第6話 憎悪
深夜0時。
この魔境深夜帯と呼ばれる時間は、退魔師の死亡率も一気に跳ね上がる。
魔力濃度の上昇によって退魔師も強力な魔術を使用できるが、それ以上に夜魔の脅威も跳ね上がるからだ。
トウヤは一人、森の中を進んでいた。右手には初代当主が使用した刀を持って。
そんな時、トウヤは見知った人を目視する。
「葵?」
「トウヤ……」
いつも二人で集まっている大きな岩がある場所で葵は膝を丸めて座っていた。葵の顔には涙の跡があって、トウヤは何かあったと察する。
「何かあったのか?」
「……ちょっと稽古が辛くて。もしかしたら、トウヤに会えるかなって出てきちゃった」
「……そうか」
(まずいな。デバイスの稽古は夜にあって、終わったタイミングということか。葵にはすぐに帰ってもらうべきだが──もう遅いか)
トウヤはこの森に何か大きな脅威が潜んでいることに気がついていた。ここで葵と別れたら、葵に被害が出るかもしれないとトウヤは判断した。
「葵。少し時間を貰えるか?」
「うん。どうかしたの?」
「俺から逸れるなよ」
「う、うん……」
いつになく真剣な雰囲気を纏っているトウヤに葵は驚くが、彼の言うことを黙ってきいてついていく。
「時刻は魔境深夜帯に突入する。俺の用が終われば、葵を送り届ける」
「用事があるの……?」
「あぁ。ちょっとした因縁さ」
森の中を進んでいく。指定された場所はこの森の中でも少しだけ開けたところだった。
そしてトウヤと葵がそこにたどり着くと、待っていたのは──火月だった。
「待たせたな」
「……お前。俺をどこまで怒らせるんだ?」
火月は自分との決闘に水を刺すような真似をするトウヤに、さらに怒りを募らせていく。
「葵とは偶然であってな。これが終われば、送り届ける」
火月もまた右手に刀を持っていた。それは稽古用の木刀などではなく、正真正銘──デバイスである。
「葵。下がっていてくれ」
「う、うん……」
葵も火月のことは知っていたが、トウヤとの関係性までは知らなかった。今、ここで行われようとしていることを葵は何となく察して、邪魔にならないように後方へ下がる。
「俺はお前に負けた。でもあれは、デバイスがなかったからだ……!」
火月はデバイスをトウヤに見せつけるように、前に掲げる。
トウヤはそれをすぐに否定する。
「勝敗はデバイスの性能だけで決まるものじゃない」
「うるさい! うるさい! お前には分からないだろう! 小さい頃からずっと、お前と比較されてきた。本家の人間よりも優秀になれと、言い聞かされてきた」
トウヤは黙ってその言葉に耳を傾ける。
その悲痛な心の叫びを聞くべきだと思ったからだ。
「お前が忌み子だと分かって、父上と母上は喜んだ。ついに分家にもチャンスがやってきたと……! そしてお前をあそこで叩きのめして、本家の権力を奪うつもりだった……! なのに! どうして、お前は邪魔をするんだ……!」
「俺たちの本分は一族内での利権争いでは無い。夜魔と戦うことが俺たちの本分だろう。身内で蹴落とし合おうことに、意味なんてないだろう」
トウヤの言葉は正論だったが、それが火月に届くことはない。彼は今、憎しみという感情に支配されているからだ。
「うるさい! うるさい! いつも分かったような口を聞くなよ! 俺は才能がある、実力もある! なのにお前はいつも余裕な態度で俺を見下してくる! 俺はお前を倒して、自分の価値を証明するんだ……!」
トウヤはこの時になって初めて、自分の今までの振る舞いが火月のことを追い詰めていたのだと理解した。そして本家と分家の因縁に囚われていることも。
ただここですべきは同情などではない。既に火月に言葉は届かない。
ならば、語り合うべきは──
「抜け。全身全霊を以て、立ち向かってこい──」
火月は「ククク……」と笑みをこぼして、デバイスを抜く。
「炎葬──起動ォオオ!!」
火月はついに自身のデバイスを抜いた。その刀身には炎が宿り、この月明かりしかない世界を爛々と照らしつける。
「ははは! これがもっている人間の力だ! それで、お前はどうなんだ? 苦し紛れにデバイスを持ってきたようだが、お前じゃそれは抜けないだろう……! なぁ、トウヤアアアアア!!」
ついに始まった正真正銘の決闘。火月はデバイスを抜き、トウヤはデバイスを抜くことは──できない。
デバイスによって強化された身体能力と魔術は、以前戦った時の比ではなかった。
(流石に速いな。これがデバイスの力か)
火月はたった一歩だけでトウヤとの距離を詰める。
デバイスは火月の流し込んだ魔力に呼応して、彼に力を与える。魔術の発生をデバイスに補助させることで、現代退魔師の実力は飛躍的に向上した。
それはたとえ──子どもであっても、例外ではない。
「ははは! これが力だ! お前にはない、正真正銘の才能だ!」
トウヤは真正面から火月のデバイスである、炎葬を受け止める。幸いなことに、鞘で受けても問題はなかった。
しかし、今となってはトウヤと火月の身体能力は互角。
(身体強化、魔術の威力も凄まじいが──《《それだけ》》だ)
トウヤはそう思考をしながら、火月と剣をぶつけ合っていく。火月のデバイスから漏れ出す炎の熱をトウヤは真正面から感じる。
トウヤにミスは許されない。火月は全力で斬りつけてきており、一瞬でも油断すれば一刀両断されてもおかしくはない。
トウヤは魔力で身体強化をすることもできないし、魔力で防御することもできないからだ。
しかし、トウヤはその状況下であっても冷静だった。
(あぁ。懐かしいな──)
想起されるのは前世の記憶。あの時代、トウヤは妖魔と戦い続けていた。全身全霊を懸けて、命のやり取りをしていた。その記憶を徐々に思い出していく。
トウヤは今までどこか自分の動きを制限していた。それは意識的なものではなく、無意識的に。
前世の経験を身体に活かすことはできていなかったが、彼は前世を思い出すことでさらに動きが洗練されていく。
「綺麗……」
ボソッと呟くのは葵だった。まるで演舞のように動くトウヤを見て、葵は純粋に綺麗だと思った。それは、有栖川家でも見たことのないような、洗練された動きだったから。
「くそ……くそ……! なんで! 俺はデバイスを持っているのに……!」
火月には焦りが募っていく。どれだけ斬っても斬っても、トウヤは全てを先回りして防御してくる。
溢れ出す炎に臆することなく、トウヤの目は火月の動きを捉え続けている。
(どれだけ動きが速くなろうと、結局はその延長に過ぎない)
そしてついに、トウヤが反撃をする。
火月は咄嗟にデバイスでそれを受けるが、後方へと弾き飛ばされてしまう。
トウヤは悠然と歩みを進めていく。
「デバイスを使うのではなく、使われている。今のお前はそれだけに過ぎない」
そしてトウヤは鞘に覆われた刀を火月へと向ける。
「それでは俺に勝てないぞ。火月」
「うるせええええええええええ! お前は絶対にここで倒す……!」
火月はさらにデバイスの出力を上げて、トウヤに向けて駆け出していくのだった。
「ふ、ふふ。あぁ、いいねぇ。青い果実のぶつかり合い。あぁ、早く食べちゃいたいなぁ……」
そんな二人の戦いを目撃している、存在は不敵に笑みを浮かべた。その肉体からは、真っ黒な液体が滴っていた──。