第11話 入学式
「では、私はこれで」
栞は二人にそう言って別れようとするが、じっと半眼でトウヤのことを睨みつける。
「兄さん。くれぐれも、変なことはしないように」
「ん? あ、あぁ」
いまいちピンと来ていないトウヤはとりあえず返事をしておいた。
「まぁまぁ。私がいるから大丈夫だよ、栞ちゃん」
「……牛乳」
葵がそう言うと、忌々しそうに栞は葵の豊満な胸を睨みつけながら呟いた。その目には憎しみのような感情が宿っていた。
「ちょ、ちょっと! その呼び方はやめてって言ってるでしょ!!」
そんなやりとりもありつつ、栞は二人と別れて学校へと向かうのだった。
「はぁ……もう。栞ちゃんってば……」
そして、トウヤと葵は学院へと向かう。
二人が入学するのは退魔師を育成するための高等学院であり、厳しい基準を突破した人間しか入学することは許されない。
それほどまでに退魔師になるということは、特別なことなのである。
「葵。昔から思ってるんだが、どうしてそこまで栞と仲が悪いんだ?」
通学途中、トウヤは疑問に思ったことを尋ねる。
「……鈍感」
ぼそっと葵は呟くが、トウヤはそれを聞き取ることはできなかった。
「ん? すまない。聞こえなかった」
「別に仲が悪いってほどじゃないわよ。ま、ライバル視してるって感じ?」
「ふむ。確かに、葵も栞も素晴らしい実力だからな。なるほどな」
勝手に実力の話と思い込んでトウヤはそう納得する。
「トウヤは制服似合ってるね」
話題を変え、葵が制服について言及する。
「そうか?」
「えぇ」
学院の制服はブレザーを採用しており、二人とも新品のブレザーに身を包んでいる。
トウヤはその筋肉が制服の上からでも分かるほどであり、制服をしっかりと着こなしている。
「葵もよく似合ってるぞ」
「……ありがと」
トウヤも微かに笑みを浮かべて、葵の制服姿を褒める。
(別にトウヤは特別な意味を持って行ってない……言ってないけど、うぅ。私って単純なんだから……!)
葵の頬は微かに赤くなっているが、もちろんトウヤが気がつくはずもなく。
しばらく歩みを進めると、二人は学院へと辿り着いた。学院自体は都内の一等地にあることもあって、それほど建物は大きくはない。
しかし、数年前に改修工事が入ったことにより、学院の外観はとても綺麗だった。
「おぉ。綺麗だな」
「ね。別に関係はないけど、綺麗だと気分もいいね」
「そうだな」
入学式当日だが、学院内にいる生徒はそれほど多くはなかった。
学院全体の人数はそれほど多くはなく、全体でも百人に満たない。
今年入学する生徒の数も三十人程度である。
「ねぇ、ねぇ。あの噂聞いた?」
「あー。新しい一級退魔師の話?」
「うん。なんでもすごい若いって噂らしいよ」
「へぇ。もしかしたら、私たちと同い年だったりして」
「いやいや、流石にあり得ないでしょ〜」
生徒たちが各々会話をしながら、校舎へと入っていく。
退魔師育成高等学院の生徒はデバイスの可視化を特に義務付けられておらず、それぞれ個人の裁量に任されている。
トウヤも葵はデバイスは具現化してはいなかった。
「えーっと。教室は……」
学年ごとにクラスは分かれておらず、一学年に一クラスが基本になっている。
「こっちよ。トウヤ」
「あぁ。助かる」
トウヤは葵に促されて、校舎内を進んでいく。
そして彼は物珍しそうに、周囲を見渡す。
「そんなにキョロキョロしてどうしたの?」
「いや、しっかりと結界が張られていると思ってな」
トウヤは校舎に展開されている結界を凝視していた。これだけ高度な結界を維持しているのは、流石だなと内心で思う。
「ま、学院長は一級退魔師だしね」
そんなやりとりをしつつ廊下を進んでいると、その途中でなぜか生徒たちが溜まっていた。
大騒ぎになっているほどではないが、流石にそれに違和感を覚える二人。
「なんだろ」
「何かあるのか?」
疑問に思った二人が進んでいくと──そこには一人の女子生徒がいた。
教員と話をしているようだが、特筆すべきなその容姿だった。
金髪碧眼。その双眸はまるで宝石のように碧く光り輝いているようだった。そして、雪のような純白の肌に高くまっすぐ伸びる鼻、さらに血色のいい唇。
サラリと流れるその金色の髪も彼女の存在を際立たせている。
おおよそ、浮世離れした美少女がそこに立っていた。
その女子生徒は見られていることに気がつき、軽く会釈をしてからその場から去っていった。
「留学生か」
「あー確か、噂で聞いたかも。イギリス出身らしいよ」
「なるほど。しかし、珍しいな。退魔師が留学とは」
夜魔の存在は世界的に確認されており、各国は退魔師の育成に力を入れている。
その中でも日本は、世界でもトップクラスの退魔師たちが揃っている。
数年に一度、交流目的で開催される国際戦では日本が何度も一位を獲得しており、確かな実績がある。
過酷な日本で研鑽を積むために留学する退魔師もいるが、それはやはり稀である。
退魔師は国力そのもの。国外に放出することは基本的にはあり得ないからだ。
「留学かぁ。私からしたら、考えられないかも」
「まぁ、葵は英語ができないからな」
「う……だ、だって難しいだもん! もうペラペラなトウヤがおかしいんだって!」
「そうか? ま、学院では一般教養もあるからな。頑張れよ、葵」
「うぅ……で、でもトウヤが教えてくれるよね?」
葵は懇願するような目で、トウヤのことを見上げる。
「別にいいが、栞が怒るんだよなぁ。あんまり甘やかすなって」
「じゃ、じゃあ……私の部屋とかでもいいよ?」
「確かに。それだといいかもな」
そんな会話をしているが、トウヤはじっと先ほどの留学生の背中を見つめていた。
(留学生か……まぁ、別に関係はないと思うが)
「トウヤ」
「なんだ?」
「流石に見過ぎ」
「あぁ。すまない」
葵は半眼でじっとトウヤのことを見つめる。明らかに葵は不機嫌な雰囲気を醸し抱いていた。
「へぇ。トウヤも意外とミーハーなんだね」
「なんの話だ?」
「別に〜?」
「?」
そして、二人は入学式へと臨む。
体育館に一年生たちが集合する。トウヤと葵は最前列に着席し、入学式が始まるのを待っていた。
「ねぇ、あれって」
「忌み子でしょ」
「らしいね。御三家だけど、魔力がほとんどないとか」
「コネで入学したんじゃない?」
後ろの方からそんな声が聞こえてくる。あまり大きな声量ではなかったが、その声はトウヤたちにまで届いていた。
「……ちょっと私、訂正してくる」
立ちあがろうとする葵をトウヤは止める。
「いいさ。別に全ての人間に理解してもらおうなんて思ってない」
「でも……」
「下手に目立ちたくはない。そのままでいいさ」
「……分かった」
そうしてついに入学式が開始となった。
学院長である一級退魔師の皇皐月が壇上へと上がってくる。
黒い髪は顎下のラインで真っ直ぐ切り揃えられ、凛とした顔つきをしていた。
「入学おめでとう諸君。厳しい入試に合格し、この学院に入学したことを心より祝福する」
皐月の凛とした立ち振る舞いによって、この空間が緊張感に包まれる。
日本に七人しか存在しない一級退魔師の一人である彼女を、生徒たちは憧れの目で見つめる。
「しかし、ここはスタート地点に過ぎない。厳しいことを言うが、ここにいる生徒は全員が卒業することはできないだろう。それは、この学院の卒業基準が厳しいこともあるが、最大の理由は──在学中に負傷または死亡するからだ」
皐月は生徒たちに厳しい現実を突きつける。
「この学院に入学した時点で君たちは五級退魔師になるが、その自覚をしっかりと持ってほしい。在学中にある任務の難易度は決して低くはなく、夜魔と命のやり取りをすることになる」
皐月は最後に締めくくりの言葉を述べる。生徒たちも彼女の発言に飲まれており、ほぼ全員が依然として緊張感を保っていた。
「退魔師になる覚悟。それをしっかりと自覚して、この学院での生活を送ってほしい。私からは以上だ」
学院長である皐月は挨拶を終えて壇上から降りていく。その際、彼女は一人の生徒に視線を送る。それは──トウヤだった。
トウヤは軽く会釈をして、皐月の視線に応じる。
続いて新入生代表の挨拶に移行するが、代表は新入生の中でも入試成績がトップの人間が務めることになっている。
「新入生代表、有栖川葵」
「はい」
葵が凛とした声を上げて、立ち上がる。壇上へと歩みを進めていき、葵は新入生代表の挨拶を行う。
その様子をトウヤは見つめていた。
(昔はよく泣いていたが、立派になったな)
そうして入学式は無事に終了し、生徒たちは教室へと戻っていく。
その中でやはり目立つのは、金髪碧眼の女子生徒だった。生徒たちはほぼ全員が、彼女のことを噂していた。
「ん?」
トウヤはスマートフォンのメッセージアプリの通知に気が付く。
彼はそれを確認すると、葵に一声かける。
「葵。先に行っててくれ」
「え? 今からホームルーム始まるけど」
「すぐに戻る」
「あ。ちょっと! 初日からサボりはよくないよ、トウヤ!」
葵の言葉を最後まで聞くことなく、トウヤは足早にその場から去っていく。
学院の構造を正確に把握しているわけではないが、トウヤはある一室だけは定期的に訪れた経験がある。
トウヤは呼び出された場所に着くと、ノックをする。
「入って構わない」
「失礼します」
そこは学院長室である、先ほど挨拶をした学院長の皇皐月がそこにいた。
室内はしっかりと整えられており、彼女の実直さが窺える。
「久しぶりだな、トウヤ」
「一ヶ月ぶりですね」
「あぁ。改めて、百鬼夜行では世話になったな」
「いえ。自分の責務を果たしただけです」
「ふ。相変わらず、十五歳とは思えないな」
皐月は会話をしながら、タバコに火をつけて煙を吐き出す。
「電子タバコにしたのでは?」
「あれは味気ない。やっぱり、紙だ紙」
「校内は禁煙だと思いますが」
「この部屋だけは許可されている」
「本当ですか?」
「あぁ。今私が考えた」
「……」
トウヤはそんな様子の皐月を見て、軽くため息をつく。
相変わらず、自由な人だとトウヤは思うのだった。もっとも、彼も傍若無人ではないことは承知しているが。
「さて、留学生のアリア=ラザフォードは知っているか?」
「はい。とても目立っていましたが」
名前までは知らなかったが、留学生の存在は知っていたのでトウヤは頷いて肯定を示す。
「単刀直入に言おう。彼女はスパイの可能性がある──」
「え──?」
流石に予想していない展開に、トウヤは唖然として声を漏らすのだった。