第17話 不知火家
トウヤは基本的に十時に起きることが多いが、今日は八時に起床していた。そして起床してから向かう先は──実家だった。
トウヤはとある事情から不知火家を出て今は一人暮らしをしている。
ただし、過去のようにトウヤは不知火家で忌み子として蔑まれているわけではない。
「兄さん。おはようございます」
「あぁ。おはよう、栞」
トウヤが実家に戻ると、すぐに出迎えてくれるのは妹の栞だった。
「朔夜兄さんは?」
「まだ寝ていると思います。今日も朝まで任務だったようなので」
「そうか。ま、起きてから話をするとしよう」
「はい」
二人はそんな会話をしながら、廊下を歩いていく。
「兄さん。少し、手合わせお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。じゃあ、道場に向かうか」
「はい。よろしくお願いします」
トウヤと栞は互いに道着に着替えて、道場へと集まった。
(やっぱり、ここの空気感はいいな)
トウヤはもうここで稽古をしていないが、やはり彼にとってこの場所は特別だった。
「では、よろしくお願いします」
「あぁ。いつでも来るといい」
「はい」
デバイスによって退魔師の能力は飛躍的に向上した。
しかし、デバイスに頼ってばかりでは実戦では満足に戦うことはできない。
不知火家ではデバイスによる稽古ももちろんだが、デバイス無しでも稽古も積極的に行うように推奨されている。
それを理解しているからこそ、栞もまた鍛錬を欠かすことはない。
「はあッ!」
栞が声を上げ、トウヤへと距離を詰めていく。
彼女は魔力を全身に流し込み、身体強化を行っており、一瞬でトウヤへと肉薄していた。
「ふ……っ!」
「はぁ……!」
トウヤと栞は互いに拳を交え、時折蹴りなど取り入れて戦いを繰り広げていく。
ただしこれは、相手を倒すという目的で行われているわけではない。
一連の型を確認する意味合いの方が強く、トウヤもまた栞の攻撃を受け流しながら自分の体の感覚を確かめる。
(強くなったな。栞)
トウヤは栞の拳を的確に捌きながら、少しだけ懐かしい感覚を覚える。
幼少期から努力を続けてきた栞は、デバイス無しの戦闘でも十分に魔力を運用することができている。
デバイスありきの戦いに慣れてしまうと、魔力の扱いが雑になってしまう。
しかし、栞の魔力運用はそんな雑さは全く存在していない。
まるで清流のように、栞は魔力を自分の体に流し続けている。
そんな妹のことをトウヤは誇りに思っていた。
そして、一方の栞は──
(トウヤ兄さん……さらに磨きがかかってる。本当に凄まじい体捌き……でも、私もまだまだやれる──!)
栞はさらに踏み込む、トウヤに向かって手刀を叩き込もうとするが──その動きはトウヤも読み切っていた。
軽く栞の足を払うと、彼女はバランスを崩してしまう。それを立て直そうとするが、すでにトウヤの拳は栞の眼前で止まっていた。
「ま、参りました」
その声を聞いて、トウヤは突き出していた拳を下げる。
「栞もしっかりと鍛錬を積んでいるようだな」
「はい。けれど、流石にトウヤ兄さんには敵いませんね。いつかは一本でも取りたいのですが」
「そうか。それなら、俺も楽しみにしてるさ」
ちょうどその時──道場に入ってきたのは、火月だった。
彼もまた十年の時を経て成長していた。身長はトウヤとほぼ同じの180センチ弱で、体格も非常に良くなっている。
筋肉質な体であり、筋肉量はトウヤよりも多いほどだ。
そして火月はトウヤに話しかける。
「トウヤ。帰ってきていたのか」
「あぁ。火月は稽古か?」
「そうだが、トウヤがいるのならば少し手合わせ願おうか」
「もちろん」
栞は後方へと下がり、トウヤと火月の二人は木刀を持って立ち向かう。
互いにすでに魔力を全身に流し込み、木刀にも魔力を施している。
確かな緊張感が──道場内に満たされる。
「──はぁ!!」
先に動いたのは火月だった。火月は上段から木刀を振り下ろすが、トウヤはそれを軽く受け流す。そして、ガラ空きになった火月の胴体に木刀を振るが──火月もそれを防御する。
それから、一進一退の攻防が続く。互いに攻撃を読み切っており、道場内には木刀がぶつかり合う音だけが響く。
しかし──火月の体が僅かにブレた瞬間、トウヤは木刀の切っ先を火月の喉元へと向けていた。
「……参った」
「火月。動きは悪くはないが、少し体幹のブレがあるな」
トウヤは思ったことを素直に口にするが、それに対して火月もまた自分の所感を述べる。
「あぁ。そこが今の課題だな。どうも魔力で身体強化をすると、感覚にズレが生まれるというか」
「ふむ……その辺りは個人の感覚だからなんとも言えないが、日頃から魔力を体に意識的に流して生活をしてみてもいいかもな」
「なるほど。確かに、それはアリだな」
建設的な会話をする二人。
火月は幼少期のような憎しみはなく、トウヤの意見を素直に受け入れていた。
そんな二人の様子を栞は嬉しそうに見つめていた。
「ふわぁ……トウヤ、来ていたのか」
そこにやって来たのは──兄である朔夜だった。長めの黒髪はボサボサで服も皺があり、まさに寝起きという姿だった。
あくびをしながら腹を掻いているその姿は、威厳は全く感じられなかったが。
「朔夜兄さん。おはようございます」
トウヤは朔夜に挨拶をする。
「あぁ。おはよう」
「お話があるのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ。別にいいぞ。じゃ、俺の部屋に行くか」
「分かりました」
トウヤはそう言ってから道場を後にしようとするが、栞もまた声をかけてくる。
「あの。私も同席してもいいでしょうか?」
それに対して返事をするのは、朔夜だった。
「ん? まぁ別にいいんじゃないか。火月はどうする?」
「自分は遠慮しておきます。元々、一人で稽古をする予定だったので」
「そうか。じゃ、行くぞ。トウヤ、栞」
三人は揃って道場から移動していく。
屋敷にいた他の一族の面々は、三人の姿に気がつくと丁寧に挨拶をする。
不知火家本家の三人は今となっては、この不知火家の中核を担っていると言っても過言ではない。
その大きな理由としては──現当主は、朔夜になっているからだ。
「朔夜兄さんは、当主になってからさらに貫禄がつきましたね」
「はは! 流石はトウヤだな! 見る目があるな!」
「……ふぅん」
トウヤはそう言うが、栞はじっと朔夜のことを睨みつける。
栞のそんな視線に気がついて、朔夜は微かに動揺を見せる。
「あ……えっと、もちろん栞には感謝しているぞ?」
「えぇ。それはそうでしょう。事務系の作業などは私が主に担当していますし、ふらっと勝手に海外に行った際にもその埋め合わせをしているのは、私なのですから」
「は、はは……! いつもありがとうな、栞! こんなにも優秀な妹を持って、俺は嬉しいぞ!」
「ふん……ま、口だけじゃなくて行動でも示してほしいですが。締め切りのある書類、まだありますからね」
「う……も、もちろんすぐに提出するさ! はは!」
たらりと朔夜は冷や汗を流す。実際、朔夜の行動をサポートしているのは栞であり、彼は栞には頭が上がらないのだ。
トウヤはそんな二人のやり取りを見て、微かに笑みを浮かべる。過去、十年前のような陰鬱な雰囲気はもう今の不知火家にはないからだ。
「それで、何用だ。トウヤ」
朔夜の自室にやってくる三人。
そこは大量の書類と本で埋め尽くされていた。
栞は手早くお茶を淹れると、トウヤと朔夜の二人の前にそれを置く。
「兄さんは海外によく行っていますよね」
「まぁ、そうだな」
「一応、海外の退魔師の情勢なども知っておきたいと思いまして。やはり、ネットの情報には限界がありまして」
「なるほど。それでこの偉大な兄を頼ったわけだな」
「はい」
朔夜はふむ、と軽く呟いてから思い出したかのように声を出した。
「あぁ。そう言うことか。トウヤは同級生のアリア=ラザフォードの件を知りたいのか」
「ご存じだったのですか?」
「まぁ留学生は珍しいからな。一応、名前は把握していた」
「なるほど」
朔夜は相変わらず自由奔放ではあるが、決して無能なわけではない。
伊達に、二十五歳という若さで不知火家の当主になっていない。
「ふむ、なるほど。完全に理解した。公安にいる人間も、俺ほど海外の退魔師を知っている人間はいないだろうからな。俺は頼るのは、いい判断だ。トウヤ」
朔夜はトウヤがなぜ自分の元にやって来たのかを完全に理解した。
(流石は朔夜兄さんだ。全てを話をしなくても、分かってくれたか)
そして、トウヤは朔夜の言葉に耳を傾ける。
「ここ最近は海外の動きも大きく変わって来ている。その辺りも含めて、トウヤの求めている話をしようか」
「はい。お願いします」