スプーンの底
「どんな人間でも皆同じだ。くりくりの目ん玉が2つこっきりついているのだから」
「ついていなかったら? 」
「耳が2つついて……」
「ついていなかったら? 」
「鼻が1つ……」
「ついていなかったら? 」
「口が1つ……」
「ついていなかったら? 」
「頭が1つ……」
「ついていなかったら? 」
「手が2つ……」
「ついていなかったら? 」
「足が2つ……」
「ついていなかったら? 」
「………」
「………」
「身体が……」
「もしも身体が心が精神が魂が…ついていなかったら? 目が耳が鼻が口が頭が手が足が身体さえも、人間だと認められる全てが欠落していたとしても、それでも人間だと、そうでなければならないと、そう主張するとでも言うのか! 」
「そうだ」
「では聞こう。人間の要件とは? 」
「……自明だよ」
「そんなはずない。君には見えないのか? 今にも崖から落ちそうになっている憐れな子羊の群れが。導師を失い散り散りになってしまった迷える子羊が。見えないとでも? 」
「見えているさ。君が見ているのと同じように。君が今まさに言った通りのことそのままだよ。例え君が迷える子羊だったとしても、崖から落ちそうになっていたとしても、悠久の大地が君を支えていることに異論はないだろう? 人間から、人間たらしめるものを全て日の元に引き摺り出し、遍く功罪を曝け出し、人間性やら何やらを全て捧げた後に残ったもの。それが我々の人間らしさを担保する唯一のものだ」
「そんなことしたら何も残らないではないか」
「そうだとも。君がそう望むなら何も残りやしないのさ。身体も心も精神も況してや魂でさえも」
「じゃあ一体何が残るって言うのさ。搾りかすか? 」
「搾りかすか…それも良いかもしれないな。さっぱりしてて」
「……」
「別に何でも構いやしないのさ。何かが残ろうとも何も残らなかろうと。それが粉々になった氷砂糖だろうと、半分に千切れたあんぱんだろうと、白いキューブだろうと」
「……」
「ただそれが小ぶりなスプーンからこぼれ落ちない方が良いに決まってる。『ない』と言うのは『ある』と言っているのと一緒だ。『ない』というのは満杯のスプーンに一欠片の砂糖を落とすのと同じこと。だから、スプーンをひっくり返すんだ。何が落ちて、何が失われていったのか。それが分かるまで、何度でも」