31話 最期まで
雷に撃たれ、煤にまみれた地面から、人影がゆらりと立ち上がった。
吹き飛ばされていた笠を拾い、深く被る。
「……この火傷で、生きとったか」
ショウメイの咳混じりの声が、風に流される。
私は応えない。
視線を、嵐の中心へ向けた。
ジゲンの周囲に、無数の細い針が浮かんでいる。
髪の延長のように操られ、
落ちてくる雷を受け、散らし、消していた。
その内側だけが、異様なほど静かだった。
そして、気づく。
私の周囲にも、同じ針が浮いている。
――知らぬうちに、守られている。
ジゲンとショウメイ。
この場は二人に任せる。
考える暇はない。
「ジゲン」
振り返らずに言う。
「私を、姫の元へ飛ばせ」
一拍。
「承知しました」
次の瞬間、
強烈な衝撃が刀の鍔を打ち抜いた。
身体が宙へ投げ出される。
雷鳴が耳を裂き、暴風が皮膚を削る。
上下の感覚が消え、
世界が回転した。
――だが。
唐突に、音が消えた。
足裏に、確かな地面の感触。
私は、嵐の外へ投げ出されていた。
地面を転がり、勢いを殺し、すぐに立ち上がる。
――前を、見た。
ナタレ姫が、嵐の縁に立っている。
その真正面。
本来なら何もないはずの空間が、はっきりと歪んでいた。
歪む影。
姿は見えない。
だが、そこに「いる」ことだけは、はっきり分かる。
姫と影は、正面から向かい合っていた。
距離はある。
雷鳴が、声を完全に掻き消している。
姫の唇が動く。
何を言っているのかは聞こえない。
それでも――空気が変わった。
次の瞬間。
歪んだ空間から、
一本の殺意が、一直線に姫へ伸びた。
斬撃。
――もう、振るわれている。
止められない。
なら――やることは一つ。
私は、影へ沈んだ。
次の瞬間、
私はすでに、斬撃の進路上にいた。
姫と、その刃の間。
刃の通り道に、
自分の体を戻す。
同時に、
胸を貫く衝撃。
熱い。
息を吸おうとして、
喉が痙攣する。
声を出そうとしたが、
音にならない。
だが――
私は踏み込み、
刺さったままの刃を受け止めるように体を寄せ、
腕を振り抜いた。
狙うのは、刃ではない。
――手首。
鈍い手応え。
次の瞬間、
力が抜ける。
刀を握っていた腕が、
手首から先を失い、制御を失った。
斬撃は完全には止まらない。
だが軌道が崩れ、
刃は姫のすぐ脇を通り抜けて虚空を裂いた。
刃は、
なおも私の胸に、深く突き刺さったままだ。
私は、その刀を――放さなかった。
体が、私を置き去りにして動く。
理屈は分からない。
だが、私の意思ではないことだけは分かる。
筋肉の奥。
影が、糸を引いている感触。
手放せば――
私自身が、姫を殺す道具にされる。
それだけは、許さない。
最後の力で、
私は敵の刀を握ったまま、崩れ落ちた。
膝が折れる。
視界が揺れ、
世界が傾く。
「……嘘……なんで……」
姫の声が、聞こえた。
血を見て、
その顔から血の気が引いていく。
「やめて……!
あなたまで……!!」
私は陰の術で、
自分の体を刃から引き離していた。
だが――
立てない。
歪む影が、低く息を吐く。
「……理解できぬな。
なぜ、ナタレの姫君が、従者を庇う」
淡々とした声。
「その身は――
すでに死を越えた器であろうに」
傷は塞がらない。
口から血が零れ落ちる。
指一本、動かない。
膝が完全に折れ、
私は倒れ込んだ。
「クオン!」
姫が叫び、駆け寄ってくる。
次の瞬間、
私は――抱き留められていた。
細い腕が、必死に私を引き寄せる。
近い。
吐息が、頬に触れる。
ナタレ姫は、
私の刀を握っている。
逃げず、退かない。
歪む影へ刃を向けている。
私の血に濡れた体を、
それでも姫は離さない。
ただ、
私を抱いたまま、そこにいる。
――まだだ。
終われるはずがない。
死ぬならば、最期まで守り切れ。
でなければ、
お前は何者でもないのだ――玖音!!




