015_APPENDIX:ある古エルフの執着
■APPENDIX:ある古エルフの執着
私は生まれて初めて喪失感というものを感じていた。
“執着”などという感情など、私は自身の命以外に終ぞ持てないだろうなどと思っていたが、実のところそうではなかったようだ。
無駄に長い生を受けたことを呪わしくも思う。執着の結果生まれたこの喪失感と共に、私は果ての無い時間を生きなくてはならないのだ。
気まぐれな精霊がなにを思ったのか、好奇心の赴くままに受肉し世界に顕現した。
その精霊が世界の刺激に触れ、歓喜し、より多くの刺激を求めるべく分化した。それが後の妖精種と呼ばれる存在の祖と云われている。
いわゆるエルフ、ドワーフ、ホビットなどと呼ばれる種族。
ほかにも妖魔などと呼ばれる種族の一部も、その精霊より分化した個体の末裔であるとも聞いている。その真偽は不明だが。
古エルフとして生まれた自分は、里で200年程暮らしていた。
そこで幾人かの死に至る姿を目の当たりにした。
子供の頃は一日一日がとても長かった。歳を経るにつれ、それがどんどん短くなっていく。
時間感覚は外部より得られる刺激、情報により左右される。
得られる情報が多ければ多いほど、脳が記憶すべく処理をするのに掛かる時間が増える。即ち、時間を長く感じることとなる。
一度知った情報は、違いが無ければ処理されることはなく流される。
脳が処理する情報数は一日一日減っていく。
そしてそれが0となる時。なんの感動を感じることも無く、ただ無表情に毎日をゴーレムのように淡々と過ごすことになるのだ。
そしてそれに飽いた者は眠ったまま目覚めることなく、朽ちていく。
元は精霊であった我らだ。人の血の混じっていない古エルフには基本的に寿命はない。ただ朽ち、土に還るだけだ。
里の幾人かがそうやって目覚めなくなるのを見てきた。
そして眠ることを私は怖れるようになった。はたして、明日、私は目覚めることができるのだろうかと。
たとえどんなに生きることが無味乾燥なものとなろうとも、私はそれを怖れた。だから新たに生まれた子供たちに、私は私の知ることを教えることで、僅かでも刺激を求め続けた。
でも、それも長くは続かない。
目覚めぬ眠りにつく者よりも、生まれ来る者のほうが僅かながらに多いとはいえ、生徒となる者が絶えずいるわけではない。
生まれてより約200年。私は新たな刺激を求め里を出た。
里の者に比べ、私にとって死に至る眠りはあまりにも恐ろしいものだったのだ。
長い放浪の末、人間の里の外れに居を構えた。適当に薬品を作り、冒険者ギルドに売り生計を立てる。
里にいた頃には考えられないような生活ではあったが、それは私にとって必要なものでもあった。
あらたな情報、刺激は私のもつ恐怖を薄めてくれる。
だが、邪な考えを持ち寄って来る人間には辟易とした。幸い私が居とした場所には、私が招いたもの以外は入れないように術を施してあるため安全だ。
ただ薬品を売りに冒険者ギルドへと赴くときだけが、実に面倒だった。
どうやら私の容姿は彼らにとって魅力的であるらしい。ついでに私が女であることが、それに拍車を掛けたようだ。
煩わしさはあるが、僅かならでも生きる糧にはなっているものだ。身に危険が及ばぬ限りは容認しよう。不快さもまた、私が生きる糧となっているのは事実だ。
そんな生活となって10年も経ったころだろうか。
ギルドに依頼することで得ている、ダンジョン内にのみ植生する特殊な植物素材の質が格段に良くなった。
受付のギルド職員に確認したところ、新人のベテランが熟しているという。
私が依頼している植物素材は、ダンジョン中層最奥、下層への門の近くにあるものだ。当然、そこへと行き着くことのできる者は限られる。そしてそんな場所にまで行く者は、そのまま門番に挑むのが目的だ。故に、私の依頼はそういった者たちが事のついでに行っているようなものであるのだ。
そのため、直後の主との戦いのために素材が痛むのは茶飯事……というか、まともな状態で私の手に渡ったことなどなかったのだ。
それが完璧に近い採取状態で納品されているのだ。気にならないわけがない。
そして確認して返って来た答えが“新人のベテラン”。矛盾していないか?
「彼はギルドに属す前から、ダンジョンに入り浸っていたのです」
ダンジョンはギルド所属でなくとも出入りすることはできる。もっとも、ギルドに属さない者、すなわちいわゆる一般人は、比較的安全な1層や2層で薬草採取や弱い魔獣を狩って僅かな金銭を稼ぐ程度だ。孤児院の子供や、仕事にあぶれた者がウロウロしているだけだ。なにせギルドからの支援が一切ないのだ。危険なことはできない。
冒険者たちはそれを知っているから、浅層を足早に抜け、上層、中層へと向かうのだ。彼らの食い扶持を奪わないために。
だが件の彼は子供の時分から浅層ではなく、中層以降で活動しいたという話だ。はっきりいって、自殺行為の狂った所業だ。
興味が湧いた。
好奇心などというものが、まだ私の中に残っていたのかと、僅かながらに驚きながらもその彼を確認することに決めた。
後日、ギルドにて範囲指定型の隠形魔法を掛け、私はギルド受付フロアの隅に立っていた。
フロアにいる者は私を認識する事はかなわず、また私の立っている位置を無意識的に避ける魔法だ。ただし、受付カウンターより向こう。ギルド職員のいる範囲は魔法範囲外としてあるため、私が静かにひとり佇んでいるのは見て取れる。
彼らにも認識されずにいると問題行動をしていることになってしまうため、このように少しばかり面倒な形で魔法を発動させた。
その日に彼が来るだろうとギルド職員からは聞いていた。そして、その言葉通り彼は現われた。
その姿は異質だった。
見慣れぬ様式の黒づくめの服装。そして腰に下げられている見たこともないナニカ。恐らくは武装であろう。左腰に佩いでいる剣も特殊だ。革製の鞘のサイズからして、まるで鉈を無理矢理剣の形にでもしたかのような代物だ。ショートソードサイズのブロードソードといったところか。
実に興味深い。
全身黒づくめの彼は、冒険者たちから“烏”とか“黒塗り”などと呼ばれているようだ。前者はともかくも、後者は明らかに蔑称だ。
だがその蔑称も妬みからくるものだ。
なにせ彼は“頂点”と呼ばれる9人の内のひとりであるのだ。
彼が用事を終え、ギルドから出たところで私は声を掛けた。
その日を境に、私の生は子供の頃のような彩に溢れた。
★ ☆ ★
彼が戻ってこない。
冒険者にはよくあることだ。戻ってこない。即ちそれは、活動拠点を移した、もしくは命を落としたかのいずれかだ。
なんの前触れもなく拠点を移すということは、いうなればその土地からの逃亡と同義だ。犯罪行為でも起こす、或いはなにかしらのトラブルにでも見舞われでもしなければありえない。そして彼は犯罪行為などしないであろうし、なにより“頂点”と呼ばれる者のひとりであるのだ。トラブルなど向こうから避けるか叩き潰されるだろう。
となると……そう、命を落とした。ということだ。
存命が絶望的となった時、私の中からごっそりと何かが抜け落ちた感覚に襲われた。
それこそが喪失感であると自覚したのは、ギルドでそのことを告げられた時のことだ。
彼は私の依頼を受けていた
ギルド職員から依頼破棄の是非を問われた。
気付けば自室のベッドに座り込んでいた。
いつの間に帰って来たのかも覚えてない。
日も沈み、もう真夜中の時分で部屋の中は真っ暗であるというのに、エルフ特有の暗視能力で室内がはっきりと見て取れることが何故か恨めしかった。
私の中から喪われたモノ、それが“好奇”であるのか、それとも“執着”であるのかは分からない。
まさかとは思うが、“恋慕”であったのだろうか?
だがもう、それも確かめようがない。
ベッドに横たわる。
自宅でありながら、見慣れぬ天井。
“死”に至ることを怖れた私は、ここ100年は睡眠をとっていない。生物よりも精霊に近しい私たちは、睡眠は必ずしも必要なものではない。
もっとも、肉体のケアはしっかりとしておかなくては、眠りの果てに迎える“死”ではなく、普通に肉体が“死”を迎えてしまう。
さすがに不摂生が元での“死”は、私たちエルフにとって恥だ。
そんなくだらぬことを思いながら、私は目を閉じた。
もう、なにもかもがどうでもよくなっていた。
目が覚めた。
もう意識が賦活することなどないだろうと思っていたのに。
あれからどの程度時間が経った? いや、それはどうでもいい。
侵入者。
この場には誰も入れないはずだ。
この家の周囲の森には、幾重にも【彷徨】の術を施してあるのだ。私が許可を与えた者でもなければ――
許可!?
私は飛び起き、家から飛び出した。寝食するだけの小さな家だ。外へなどベッドから20歩も掛からない。
転げ落ちるように外に出た私が見たモノは、記憶にないが、恐らくは私が仕掛けたであろう【蔦】の罠魔法に掛かった同族の少女。
思わず私は目を瞬いた。だが――
「ぃよぅ、久しぶり。つか、なんて格好だ。服ぐらい着て外に出ろ。目の毒だ。ところでだ、この罠、壊して構わないか? 前に来た時はなかったよな? まったく察知できんかったぞ。さすがは古エルフの秘術ってところ――だぁぁっ! 変なとこ触んなエロ植物!!」
少女が騒ぐ。
その姿はまさに私と同じエルフ。でも、その発せられる精気の色は――
「あぁ、そうだ。すまんが依頼は失敗した。見ての通りちょっと死んじまってな。紆余曲折あってこの姿で生き返――」
私は駆け出した。
駆け出し、蔦から引き剥がし、抱きしめた。
「ぅおぃ、なんか情熱的だな。どした? らしくないぞ」
らしい“彼”の言葉。口調。
姿は変わった。でも間違いない。嘘はない。
私はぎゅっと抱きしめる。
もう、離さない。
――もう、絶対に離れない。




