第12話 留学生
皐月はタバコを灰皿にトントンと押し付け、吸い殻を落とす。
「スパイ、ですか? それは本当なのですか」
「あぁ。すまない。あくまで、私の推測の域に過ぎない。決定的な証拠があったわけではない」
トウヤはまだ困惑していた。流石にスパイ活動とし学院に入学するのは、あまりにも目立つと考えていたからだ。
「お前も察しているとは思うが、留学生という制度は存在する。しかし、基本的に退魔師が他国に行くことはない。まぁ、稀に修行で国外に行ったりもするがな」
そして、皐月はさらに言葉を続ける。
「退魔師が国外に出ることは、国力の低下に繋がる。仮に優秀な退魔師が現地で結婚なんてしたら、お手上げさ。この業界ではハニートラップも決して珍しいものではない。ランクの高い退魔師が国外に出ると、美男美女が寄ってくるのはよくある話だ。私も経験がある」
「え……そうなんですか?」
流石にトウヤもハニートラップまであるとは考えておらず、少しだけ驚きで目を見開く。
「あぁ。実例もいくつかあるしな。ま、私はそんな馬鹿な策には引っかからないが」
「それとは関係なく、皐月さんはモテそうですが」
「ふ。お前も口が達者になってきたな」
皐月はタバコの煙を吐き出す。一方のトウヤは、まだまだ自分はこの業界のことを知らないと痛感する。
(ハニートラップか。まぁ、一応国力を高めるために他国の優秀な退魔師を取り入れるのは、合理的な策ではあるか)
「といってもそれを防ぐためにも、国は退魔師が国外に行くことを認めるケースは少ない。あ、お前の兄の朔夜は例外だがな」
「あはは……確かに、兄さんは特別ですから」
トウヤの兄である朔夜は未だに武者修行と称して、偶にふらっと海外に行ってしまう。そのことについて、トウヤも栞から愚痴を聞いているのでよく知っていた。
「話を戻そう。つまり、彼女の存在は何かあると考えるべきだろう。純粋な留学もあり得るが、注意しておいて損はない」
「しかし、正規の手続きをして入学したんですよね?」
「あぁ。筆記試験、実技試験、面接も正規の手順をクリアしている。合格基準は全てクリアしているし、退魔師としての実力も申し分はない。私も流石に彼女を不合格には出来なかったが、あれほど優秀な人材を外に出す理由は不明だ」
「なるほど……」
容姿端麗、頭脳明晰、さらには退魔師としての実力も皐月が認めるほど。
そうなってくると、国外にわざわざ出る理由もない。トウヤもまた、なぜ彼女がこの学院にいるか不明だった。
「イギリス政府も許可しているのも不可解だ。やはり、一年前の百鬼夜行が関係しているかもしれない。お前が力を解放したのはおそらく、世界的に確認されている可能性があるからな」
「なるほど……その人物を特定するために、日本に派遣されたと?」
「可能性としてはゼロではない。トウヤの情報は完全に秘匿されているが、日本の情報統制も完璧ではないからな」
トウヤは顎に手を当てて思考する。
(そう考えると、俺に近づくためにやって来たのか? しかし、それにしてはあまりにも露骨すぎるか。裏の裏、ということか?)
皐月はタバコを灰皿に押し付けてから、言葉を発する。
「ただラザフォード家の人間を出すのは、あまりにもリスキー過ぎる。逆にそれがブラフになっているのかもしれないが」
「すみません。ラザフォード家はどのような家柄なのですか?」
「あぁ。一応、共有しておこうか」
皐月はスマホを取り出し、トウヤにそのデータを共有する。データを受けとったトウヤはサッと、その情報に目を通す。
「なるほど……イギリスの元名家ですか」
「あぁ。名門の退魔師家系だったらしいが、今は没落しかけている。が、貴族であることに変わりはない。伝統と血統を重んじる、かの国がどうしてラザフォード家の人間を国外に出すことを許可したのか。私もまだ測りかねている」
「なるほど。では、自分の役割は──」
トウヤは今までの会話を聞いて、なぜ自分が呼びだされたのかを理解した。
「話が早くて助かる。彼女にそれとなく探りを入れてくれ」
「分かりました」
「ま、流石にスパイだとしてもすぐにお前に接触するとは思えないがな。あくまで留意しておいてくれ」
トウヤもまた同じ結論に至っていた。
(まぁ、同じクラスなんだ。いつか話す機会はあるだろうし、その時にそれとなく色々と聞き出してみるか)
「では話は以上だ。すまないな、時間を取らせて」
「いえ。皐月さんには恩がありますから」
そうしてトウヤは丁寧に一礼をして出て行こうとするが、去り際に皐月が声をかけてくる。
「あぁ、そうそう。トウヤ、ラザフォードを惚れさせてもいいぞ。日本の国力が上がるのならば、大歓迎だからな」
皐月はニヤッと笑ってそう言ったが、もちろんトウヤも冗談だと理解している。
「はは、流石にあり得ませんよ」
†
「すみません。所用で遅れました」
教室内に戻ると、トウヤに全員の視線が集まる。
「あ! 不知火くん! 遅いですよ!」
そこには担任の女性が立っており、トウヤにそう声をかけた。
「すみません」
「今後は気をつけてくださいね?」
「はい。すみませんでした」
深くを頭を下げて、トウヤは自分の席に着席する。同時に教室内でヒソヒソと小声が響く。
「御三家だからって、何なのかしら」
「ね。でも彼って忌み子でしょ? そもそもここにいるのが間違いなんじゃない?」
それを聞いて葵は不機嫌な表情になるが、トウヤは全く気にしていなかった。
「では、不知火くんも来たので、大切なお話をします」
担任の星乃宮朱莉はタブレットを取り出して軽く操作をする。
「今、全員に今後のスケジュールを送信しました。まず直近は、二人一組のデュオで任務に当たってもらいます。基本的に日中は一般高校と変わらず、教養の授業があり、夜になってから実技演習などをしていきます。二年生になってからはほぼ演習で、三年生になると一人で任務に当たってもらうようにもなります」
トウヤはスマホに送られたデータを見て、今後のことを考える。
(デュオで任務か。こればかり良い機会だが、俺が彼女と組みたいと言うと流石に不審か? 一応は俺は御三家の人間。相手に警戒される可能性もあるよな)
「組む相手は一週間以内に決めて提出してください。余った人はまぁ……こっちで何とかするので! じゃ、ホームルームは終わりで〜す!」
担任の朱莉はそう言って教室から出て行った。
手短に終わったホームルーム。今日はこれで一年生の日程は終了し、各々が帰宅することになっている。
すでに教室内ではデュオ相手を決め始めている生徒もいた。その中で、葵はすぐに立ち上がってトウヤに声をかけようとするが。
「トウヤ──」
しかし、虚しくもトウヤに先に話しかけたのは──アリアだった。
サラリと長い金色の髪を流してアリアはトウヤの机の前に現れる。
その宝石のように輝く碧い瞳が、じっとトウヤのことを見つめる。
周囲の生徒は突然の出来事に、黙って二人の様子を窺っている。
「初めまして。私はアリア=ラザフォードと申します」
「不知火討夜だ。それで、何か用だろうか?」
トウヤは急に話しかけてきたソフィアに対して、少しだけ身構える。
(いや、まさかあり得ないだろう。俺は彼女と話したことはないし、関係性もない。仮にスパイ活動をするとしても、あまりにも露骨だ。流石に誘ってくる可能性は限りなく低いと思うが。ま、きっと挨拶程度のことだろう)
しかし、トウヤの予想に反する言葉をアリアは発する。
「不知火さん。私のデュオ相手になってくださいませんか──?」