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宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
1章・見えざる刃、牙の残影
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21話 混沌の町

旅立ちの前、ジゲンは私の耳元で囁いた。


「ショウメイは……裏切り者やもしれないのです。

 奴の本性を、見極めなければなりません」


確証はない。

だが、里を陥れた者が、今もどこかに潜んでいる――

ジゲンはそう考えていた。


ナタレ姫が蘇った夜から、

私が従者を装っているのも、その知恵ゆえだ。


ショウメイはいまだ疑わず、

姫の衣を纏った私を、ナタレ姫その人と思い込んでいる。


そうして私たちは、

ショウメイを巧みに誘い出し、港町・伏見へと向かった。


平安京が鬼の手に落ち、

多くの避難民がこの地へ押し寄せていた。

砂埃が絶えず舞い、土の匂いが町にこびりついている。


私は袖で口を塞ぎながら進んだ。

ふと見れば、港へ渡る橋でさえ、

壊れそうなほどの往来でひしめき合っている。


見渡す限り、人の波。

無数の足音が重なり、地響きのように大地を踏み揺らす。


……この世に、これほど人がいたのか。

その熱気に、思わず息を呑んだ。


グンシに伴われ、私たちは重鎮たちの会合へ通された。

荘官や名主らが集い、今後の動きを巡って意見が交わされている。


やがて、宇治のグンシが重々しく口を開いた。


「まずは宇治と淀、八幡、そして伏見。

 この四町を拠とする。

 これらを守り抜けば、補給は絶えまい」


多くが頷き、幾人かは顔を曇らせ、小さく首を振った。


「折を見て山科の里を奪還し、これを新たな拠とする。

 続いて平安京を取り戻し、鬼神どもを討ち果たすのだ」


場に、重い沈黙が落ちる。

誰もが、その言葉の重さを噛みしめていた。


「……できるわけがない」

ジゲンが、低く呟いた。


ショウメイは、鼻で嗤った。


軍議が終わり、

人々が席を立つ中、私たちの背に柔らかな声がかかった。


「そなたら……刀鍛冶を探してると聞いたが」


振り返れば、グンシと古くから親交のある荘官だった。

人懐こそうな笑みを浮かべ、こちらへ歩み寄ってくる。


「私の古い友人に、秘蔵の刀を持つ者がおりましてな。

 若い頃は、死神に取り憑かれたように刀を打ち続けた男ですわ」


声を落とし、続ける。


「だが老いてから変わってしまった。

 今は咎人のような目をして、誰にも刀を売ろうとせん」


それでも、穏やかに言葉を結んだ。


「これも何かの縁です。会ってみるとよいでしょう。

 名を……宗近と申します」


その名を耳にした瞬間、胸の奥で血が疼いた。

――魂が「この者だ」と告げている。


聞いた覚えなどない。

それなのに、最初から知っていたような気がしてならなかった。


会合を終えたグンシは、赫鬼(アカオニ)のことを案じ、足早に宇治へ戻っていった。


私たちは質へ向かった。

ナタレ姫の羽織を売り、最上級の刀を手に入れるためだ。


人波に呑まれ、はぐれそうになりながら、ようやく人目の少ない質屋へ辿り着く。


しかし――

たった一枚の羽織が、屋敷が買えるほどの大金になるとは、誰も思っていなかった。


亡き父から贈られた衣を手放すことになった姫の心は、酷く沈んでいた。

……私から見れば、装いに変わりはないというのに。


町外れの丘で、ショウメイは足を止めた。


見晴らしの良い大木の陰に腰を下ろし、

背負っていた二振りの刀を横に並べ、そのまま寝そべる。


「鬼が来る言うて……

 そんな慌てることもなかろうて」


大きく欠伸をし、空を仰いだ。


「こげな天気の良か日に歩き回るんは、野暮なこった。

 ほな、うちはここで休ましといてもらいますわ」


冗談めいた口調だったが、

本気で動く気はなさそうだった。


私は一瞬、言葉を失った。


「……ショウメイ。ひとりで残るのか」


「心配せんでええ」


そう言って、手をひらひらと振る。


その無責任さに、

私は一度だけ、宝珠を見せてほしいと頼んだ。


ショウメイは懐から、朱に輝く宝珠を取り出す。

赫鬼(アカオニ)やジゲンのものとは色こそ違う。

だが――同じように、神々しい光を放っていた。


ジゲンが、小さく頷いた。

私たちはショウメイを丘に残し、伏見の町へ戻った。


その後、ショウメイを除いた私たちは、刀鍛冶の屋敷を訪ねた。

出迎えたのは弟子だった。


「師は不在でございます……」


伏見稲荷の裏参道、水行の場。

師はそこで身を清めているという。


日は、すでに落ちかけていた。


ジゲンが進言する。


「この混雑です。宿はもう残っておりません。

 中で待たせてもらえませんか。

 師に、今晩泊めていただけるようお願いしたい」


そして、金袋を掲げた。

弟子は深く頭を下げ、私たちを屋敷へ招き入れてくれた。


……ジゲンは知恵者だ。


食事の後、思いがけず湯殿の話が出る。

井戸掘りの最中に湧き出た、温かな泉だという。


案内された先には、木々に囲まれた湯殿があった。

白い蒸気が立ちのぼり、夜気の中で揺れている。


「……すごい香り……」


姫は目を見張り、恐る恐る湯に浸かった。


湯に染まった肌が、ほんのりと紅を帯びる。

私は隣に並び、旅の疲れを癒した。


「心地よい香りに温もり……極楽とは、このことですね」


その口調に、思わず笑い合う。


久しぶりに交わす微笑み。

戦乱を忘れる、束の間の安らぎ。

その尊さに、胸が熱くなった。


ジゲンもまた、

普段は見せぬほど穏やかな顔で、湯と景色を楽しんでいた。


――そのとき。


湯船に、笠のような葉が浮かぶ。


「……あっ」


声が漏れた。


「ショウメイ……」


私たちは慌てて、

ショウメイを置いてきた丘へ向かった。


だが、

彼がいたはずの場所には――

砕け散った大岩と、灰だけが残されていた。

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