30話 見えざる刃
私は屋根から飛び降り、鍛冶屋の門前に着地した。
「新たな鬼が出ました。今、ショウメイが応戦しています」
「町中で、ですか……」
ジゲンの言葉は短い。
ナタレ姫の手が、冷えた私の頬に触れた。
「顔色が悪いわ」
「……見えざる刃を持つ鬼です。
最初に当たっていれば、私はここにいません」
「倒せるの?」
「可能ですが、猶予はありません」
ジゲンが即座に継ぐ。
「完全に消すには、馬の首を落とし、二つの魂を“同時”に焼く。
一瞬でも順を誤れば、手の打ちようがなくなる」
「なぜ、そこまで分かるの」
「今は説明すべきではありません。
ですが、覚えてください」
雷鳴。
一拍遅れて、町の悲鳴が届いた。
「行きましょう。ナタレ姫は――」
「行きます」
私は言葉を重ねる。
「速さも刃も、人の目では追えません。
次の一撃が、誰に向くかも分からない」
「離す方が危険です」
ジゲンが私を諭す。
ナタレ姫は私の手を取り、まっすぐ言った。
「私は――あなたの力になりたい」
決断は一瞬だった。
「……共に参りましょう」
*
瓦礫の中から、ショウメイが起き上がる。
「姫さんら、遅いで!」
「騎手の魂は焼くな。私がやる」
その声音に、ショウメイが一瞬だけ息を呑んだ。
三人で馬を囲んだ瞬間、異変が走る。
バキの動きに合わせ、何もない空間が、不自然に裂けた。
見えない。
だが――そこを、刃が通った。
考える暇はない。
裂けたはずの位置へ、反射で刀を振るう。
金属音。
火花と雷が、虚空で弾けた。
――当たった。
刃は、確かに存在している。
ただ、見えないだけだ。
だが、その直後。
視界の端で、別の異変が起きた。
ナタレ姫の、ほんの数歩先。
そこだけ、影が歪んでいる。
風はない。
光も変わらない。
それでも影だけが、沈み、濃くなり、輪郭を失っていく。
揺れていない。
――“留まっている”。
胸の奥が、冷え切った。
あれは、姫を見ている。
斬るでもなく、襲うでもなく、
奪うためだけに、待っている。
踏み出そうとした刹那、影が落ちた。
「菜垂はん!」
ショウメイが飛び、槍を地に突き立てて軌道を逸らす。
直後、雷が落ち、彼の体が焼けて転がった。
拘束を失った槍が、一直線に私を狙う。
それをジゲンが弾いた。
「ここは私が――」
だが、その声は嵐に掻き消えた。
爆風。
私は吹き飛ばされ、
更に姫と引き離される。
伸ばした手は、空を掴んだ。
見えざる刃は、私たちを斬る。
だが、歪む影は――
姫を奪わんと、立ち尽くす。
距離は、変わらない。
それでも、影だけが、確実に深く、重くなっていく。
“本物”の脅威は、あちらだ。
ナタレ姫を裂くより早く、
あの影を――止めねばならない。
その時、
誰かの別れを告げるように――
雨がひとしずく、静かに地に落ちた。




