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【短編小説】募金ロマキャンダッシュ

掲載日:2025/12/16

 その日はとても良く晴れていて、春が終わったことを太陽が告げていたのを覚えている。

 もうすぐ夏を告げる雨が降る。

 トムヤムトーは血塗れの拳をコートの裾で拭うと、財布から千円札を一枚抜いて黒い箱に投げ入れた。

 暇そうな大学生が虚ろな目でそれを見ていた。

 首輪のない犬が鼻を鳴らした気がする。

 だがトムヤムトーは気にしない。

 黒い箱に入れた金はきっと赤くなる。

「それの何が問題なんだい?」

 トムヤムトーは黒い箱の後ろに立っている学生風の男に訊いた。男は愛想笑いをして小首を傾げるだけだった。


 コンビニで現金を使う事が無くなってから、久しく募金をしていないと思ったから、トムヤムトーはムカつく老人を殴って財布を奪った。

 理由は何だっていい。社会保障費だとか、年金だとか、目つきだとか服装だとか枚挙に暇がない。

 老人は死ぬべきだ。

 若者に殺される為に存在している。

 今だってトムヤムトーの父や母が同じように殴り殺されているかも知れないけれど、それは仕方のないことだ。

 トムヤムトーの父や母の財布から抜かれた金が誰かの祈りになるなら、それも仕方のないことだ。


 とにかくトムヤムトーにはここ数年であの小さい募金箱に小銭を入れた記憶が無い。

 社会全体の募金総額も減っているはずだ。

「祈り疲れたね」

 トムヤムトーは思う。

「労働が祈りだって?」

 違う。募金こそが祈りだ。

 誰かがこの小銭で救われるのならそれでいい、と言う小さな祈りが募金と言える。

 その為に労働がある。

 賃労働をして何かを買う。

 そして会計時に余った小銭を募金箱に入れる。それこそが祈りだ。

 労働はクソだ。

 でも祈りに対する抵抗は無いはずだ。

 トムヤムトーは教会に行かないけれど、そうやって祈ることはある。

 でも現金決済をしなくなると、能動的に募金と言う祈りを捧げなくなる。

 わざわざ教会に行くより難しいかも知れない。


 でも老人たちは全て爆発してしまった。

 日本の大地は老人たちの血で赤く染まり、伝統だとか懐古だとか温故なんていうものは誰も継承しなかった。

「不必要だったんだ」

 トムヤムトーは寂しそうに言う。

「消費するのは良いけれど、それを受け継ぐのはゴメンだと言うなら仕方ない」

 どこだって同じだ。

 その点で言えば老人も自分も大差無い。

 


 

 トムヤムトーは南風を待ちながら蒸したての肉まんを齧った。

 競馬新聞を開いて馬柱を眺めるがあまり集中できないでいる。

 前走の記録、鞍上の騎手、調教師、ファーム。

 場外馬券売り場の画面でオッズを確認して、結局はカンで決めた勝馬投票券を買う。

 パドックも返し馬も見ない。

 迷いが出るだけだ。

 馬体重もよほど大きく変わらない限りは影響が少ない。

「よく考えてみろよ、俺たちの体重が缶コーヒー一本分変わったところでどんな影響がある」

「よく考えるのはお前の方だ。俺たちみたいなデブとあのアスリートを一緒にするなよ」

 薄汚れた野球帽の男たちが話し合っている。

「あんちゃんも買ったのか?俺たちが勝ったらあんちゃんにも奢ってやるよ」

 トムヤムトーは笑って返したが、たぶん馬がゴールする前にそんな事は忘れているだろう。

「ありがとう、もしおれが勝ったらおっちゃん達におごるよ」

 アハハ、と言う軽薄な笑いだけがそこにある。

 場外馬券売り場は軽薄な祈りで満ちているから良い。


 トムヤムトーが昼飯を食おうと駅前に戻ると、小学生たちが並んで募金の呼びかけをしているのが見えた。

「日曜日の昼間に?」

 遊びもしないで募金活動をしている。

 させられているのかも知れない。

 内申点を気にする年齢でもあるまいにご苦労な事だ。

「時給も出ないのにな」

 将来は活動家にでもなるつもりなら、そう言うものだ。公金で食う腹づもりなら早い方がいい。


 駅を反対側に抜けると今度は大学生が募金の呼びかけをしているのが目に入った。

 足元に犬が寝ている。

 動物募金と言うやつだ。

「ワンちゃんや猫ちゃんが」

 大学生の小僧がそういった瞬間にトムヤムトーの身体は勝手に動いていた。

 大学生の小僧に掴みかかり、勝馬投票券を握りしめた拳を数発その顔面に叩き込んでいた。

「ワンちゃんだったらニャーちゃんで揃えろよ」

 馬乗りになって大学生の顔面を殴りつける。

 犬は眠そうな眼でこちらを見ていたが、鼻を舐めると再び眠りについた。

「それとも犬ちゃんと猫ちゃんで揃えるか」

 胸倉をつかんで問いただしたが大学生は気を失ったのか何も答えなかった。

 トムヤムトーは立ち上がって財布を取り出そうとしたが、自分の手が血で汚れているのが気になってやめた。

 皺だらけの勝馬投票券をポケットに押し込む。

 そろそろ発走時刻だ。


 目の前の募金箱を確認した。

 犬はまだ眠ったままだった。

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