第八話 国を背負うとは
翌朝、政殿に呼ばれた。
部屋に入った瞬間、薬草の匂いがした。障子越しの光は柔らかいのに、空気だけが重い。寝台に横たわる現桜守は、病に痩せていた。けれど、その目だけは、まだ鋭さを失っていない。
「来たか」
低い声だった。弱っているはずの統治者の声は、はっきりと響く。
「近くへ」
言われるまま、私は畳の上を進む。大人たちは脇に控えていたが、桜守は軽く手を上げ、下がらせた。
私と、その人だけになる。
「……怖いか」
突然の問いに、正直に答えるべきか迷う。私は首を横に振った。
「怖いかどうか、分かりません」
桜守は、微かに笑った。
「そう答える者が一番厄介だ」
咳をひとつして、言葉を続ける。
「この国は、遅れている」
はっきりとした断言だった。
「軍も、技術も、金も。海の向こうの国と比べれば、話にならん」
私は黙って聞いていた。否定できる材料は何一つない。
「改革をしたいと思ったことは、何度もある」
統治者の視線は天井に向けられている。
「だがな……人は変化を怖れる。
特に、この国の民は、安定を何より尊ぶ」
指先が、布団の上でわずかに動いた。
「焦っているのは、私だけだった」
その言葉には、悔しさが滲んでいた。
「案はある。だが、決め手がない。
何かを切り捨てる覚悟が、私には足りなかったのかもしれん」
しばらくの沈黙が落ちる。
「お前に、教えられることは多くない」
そう前置きしてから、桜守は私を見た。
「だが一つだけ、伝えておく」
声が、少しだけ強くなる。
「国を良くしようとするな」
私は思わず、顔を上げた。
「良くしようとすれば、必ず誰かを置いていく。
それを、最初から分かって進め」
慰めでも、励ましでもない。事実だけが、静かに突きつけられる。
「……できますか」
自分でも驚くほど、小さな声で尋ねる。
統治者は、少しだけ目を細めた。
「分からん」
即答だった。
「だが、分からぬまま考え続けられる者は、案外少ない」
静かな朝。光は差し込むのに、空気には重みがある。
この国の未来は、私の手に委ねられたわけではない。けれど、この場所で、この時代で、私が選ばれたという事実は、紛れもない現実だった。
ふと、目を閉じる。
何かが、遠くで見ているような気がした。
目には見えないけれど、世界の隅で、この国を生かす力が存在していることを、体が知っている。
奇跡でもなく、声でもなく、ただ「空気」としてそこにある力。
誰も触れられない、けれど確かにここにある何かが、私をこの場所に置いたのかもしれない――
そんな気がして、私は目を開ける。
「……わかりました」
小さく、独り言のように呟く。
恐怖でも、希望でもない。ただ、現実を受け止めるための言葉。
私は深く息を吸い、体を伸ばす。
泣いたり逃げたりすることはできない。できるのは、歩くことだけ。
そして、この国で、与えられた役目をどう生きるかを考えること――それだけが、私のやるべきことだった。




