覚悟。
真歩は父親の腕に手を添えて、ゆっくりと歩き出した。
これは想像し、夢見たような結婚ではない。
でも今この瞬間の方が、「結婚」という契約にふさわしい。
友人席に雪が座っているのが見えた。
真歩の方を見ようともしない。
まっすぐと前を向いている。
彼女は黒のシンプルなドレスに、燃えるような紅い口紅。
窓から差し込む清らかな光の中では違和感があった。
真歩はそんな雪の姿を見ると、また正面を向きなおった。
父親の腕から、直之の腕へ。
そして二人は、神と参列するすべての人々に、永遠の愛を誓った。
挙式の後、披露宴が行われた。
中規模の会場の中では、お祝いのスピーチや友人達の余興など、他の結婚式と何一つ変わりない、幸せな宴。
司会の女性が、祝電をいただいた方の名前を読み上げる。
「この方からは、電報ではなく直筆のお手紙でいただいていますね。」真歩はその女性の方を向いた。
「中には、まあ!」司会の女性はうれしい声をあげた。
「これはシロツメクサでしょうか。押し花のついたカードですね。」彼女は封筒からカードを取り出すと、新郎新婦の方に掲げてみせた。
真歩は「幸せになって。」そう言った利明の声を思い出す。
そしてそっとおなかに手を触れた。
子供を愛しいと思った。
両親に花束を渡して、披露宴が終了する。
直之と真歩は出口で出席者一人一人に丁寧な挨拶をした。
雪が二人の前に立つ。
一分の隙もない完全な女性。
「おめでとう。」雪が静かに声をかけた。
三人の間には、他人には決してわからない緊張感が漂う。
「わたし、産むわ。」真歩は雪の瞳を見つめる。そして手をさしだした。
「ええ・・・産んで。お願い。」雪はそう言うと、涙を一粒、その頬に落とす。
そして差し出された手を握り返した。
人々は幸せなこの夫婦を心から祝う。
花嫁の凛とした美しさをほめたたえる。
式場の外はすでに夏が始まる香り。
二人で歩む人生が、今日始まった。
完