17話 姫の理
「待て……儂の話は……」
体が動かず、
遠くで声が聞こえる。
グンシ殿が膳を片付け、私を抱え上げた。
「よほどお疲れだったのでありましょう。
寝室へお運びして参ります」
視界が揺れ、天井が遠のく。
私は部屋の外へ連れ出された。
――だめだ。
――姫から、離れるな。
そう思った瞬間だった。
「……はぁっ!!」
私は反射的に息を吸い込み、目を開けた。
グンシ殿の腕の中。
「戻らねば……!」
掴まれていた腕を振りほどき、
ふらつきながらも座敷へ戻ろうとする。
その襖の前で――
聞こえた。
赫鬼の声と、姫の気配。
私は思わず足を止める。
グンシ殿も同じように、私の隣で息を潜めた。
襖を、ほんの僅かだけ開ける。
そこから聞こえてきたのは――
赫鬼の言葉だった。
「……力こそ理であるはずだ。
弱き者は虐げられ、強き者が支配する」
赫鬼は続ける。
「蒼の鬼も、我も、同じ力を授かった。
――ただ在り方を異にするのみ。
奴は氷、我は炎。等しく強きはずの刃……」
私は、息を殺したまま聞いていた。
「だが、我が刃だけが届かず、拳のみで蒼鬼に押し負けた。
奴は言った。『理なき刃は届かん』と」
「さぁ、申してみよ。儂を縛る“理”とは何か」
沈黙。
やがて、姫の声が響いた。
「……クオンの代わりに、私が答えましょう」
その声は、震えていなかった。
「“理”とは、慈しむ心です」
炎の揺らめきが止まり、座敷に静寂が落ちる。
赫鬼が鼻で笑う。
「ばかばかしい……心などと……」
だが、その言葉は確かに揺らいでいた。
「……まだ分からぬ! それが、なぜ強さになる!」
姫は静かに答える。
「守る者が無ければ、刃に心は籠りません。
私は一撃一撃に、祈りを込めてきました」
私は、思わず襖に指を食い込ませた。
赫鬼は沈黙した。
「……確かに。見事な勝利だった」
赤き面の奥で、赫鬼の眼が揺れる。
「わしを斬ったのは、力ではない。
貴様の覚悟だ」
姫は静かに首を振る。
「いいえ。
想う心です」
赫鬼の動きが、止まる。
「誰かを守りたいと願う心。
それが刃に宿っただけ」
鬼火が一斉に揺れ、赫鬼の瞳に迷いが浮かぶ。
赫鬼は重く立ち上がり、畳を軋ませる。
「……我は、まだ理を持たぬ……と、申すか」
深く息を吐き、虚空を睨む。
「解せん。だが……否定もできん」
「グンシと言ったか。あの者に礼を伝えておけ」
そう告げると、赫鬼は庭へと躍り出た。
次の瞬間、背に炎を纏い、
大気を切り裂くように空へと舞い上がる。
轟音が夜を震わせ、鬼火が弾け飛んだ。
灯は一斉に掻き消え、世界が闇に沈む。
――そして。
一拍遅れて、夜虫の声が戻った。
冷たい風が、焼けた空気を押し流していく。
赫鬼の気配は、もう無かった。
「……はぁ……ッ。 恐かったぁ……!」
姫の泣き声。
毅然と立っていた姫は、
今はただ、従者を案じて泣くひとりの少女だった。
「ぅぅ……クオンは大丈夫なの……?」
姫が、ジゲンと共に駆け寄ってくる。
その姿を見た瞬間、胸に安堵が押し寄せた。
私は、襖の陰で、そっと目を閉じた。
――同時に。
込み上げる吐き気。
喉が焼け、視界が歪む。
「っ……」
声にならない息を漏らし、
私は泡を吹いて、その場に崩れ落ちた。
もし物語の欠片が心に残ったなら、ブックマークで繋いでください。
あなたの選んだ一票が、この物語を未来へ導く星となります。




