29話 型の名は
「ショウメイ、ここに居たのですね」
ナタレ姫を偽る私の声は、夜気に溶け、蔵の屋根へ届いた。
人目につかぬ高所。
ショウメイは月を背負い、ただ一人佇んでいた。
「……姫さんか」
振り返った顔に、いつもの軽さはない。
笑みはある。だが、それは貼り付けたようだった。
「覗き見てしもてな……すまん」
「ムネチカ殿に、突き飛ばされたのでしょう」
一拍。
ショウメイの視線が、わずかに泳ぐ。
「……よう聞こえとるな」
「聞こえていました。全部」
私は一歩、距離を詰める。
「――私は、あなたの想いに応えることはありません」
夜気が、ぴんと張り詰めた。
ショウメイは喉を鳴らし、短く息を吐く。
「……せやろな」
空を仰ぎ、ぽつりと呟いた。
「言われる前から、わかっとった気ぃもするわ」
突風が羽織を揺らす。
「せやけど……一つだけ、頼みがある」
「何です」
「“宵冥流”の名ぁ、使わんといてほしい」
私は眉を寄せた。
「名に、そこまでの意味が?」
「ある」
即答だった。
「型はな……生きざまや。
作ったもんが死んでも、残る」
その言葉だけが、不自然なほど重い。
「姫さんにもな、
後に続く奴らのために……名をつけてほしい」
夜空を裂く流星が、ちょうど視界を横切った。
「なら、私の型の名は――
“宵星流”……など、いかがでしょうか」
ショウメイの目が、
ほんの一瞬だけ見開かれる。
「……ええ名や」
鞘に掌を置いた、その瞬間。
弾かれた。
乾いた衝撃が走り、指先に痺れが残る。
――雷鳴。
白光が伏見を裂き、天が唸った。
地鳴りが、遅れて腹に響く。
「……嫌な気配やな」
私は蔵の頂へ跳び、町を見下ろした。
光の列が、一直線に連なっている。
視界には、何もない。
――はずだった。
遥か向こう、闇の底で、光がうねる。
一つ、二つ。
重なり、連なり、列となって迫ってくる。
「……鬼だ」
喉が、自然と動いた。
「雷の――」
言葉が終わる前に、世界が裂けた。
頭上ではない。
縦に、空間そのものが引き裂かれる。
雷が波打ち、逆流する。
その白光の底から、影がせり上がった。
私は跳ぶ。
直後、屋根瓦が焼け消えた。
放り出された身体を、
光と衝撃より早く、ショウメイが掴む。
「姫さん!」
着地。
ショウメイの脚が瓦を砕き、屋根の縁で踏みとどまった。
「……問題ありません」
答えた直後、
伏見全体が――呻いた。
低く、腹を揺らす咆哮。
家々が、骨が、内臓が、同時に震える。
闇の中から、獣が現れる。
――否。
あれは、歩いていない。
馬が、腹を空へ向けたまま、逆さに浮いていた。
地を踏む蹄だけが、あり得ない角度で揺れている。
その背に跨る男も逆さだ。
首は落ち、それでも腕は槍を握っている。
鎧の隙間から、魂が露出していた。
白く光り、血が――空へ向かって滴っていた。
常軌を逸している、という言葉ですら追いつかない。
雷が逆流し、異形が完全に姿を現す。
逆さに浮く馬。
首のない男。
光る魂と、逆に流れる血。
衝撃と共に、
咆哮が、夜を引き裂いた。
「壊す気か……!!
この町を!!」
黒羽織が翻り、刀が鳴る。
そして――
「こん町には、
べっぴんさんが、ぎょうさん……おんねんぞ!!」
怒鳴っているはずなのに、
その口元は、なぜか緩んで見えた。
まるで、
悪戯をした子供を叱りながら、
同時にあやしているような――
そんな甘さ。
――違う。
この場で浮かべる表情ではない。
見えない刃が走る。
私には捉えきれない。
だがショウメイは、それを確かに受け止めた。
雷火が炸裂し、家屋が崩れる。
伏見は、瞬く間に火の海と化した。
鬼と対峙するショウメイの背中。
叫びも、剣も、本気だ。
疑いようもない。
それでも――
その背中は、
人が背負う重さではなかった。
私はまだ、悟れずにいる。
この男は――
守る者なのか。
それとも、壊す者なのか。
闇と雷の中で、
答えは定まらぬまま、
戦いだけが、激しさを増していった。




