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宵星の巫女―鬼封神楽―  作者: いろはにぽてと
序章・鬼と宿命の物語
21/37

20話 宵星の巫女

グンシ殿の屋敷には、張り詰めた緊張が満ちていた。


私は菜垂姫と並び、畳に正座している。

襖の向こうではなく、同じ座敷に通されている――

その事実だけで、これが尋常な報告ではないと分かった。


向かいに座るグンシ殿の前には、簡素な地図が広げられている。

指先が、墨で黒く塗られた地点を一つ、また一つとなぞっていった。


「集落が壊滅し、町も里も荒らされた」


低く、重い声。


「……都までもが襲撃され、ついに平安京が敵の手に落ちました」


胸の奥が、鈍く鳴る。

理解はできる。だが、現実として受け止めるには重すぎた。


グンシ殿は、地図の北側へと指を移す。


「加えて――北方でも、異変が起きております」


姫の肩が、わずかに強張る。


「正体は不明。ただ、生き残った者たちは皆、同じことを申す」


一拍置いて、淡々と続けた。


「雷鳴のような音。夜を裂く閃光。

 そして、人の目では追えぬ速さで駆け抜ける“何か”」


背筋に、冷たいものが走る。


「関も村も、一息に踏み潰されたと」


――馬と鎧。


かつて見た、あの異形の姿が脳裏をよぎる。

だが、私はすぐにその連想を打ち消した。


グンシ殿は続ける。


「また、別の地では鬼神を見たという証言もあります」


喉が鳴った。


「その傍らには、蒼き容貌で、犬の面をかぶる鬼がいたそうだ」


座敷の空気が、ぴんと張り詰める。


私は無意識に拳を握りしめていた。

隣で、姫が小さく息を呑む。


やがて、グンシ殿が静かに告げた。


「なお、その鬼神は――

 現在、蒼鬼が持つ如意棒によって封じられております」


その名を聞いた瞬間、

脳裏に、かつての光景の断片が浮かんだ。


鬼に囲まれた私を逃がした、あの男――蒼鬼。


だが――

あれの目的が救いだったのかどうか。

私は、今も判断できていない。


「あくまで封印。

 鬼神は抑えられておりますが、いつまで保つかは分からぬ」


蒼鬼が鬼神を封じている。

それは事実だ。


だが、その封印を握る存在が、

こちらの味方である保証はない。


グンシ殿が続ける。


「最初は言葉が通じた。

 だが――やがて理性を失い、兵に襲いかかったと」


沈黙。


味方と呼ぶには、危うすぎる。


ジゲンは言っていた。

蒼鬼は、宝珠を持たぬ鬼だと。


それが何を意味するのか――

私は、まだ理解しきれていない。


鬼神は封じられている。

だが、その封印が解かれぬ保証は、どこにもなかった。


沈黙を破ったのは、グンシ殿だった。


「……ゆえに、我らは守りを固めねばなりません」


その声音に、迷いはない。


「鬼神が封じられていようと、

 北で得体の知れぬ凶事が動いていようと、

 この地に生きる民を、見捨てるわけにはいかぬ」


地図の上に置かれた指先が、止まる。


「玖音殿。菜垂姫」


名を呼ばれ、背筋が伸びた。


「姫君から、あなた方の事情はすでに伺っております」


私は、息を整える。


「たしかに――

 クオン殿は“本当の姫君”ではなかった」


否定する言葉は、ない。


「だが、多くの民を救ったのも事実です」


一拍。


「――炎の中で剣を振るい、人を導いた者がいた。

 その傍らで、祈りを捧げた巫女の姿を、民は見た――」


私は、何も言えなかった。


「あの夜、宵闇の中で、

 あなた方は確かに我らの“星”であった」


静かな断定。


「既に住処を奪われ、帰る場所が無いと聞き及んでおります。

 ――ゆえに、提案があります」


私は思わず姫を見る。

姫もまた、私を見返した。


「我らと共同ではありますが、

 この屋敷を住まいとして使ってはいただけませんか」


それが保護であり、

同時に役割の付与であることは、すぐに分かった。


「ありがたいお申し出に存じます。

 ……ですが、なぜ、そこまでして頂けるのですか?」


私の問いに、グンシ殿は即答した。


「都合が良いのです」


「あなた方が、この地にいる。

 それだけで、民は心を保てる」


そして、決定的な一言。


「――あなた方は、すでに、こう呼ばれております」


「宵星の巫女」


民からの信頼であり、

拒むことを許されない名だった。


「伏見で、重役たちの会合がございます。

 今後の進退を定める場です」


つまり――

私たちは、もう無関係ではいられない。


「同行を、願えますかな」


断る理由は、最初から存在しなかった。


「……承知しました」


答えたのは、姫だった。


こうして私たちは、

グンシ殿の庇護下に入ることとなった。


だが、それは同時に――

宵星の巫女として、この地に縛られたということでもある。


薄々感じてはいた。

やはり、このグンシ殿というお方は


――底知れぬ策士だ。


その視線の先で、

グンシ殿は、獲物が罠にかかったのを確かめる猟師のように、

どこか茶目っ気を含ませて、口元だけをふっと緩めた。

もし物語の欠片が心に残ったなら、ブックマークで繋いでください。

あなたの選んだ一票が、この物語を未来へ導く星となります。


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