表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
1章・見えざる刃、牙の残影
27/37

25話 月夜に咲く

私とショウメイ。

二人の背後で、ジゲンとナタレ姫が静かに見守っている。

従者の格好をした姫は、無意識のうちにジゲンの袖を掴んでいた。


――私が、怪我をしないか。


その不安は、手の震えに滲んでいる。


「心配無用です」


ジゲンが、淡々と答えた。


私は姫の衣を纏い、前へ出る。


対するは、鬼――ショウメイ。

宝珠の所有者であり、確かな人の理性を持つ男。


これは殺し合いではない。

あくまで稽古だ。


……それでも。


この場に漂う空気は、戦場そのものだった。


「……隙がないな」


ショウメイが、ぽつりと呟く。


「これでも……ハッコク……。

 ――父上に鍛えられていましたから」


私の本当の父ではない。

だが今は、そう言うほかなかった。


「もう稽古、必要ないんと違いますか」


「……これからです」


自然と、笑みが零れていた。

胸が高鳴る。


恐怖ではない。

これは――戦いを楽しむ者の昂ぶりだ。


「変に火ィ点けちまったか」


ショウメイが低く笑う。


「なら……こっからが本番や」


垂布が翻る。

重心が沈み、空気が変わった。


「――宵冥流(しょうめいりゅう) 柒式(ななしき) 撫露(だろ)微斬(びぎり)


遅い。


……そう、思った。


だが次の瞬間、刃は消え――すでに眼前にあった。


ショウメイが笑い、口の端に牙が見えた。


(――(あざけ)りの技……!)


完全に、騙された。


反射的に身を逸らす。

同時に、次を警戒する。


――二度、来る。


受け止め、弾いた。


ショウメイの目が見開かれ、

次の瞬間、嗤ったように見えた。


宵冥流(しょうめいりゅう) 弐式(にしき) 椿冥斬(つばきめいざん)


風を裂く音。

重なる刃が、私へと迫る。


だが私は、踏み込んだ。


(ふところ)へ。

(あご)へ――一撃を叩き込む。


……が、(かわ)される。


身を(ひるがえ)し、ショウメイは距離を取った。


「……使うしか、ねぇか」


さらに低く、構え直す。


宵冥流(しょうめいりゅう) 十式(じゅっしき) 萩風(はぎかぜ)(うた)


風のように揺れ、

音もなく、静かに迫ってくる。


「……神楽?」


思わず、声が漏れた。


ナタレ姫の舞と、同じ所作。


――否。


そこに祈りはない。

あるのは、獲物を噛み殺すためだけの、静かな殺意。


打ち込む隙が、まるで見えない。


月明かりが、ショウメイの動きを不気味に照らす。


次の瞬間――

垂布が、大きく翻った。


――風が、止んだ。


何も見えない。

何も聞こえない。


気づけば、私は地に伏していた。


川辺の砂が唇に触れる。

息を吸った拍子に少し入り込み、わずかな塩気を感じた。


――敗北の味。


だが、痛みはなかった。


いつの間にか、互いの手にあった模擬刀は消え、

ジゲンの髪へと戻っている。


最初から、殺傷力のない稽古道具だったのだ。


「……ジゲンめ。最初から言えばいいものを」


思わず、呟いた。


だが、そんなことはどうでもよかった。


「……負けた」


胸を満たしたのは、恐怖ではない。


――悔しさ。


なぜ負けたのか。

それすら、分からない。


まるで背後から突き飛ばされ、

訳も分からぬまま地に伏せられたような感覚。


歯を食いしばり、ショウメイを睨む。


「……今の技は……なんですか」


「萩風ノ詩。獲物を間合いに誘う技や」


「……?」


意味が、まるで掴めない。


「約束、忘れんといてな。明日が楽しみや」


――約束。


丸一日、この男に連れ回される。

そのことを、思い出す。


その瞬間。


――胸の奥で、何かが、ひび割れた。


幼い頃、教えを受けた陰陽の――師の声が、脳裏に木霊する。


『負けた時、お前は死ぬ』


血も、痛みもない。

だが――その言葉が、初めて現実になった。


負けを認めるということは、死ぬこと。


脳が、それを拒絶する。


「ぐ……ぁ……」


声が、震えた。


「……こんな……ろくでなしに……!」


悔しさが、膨れ上がる。

自尊心が、無残に切り裂かれていく。


視界が歪み、私は再び地に崩れ落ちた。


何かを掴みかけたはずだった。

だが、手に残ったのは一束の髪。


風に攫われ、静かに散っていく。


私は燃え尽きながらも、

胸の奥で、新たな感情の芽吹きを感じていた。


それは、まだ名も知らない。


――憧れにも似た激情。


焔のように、

私の闘志を目覚めさせたのだった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ