12話 鬼の理
「……ジゲン。
もしや……お前が、私を呼んだ理由は……」
私は低く、問う。
ジゲンは赫鬼から視線を外さず、淡々と答える。
「赫鬼が、
玖音殿と話したいと望まれています」
――"話したい"だと……?
冗談ではない。
鉛のように重い体を引きずり、ここまで来たのだ。
赫鬼は瓢箪を掲げ、
面の奥で喉を鳴らした。
「まぁ飲め。うまいぞ」
差し出された酒には、手を伸ばさない。
「……お前は、何の目的でこの宇治に来た」
赫鬼は、肩を揺らした。
「目的、か。
天から桜の大木が落ちてきたのだ。
そりゃ驚いたものよ」
「……蠢鬼の桜か」
私は空を見上げる。
夜空を覆うように咲く、
――百を束ねた大きさの桜だ。
「あぁ。すぐさま酒をかっぱらって、飛んできただけよ」
篝火が揺れ、鬼面に影が落ちる。
その声は軽い。だが、軽さだけで済ませていい相手ではない。
「まぁそう睨むな」
赫鬼は、周囲を一瞥した。
「わしなりに、敬意を払っておる」
「貴様と……
その面を付けた女にな」
胸の奥が、わずかに軋んだ。
「だから、誰も傷つけておらん」
そう言って、赫鬼は声を落とす。
「……なにより、
あの鈴の音だけは二度とご免だ」
その一言で、場の空気が変わった。
冗談めいた調子のまま。
だが、そこに混じるのは、確かな悪意だ。
「でなければ、
ここにおる者らなど、とっくに腹の中よ」
冗談だ、と続ける前に、私は理解してしまった。
これは脅しではない。
事実を、軽く述べているだけだ。
赫鬼は供物に目を留め、干し魚を噛み砕く。
「悪くないぞ。お前らも食え」
誰も動くわけがない。
それは神へ捧げられる神聖な供物。
怒りに、拳が震えた。
「次は焼き魚も用意せい。
でなければ、全部喰ろうてしまうぞ」
私は吐き捨てる。
「次はない。
答えろ。お前は、何をしに来た」
赫鬼は、しばし黙った。
道化のような振る舞い。
だが、私は気づいていた。
この鬼は、こちらの反応を見ている。
怒りか、恐怖か、覚悟か。
ジゲンが、横目で赫鬼を見る。
「油断なさらぬよう。
どれほど道化に見えようと、
赫鬼に変わりはありません」
赫鬼の気配が、わずかに変わる。
「……何をしに、か」
盃を置く音が、妙に大きく響いた。
「我に放った、最後の一撃。
あれは、見事であった」
癒えた傷跡を、指でなぞる仕草。
「貴様の刃は、確かに我らに届きうる」
「よもすれば、
あの蒼き鬼にすら、な」
「――虚ろに笑う鬼では終わらぬ。
"理"こそ、この己を縛る鎖なのだ!!」
「儂は――
その正体を、知りたい」
その言葉に、私は息を飲んだ。
胸の奥で、何かが繋がった。
――そうだ。
私は、知っている。
山科の里で鬼が現れた時――
陰世の外で、彼らが言い争っていた。
蒼鬼の声。
――理を知れ。
吐き捨てるような声音。
あの時は意味が分からなかった。
だが今、赫鬼の視線が、その続きを語っている。
力ではなく、
勝敗でもない。
赫鬼は、試している。
自分が、何に縛られているのかを。
何があれば、なお進めるのかを。
――だが。
忠義か。
覚悟か。
祈りか。
私の理と、
奴の求める理は決定的に違う。
どれも、決定打ではない気がした。
赫鬼の視線が、離れない。
答えを知っていると、思われている。
いや、知っていなければならないと、期待されている。
だが私は――
まだ、それを言葉にできない。
この鬼が求める“理”が、
刃で示すものなのか。
生き様なのか。
それすら、掴めずにいた――。




