16話 空の膳、愛の膳
カヲルが着替えを済ませ、膳が運ばれてくる。
暗いのは好かぬ、と言い。
部屋の隅々に鬼火が灯され、橙の炎が壁に影を揺らしていた。
私は畳に座ったまま、その光をぼんやりと見つめていた。
意識ははっきりしているはずなのに、身体の芯が重い。
視界が歪む。
もはや、誰が――誰かすら鮮明ではない。
グンシ殿の隣には、赫鬼が腰を据え、堂々と杯を傾けている。
赤き猿の異様な存在感に、
誰も言葉を発せず、座敷には妙な静けさが漂っていた。
腹が鳴る。
我慢など、とっくに限界だった。
赫鬼のように、
焼き魚に手を伸ばしたい衝動に駆られる。
だが、姫は礼を重んじ、作法を崩さぬ、お方だ。
この状況でも、その姿勢は揺るがない。
……けれど。
私と姫の前に置かれた膳は、空だった。
「……あの、カヲルさん?」
声を絞り出すように尋ねると、
返ってきたのは冷たい一言。
「無いと言いましたえ」
大きなため息。
襖が閉められ、鬼火の灯が一瞬だけ揺らいだ。
胸の奥が、ひどく冷える。
だが、その直後だった。
ジゲンとグンシ殿が静かに立ち上がり、
それぞれの膳を差し出してくる。
「あの娘は言ったら聞かんからな……。
秘密ですぞ。ささ、どうぞお早く」
「姫もお腹を空かせておられるでしょう。
私は構いません」
「グンシ殿……」「ジゲン……」
遠慮して手を伸ばせない私たちを見て、ジゲンが穏やかに促した。
「さぁ。二人とも。遠慮は要りません」
赫鬼は椀ごと食らいつき、咀嚼音が座敷に響く。
……もう、限界だった。
昨夜から休みなく動き、
陽の術で体力を削られた身体は、悲鳴を上げている。
今、食べねば――本当に、死ぬという確信があった。
私と姫は、ようやく手を伸ばす。
温もりが指に伝わり、喉を潤し、胃へと落ちていく。
張り詰めていた心が、ほどけていくのが分かる。
……だが。
その安堵の奥に、
棘のような違和感が残った。
「――理を答えよ」
赫鬼の低い声。
私は食べ終えた、その瞬間――
糸が切れたように、膳へと身体を崩した。
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