第16話 レプリカ
トウヤは突如として出現した獅子について考える。
(獅子は基本的には0時以降の魔境深夜帯に現れる夜魔。だというのに、なぜこの浅い時間に……? 加えて、特殊個体の青獅子。火属性の魔術を使う夜魔だが……色々と謎が多いな)
そして、トウヤはじっと青獅子のこと観察する。
トウヤたちのことを威嚇して、獰猛な様子が窺えるが──彼の目は微かに獅子に傷が入っていることに気がつく。
(傷があるな。それもごく僅か。他の夜魔との戦闘か、それとも──)
トウヤはこれ以上考えても答えは見つからないと判断して、戦うことを決める。
「やるしかないな」
「ですね」
トウヤは自身に追加で魔力供給はしなかった。
彼は現在、自身の魔力の根源を外部魔力貯蔵庫と定義している。
通常は僅かに魔力を自身に帯びさせており、戦闘時になるとその供給量を増やす。
ただし、本領は決して発揮しない。
十年間という時間で研鑽を積んだトウヤにとって──青獅子の相手は今のごく少量の魔力で十分だからだ。
「先に行きます──!」
先に駆け出していくのはアリアの方だった。身体強化をして一気に駆け抜けていく。
現在、彼女はハサミを分解しており、両手に二刀流のような形で持っている状態だ。
「……なるほど。そんな使い方もできるか」
彼女の後に続くトウヤは、アリアのデバイスの運用に感心していた。
「はあああああああ!」
アリアは獅子へと迫っていき、襲い掛かる鋭利な爪を弾くと、ハサミを結合。
彼女は巨大なハサミを一瞬で閉じると、青獅子の右肩付近を深く切断した。
『ギィぃいイイイイアアアアアア!!』
堪らず青獅子も真っ青な炎を口から射出して、距離を取った。
青獅子は呻き声を上げるが、まだ目は死んでいない。近距離戦は分が悪いと判断して、遠距離から青獅子は巨大な炎の球を放ってくる。
アリアはそれを切断しようとハサミを構えるが──その青い火球は、颯爽と前に出たトウヤが斬り裂いていく。
「左右同時に攻めるぞ」
「はい!」
戦闘の最中、アリアはトウヤのことを目の端で捉えていた。
(綺麗……とても綺麗な動き)
トウヤの卓越した動きにアリアは見惚れていた。
(魔力も少ない。デバイスも平凡。でも、トウヤさんの動きはあまりにも無駄がない。それこそ、何十年も研鑽を積んできた達人みたい……)
トウヤの動きは幼少期から洗練されていたが、今はすでに完成形の域に達している。
魔力を使わずとも、無銘の本領を発揮せずとも──ステージ3程度ならば単独で撃破できるほどだ。
「はあッ!」
一閃。トウヤとアリアは互いに青獅子を挟み込み、深く腹部を切断した。
『ガッ……ウ……グゥウウウ……』
そして存在を保つことができなかった青獅子はパッと粒子になって消え去っていった。
「ふぅ。こんなものだな」
「はい」
トウヤは納刀し、アリアも巨大なハサミを小さくしてからアタッシュケースへと仕舞った。
突然の高位の夜魔であっても、この二人であれば十分に対応することができた。
「アリアは──」
「は、はい! なんですか?」
少しだけ呆けていたので、アリアは返事が遅れてしまう。
「アリアは相当の努力をしているんだな。あの巨大なハサミを扱うのは、かなり苦労するだろう。身体強化とデバイスへの魔力供給のバランスもあるしな。思った通り、君は優秀な退魔師なんだな」
トウヤはアリアの戦闘を見た所感を述べる。
それはお世辞などではなく、純粋な言葉だった。
皐月が嘘をついているとはトウヤは思っていなかったが、実際に彼女の戦いを見てトウヤはそう思った。
「あ……え、えっと……」
突然言われた言葉にアリアは呆然とする。
目を大きく見開いて静止したアリアにトウヤは声をかける。
「すまない。気に触ることを言ってしまったか?」
「あ、すみません! なんでもないんです。トウヤさんも凄かったですよ!」
まるで何事もなかったかのようにアリアは振る舞うのだった。
そして二人は初任務を無事に終えて、帰路へとつく──。
自宅に戻ったトウヤは、スマホに通知が入っていることに気がつく。そして彼はメッセージアプリを起動してすぐに返事をする。
栞『兄さん。週末、遊びに行ってもいいですか?』
トウヤ『あぁ。もちろん大丈夫だ』
栞『あの……アリアさんも誘ってもらえませんか? 私から誘うのは少しだけ恥ずかしいので』
トウヤ『分かった。アリアも誘っておく』
ちょうど任務の前にまた一緒に遊びたいと言われていたので、トウヤは良い機会だと思った。
「えっと……週末、うちの家に来ないか? 栞も一緒だ。ぜひ、検討してほしい。っと、こんな感じだな」
そしてトウヤは手早く就寝の準備をすると、睡魔に身を任せてすぐに眠りに落ちるのだった。
†
アリアはトウヤにマンションの近くまで送ってもらい、エレベーターに乗っていた。
そして、部屋に入ろうと鍵を出すが──扉はすでに開いていた。
「あ……」
部屋には、すでに明かりがついていた。
彼女はそれに気がついて、緊張した様子を見せる。ごくりと喉を鳴らし、手は微かに震えていた。
部屋の中に入るとそこには、一人の男性がテーブルについてた。
テーブルには赤ワインとカットチーズが置かれていて、彼はそれを口にしていた。
「帰ったか。アリア」
「……はい。ルーク様」
綺麗なブリティッシュアクセントの英語でその男性はアリアに話しかけ、彼女も同様に英語で答える。
金髪碧眼であり、アリアと同様の美貌を持った男性がそこにいた。
彼の名前はルーク=ラザフォード。
アリアの実兄であるが、彼女は彼のことを兄という敬称ではなく、様付けで呼んでいた。
そして、アリアの表情は依然として曇ったままである。
「どうだ? 無事に討伐したか?」
「では、あれはルーク様が」
「あぁ。ちょうどいい夜魔がいたからな。お前らに仕向けてみた」
「そう……ですか」
ルークは自身のデバイスを使って青獅子を軽く痛めつけて、トウヤたちの前に追いやったのだ。
そのことはアリアに共有されておらず、ルークも全く悪気はなさそうだった。
「で、お前から見てシラヌイはどう見えた?」
アリアは感じていた。
トウヤには特別な何かがあると。それは明確な根拠があるわけではなく、直感。
しかし、そのことをアリアは──
「平凡な退魔師だと思います。動きはそれなりですが、やはりただの忌み子でしかないかと。魔力量もデバイスも平均以下でしかありません」
「ふむ。まぁ、流石に彼がコードネーム《エクストラナンバー》ではないか。そうなって来ると、一級退魔師に上がった兄の方が可能性としてあり得るか」
「……」
それは独り言のようなもので、アリアは特に何か答えるわけはなかった。
彼女は下を向いてただじっとしているだけだった。
「おい」
瞬間。パンッ! と乾いた音が室内に響いた。
それはルークが躊躇なく、アリアの頬を思い切り叩いたからだ。
彼女の頬は真っ赤に腫れ上がっていた。
「誰が顔を下げていいと?」
「も、申し訳ありません……ルーク様」
「お前は劣化品ということを忘れるな」
「はい。もちろんです……」
そしてルークが立ち上がると、彼の体はワインのボトルに触れ、床に落ちてしまう。
パリン、と音を立ててワインの瓶が割れ、中身が床に散乱する。
「片付けておけ」
「はい」
「では、私は帰る。何か進展があったら報告しろ。私は引き続き、《エクストラナンバー》を探る。ラザフォード家再興のために、お前も全力を尽くせ」
「はい。承知いたしました」
そしてルークが出ていってから、アリアは床に散らばったものを片付ける。
「……いたっ!」
その時、瓶の破片が彼女の指を軽く裂いた。じわじわと血が流れてきて、彼女はそれを冷たい目で見つめる。
ちょうどその瞬間だった。
アリアのスマホにメッセージ通知が入る。
トウヤ『週末、うちの家に来ないか? 栞も一緒だ。ぜひ、検討してほしい』
それはトウヤからのもので、とてもシンプルな内容だった。しかし今の彼女にとって、それは救いですらあった。
「トウヤさん……」
ボソリとアリアは彼の名前を呟くと、静かに涙を流した。
スマホを大切そうに抱え、体を小さくすることしか今のアリアにはできない。
彼女の悲しみは──まだ、トウヤに届くことはなかった。