3話
朝、起きると黒い影はいなくなっていた。
私は布団から起き上がり、顔を洗う。
「……」
髪はボサボサで、目の下には隈がある。控えめにいっても酷い顔。夜に出会えば幽霊と間違われるかもしれない。
朝食はインスタントラーメン。とかした卵を入れて食べる。
それから、朝の支度をし、会社に向かう。
自転車はホームセンターで買ったママチャリだ。所々錆びたり、力強く漕ぐとチェーンが外れたりするが、私のお気に入りだ。
途中、昔に派遣で働いていた冷凍倉庫が目に映る。
『使えなさすぎ、クビ』
と、社員から言われてクビになった会社だ。
今思えば、人権的にどうなのだろうと疑問に思うけど、もう知ったことではない。
自転車を漕いで、職場に着く。
大きな工場だ。今の私は派遣で製造の仕事をしていた。
とは言っても社員からの扱いは冷ややかなものだ。クビになるのも時間の問題かもしれない。
「はぁ……」
仕事は嫌いだ。
仕事をするたびに、自分が否定され貶され、自分という存在がすり減ってくる。
仕事をすることは当たり前、怒られるのも当たり前。そんな一般常識が嫌いで仕方がない。
「よし……」
でも、お金のために働かないといけない。
それに、私にはちゃんとした働く理由があった。
大丈夫。頑張れる。
***
最近、真里が家に来なくなった。
新しいパソコンを買って、ネットゲームに夢中らしい。一緒に遊ぶのは職場の同僚のようだ。楽しげに話している話を聞いた。
「ねえ、真里」
「うん?」
ただ、お昼休憩の時間は一緒に過ごしてくれている。それだけが、私の唯一の楽しみだった。
「……久しぶりに、うちこない?」
「そう言えば……小鳥の家、しばらくいってないね。良いよ、飲み会しよう」
「……うん!」
仕事終わり、私達はコンビニでお酒とつまみを買う。
「生き返る……!」
家につき、お酒を飲んだ真里が決まって言うセリフだった。
「それにしても暑いね」
「うん、夏だから」
「あ、確か池あったよね?」
「うん」
ここを借りた時に一度見たことがある。けど、雑草が伸び放題で、手入れもしていないため、池は隠れて見えなくなった。
私が大体の方向を指さすと、真里は服を脱ぎ始めた。
「ま、真里……」
突然、裸になる真里。
意味が理解できなくて、頭が真っ白になる。
「ほら、小鳥も脱いで」
「……うん」
真里に急かされるまま、私は服を脱いだ。
真里は障子戸を開けて、庭に通じる窓も開ける。
「ま、真里……!」
「大丈夫! 誰も見てないって!」
真里は楽しげに笑うと、裸のまま庭に出た。そのまま草木を掻き分けていく。
「おっ、あった! 本当に池あるんだ!」
私も裸のまま、庭に出た。
真里を追うと、真里は池に入っていた。
その光景を見て、足を止める。
「ほら、小鳥もおいで! 気持ち良いよ」
真里に誘われて、私も恐る恐る池に入った。
「……気持ち良い……」
「でしょ」
ふと、空を見上げると、思わず目が奪われた。
空は曇り一つなく、月明かりと星々に照らされていた。
「良い景色だね」
「うん」
しばらく見惚れていると、真里が突然立ち上がった。
「よし、お酒持ってくる!」
「え?」
「こんな夜景を前に、飲まなきゃ損だよ!」
真里は池から上がると、お酒を取りに戻った。
「……自由」
真里を一言で表すなら自由だ。
お酒は飲みたい時にたらふく飲み。池に入りたいと思ったら入る。
その魅力に私は惹かれている。
真里はお盆にお酒とおつまみを乗せて持ってきた。池の脇に置き、真里は池に入る。
「うんうん、星空を眺めながら飲む酒は風情があって良いね!」
「そうかも」
普段と違う味がする気がする。
「明日も一緒に過ごそう……?」
「明日はごめんね。遊ぶ予定があるの!」
「……そっか」
ああ、まただ。
ドロドロとした黒い感情が溜まっていく。
真里に見せたら、絶対に嫌われるだろうね。
けど、これ以上抑えていることは出来なかった。
真里は私の友達。他の誰かの友達であって欲しくない。ただ、自分だけを見て欲しい。
「ねえ、真里」
「うん?」
「とっておきのお酒があるの……」
「え? 飲みたい!」
「……」
疑いもせずに、目を輝かせる真里。
「良いよ。けど、寒くなってきたから、部屋に戻って飲もうね」
「……了解!」
真里は敬礼をすると、池から出た。私は続いて池から出る。
「変な臭いがする……」
「……綺麗な池じゃないから……」
私達はシャワーを浴びて部屋に戻る。途中、私は冷蔵庫から酒瓶を取り出した。
「おお……高そう。本当に良いの?」
「良いよ。真里と飲もうと思って買ったものだから」
私は真里のコップにお酒を注ぐ。真里も私に注いでくれた。
「では、乾杯」
真里は一気にお酒を飲んだ。
「くぅ……結構強いね……!」
私も一口飲んだけど、結構強かった。
アルコールが鼻から抜けていく。
「私は無理かも……」
「もう、何で買ったの?」
「絵柄が綺麗だったから……」
「まあ、確かにね……」
星空を散りばめたようなラベル。そこに漢字でお酒の名前が書いてあるが、達筆すぎて読めない。
真里は酒を飲み続ける。
「あれ……」
真里が頭を左右に揺らすと、倒れ込んだ。
「飲み過ぎた……かな」
真里の瞼がゆっくりと落ちていく。
眠る真里を見つめながら、私は立ち上がった。
「真里、ごめんね」