09
あれからクラスメイトたちが、私に声をかけてくることはなく。代わりに他のクラスの人たちが野次馬で、教室を覗きに来ることはあったけれど、誰一人として話しかけてくることはなかった。
私は、前にいた学校ではいるのかいないのか、それさえもわからないような存在だったのに。
それが決して不満ではなかったけど、みんなに注目されるような存在感の塊みたいな人に憧れなかった、わけじゃなかった。だけど……。
注目されてる人達はこんな気分だったのかと思うと、影でひっそりと過ごしていた方が断然良いと思えた。
動物園にいるパンダになった気分だ。いや、パンダの方がきっと、注目のされ方的にも、気分が良いんだろうけど。
「パンダ?」
「…………」
「へー、オサゲちゃん。パンダになりたいの?」
「……え!?」
顔を上げて、隣の席を見ると……。
「リュウと同じクラスだったんだ? 探す手間が省けて良かった」
あのメッシュ頭の彼がいた。
ど、どうしてここに!?
「あのさ、今から来て欲しいんだけど」
「ど……なんで……」
「だってさっき、『また後で』って言ったじゃん」
そういえば、言っていたけど……こんなに早いとは思わなかったんだけど……?
「あっれー。トラじゃん」
すると、メッシュ頭の彼の後ろからやって来たのは、飄々とした様子のクリーム頭の彼だった。
「どったの。オサゲちゃんに何か用ー?」
「あ、リュウ。良いところに。今からまた溜まり場に戻んぞ」
「え? なんで?」
「わかるだろ」
顎先で私を指す彼に、クリーム頭の彼は「ああ」と相槌を打った。
「ちぇー、今からリコちゃんとエッチする予定だったのに。断んなきゃ」
ガタガタァ! と椅子から落ちそうになる。
「え、えっ……!?」
い、今この人、なんて……。
わかりやすく動揺した私に、彼は何やらにやにやと笑うと、「えーなになに」と顔を近づけてきた。
どこか色気のある垂れ目を微かに細くして、じいっと揶揄うようにして見つめてくる。
「オサゲちゃんってば、ヤッたことないの?」
「や? や……?」
「ああ、マジか。そっかー、そかそか未開発かー。へえ、面白そう! オサゲちゃんみたいな見た目の子って、一度でいいから、ヤッ……」
「うっぜーよ変態。口説くんなら、後でにしろ」
メッシュ頭の彼がその人の頭を叩いて、横に押した。びくびくとその光景を見ていると、彼は思い出したように口を開いた。
「あ。そうだ名前。俺は、邦木景虎。トラでいいから」
さらりと自己紹介して退けた彼は、「さ、行こう」と私の腕を引っ張った。
「え、っとあの……わ、私は、みなみ、こ、こよいと言います…」
果たして自己紹介をするタイミングは今だったのか定かではないけれど、礼儀として一応そう返す。
「小宵って、なんか可愛い名前だよね」
メッシュ頭のトラさんに腕を引かれる私の隣、クリーム頭の彼が言う。
可愛い、なんて滅多に言われないので何だか照れくさい。
「あ、ありがとうござい……」
「気をつけた方がいい。こいつ、女を褒めて落とすことばっか考えてるから」
「ちょ、トラ! それは言ったらダメなヤツ!」
あ、そう、だったんですか……と、お礼を言いかけていた私は、若干残念な気持ちになりつつ。
「いや、でもお世辞でも、ありがとうございます……」
出来るだけ丁寧に、頭を下げてお礼を言えば「え? あ、いえ。こちらこそ……」と、彼は意表を突かれたようにそう返していた。
そんなくだらない会話を交わしている内に、溜まり場へ辿り着く。
この場所は、私が先ほど、あの金髪の彼に連れてこられた場所だった。
先ほどのことを思い出し、思わず震えてしまう。か、帰りたいという気持ちが大きくなるのと比例して、その場所の中心部へとどんどん近づいた。
それに合わせて、強面な感じの人たちが増えて行くものだから、私の身体はみるみる内に縮こまっていった。伊吹……もしかしたら私、放課後まで生きていられないかもしれない。
「てかトラ聞いてよ。さっきね、オサゲちゃんったら半ギレだった苅田をね、頭突きと肘打ちでやっつけちゃったんだよ。すごくない?」
「俺もさっきさビビッたんだけど、繁田んことビンタだけでヤッちまってさ。つーか、オサゲちゃんが繁田んことハゲタとか言い間違えてさー、ホント笑ったわ」
「ハゲタ! 良いねそれ、もうアイツ今度からハゲタって呼ぼーよ!」
ケラケラと笑いながら話している彼らの間に、私は挟まれるようにして立っている。言われてはいないけど、まるで逃げるな。と言われている気分だった。
頭上で飛び交う会話の中心は殆ど私のことだけど、私からしたら現実離れした話のように思えて、自分のことを言われている気がしなかった。
もう流れに身を任せるしかないので、一緒にとぼとぼ歩く。
そして、あの黒塗りの扉の前にやってきて、メッシュ頭のトラさんがそれを開けると「遅えよ、お前らが最後!」と怒号が飛んできた。
「うるせえよ、ミク。お前、HR出なかったろ。俺はちゃんと出たのに」
トラさんは私の背中を押して、室内に入る。顔を上げると、今朝の金髪の彼がいる。
ひえ、と彼の顔を見ただけで血の気が引く。それくらい、苦手部類に入ってしまった。
向こうだって、きっとそういう気持ちだ。だって、目が合うとすぐに舌打ちをされてしまった。こ、怖い……。
「あれ? てかなんか少なくない?」
「一年は呼ばなかった」
「へー、どうりで。コノエちゃんもいないわけだ」
中に入ってくるクリーム頭の彼はそう言って、金髪の近く……ではなく、その隣に座る黒髪の彼に近づいていた。
気のせいかもしれないけれど、あの人の周りだけどこか空気が特別に見える。
「もしかしてもしかすると思うんだけど、まさかスイ。泰司さんと、冬馬さん抜きで、勝手に独断で決めちゃったーって、ことじゃないよね?」
ソファの背もたれに腕を乗せて、クリーム頭の彼は、黒髪の彼にそんなことを訊ねていた。
正直、凄いと思った。だって明らかに一人雰囲気の違う彼に、クリーム頭の彼が近づいただけで、室内にいた他の強面さんたちがピリッと背筋を伸ばした気さえしたのに。
あんなに軽い調子で話しかけられると思えば、もしかしてクリーム頭の彼も、凄い人なんじゃなかろうか。教室でのこともあるし。
「ああ、決めた」
黒髪の彼の唇が、静かに動く。
ほどよく低い、いい声だと思った。こんな状況でなかったら、思わず聞き入っていたかもしれない。
「あーあ、本当に? それは思い切ったねえ」
「スイの独断だって言うんなら、泰司さんも冬馬さんもブチギレるだけじゃ済まねえぞ。下のやつらも黙っちゃいねえよ」
座っていた金髪は立ち上がって、どこか興奮気味にそう口を開いた。
「ミクさん……」
不意に近くにいた強面の一人が、金髪を見ながら心苦しそうに呟いた。
「まあミク。落ち着けよ」
それを宥めるようにトラさんが、彼らの方に歩を進めた。
「これが落ち着いていられるか!」
傍にあった箱を蹴り上げて、金髪が大きく声を張り上げる。そして、ものすごい顔で私を睨みつけていた。跳ね上がる肩と心臓。私は、本当に殺されるんじゃないかと思った。
「あ、オサゲちゃん。そこの椅子に座りなよ。少し壊れてるけど、立ってるよりはマシでしょ?」
そんな中、クリーム頭の彼が呑気に指差す先には、壊れかけの椅子が一つ。
ところどころが錆びていて、どこか埃っぽい。
座るのをどこか躊躇していると、「座りなよ」と一番近くにいたメッシュ頭の彼が更にそれを促した。
「何お前ら、普通にそいつをもてなしてんだよ。悪いけど、俺は絶対に認めねえからな?」
「気持ちはわかるけどさ、ルールはルールだしい」
「うっせえよリュウ! お前は……こいつが!」
もはやブチギレ寸前の金髪の彼が、私をビシィッ!と指差す。もう何がなんだかわからなかった。
「この地味な女が! このマツキタの頭になっても何の文句もねえのかよ!!」
………………
…………
……。
「あ、たま?」
「そうだよ頭だ!」
「あたま……」
それは、頭部、ということで、よろしいんでしょうか?
「えっと、私は、マツキタ? さんの頭? ……に、なるんですか?」
マツキタさんが誰かは知らないけれど。
「……は?」
「えっと、じゃあ、そのマツキタさんの頭は……今どんな状態なんでしょうか?」
ハッ! まさか、デュラハンみたいな状態ってこと……?
いや、っていうかその前に、そのマツキタさんの頭になるってことは、私の頭がこの人達にちょん切られてしまう、ってことになる……の、かな。じゃあ私、ここで絶対に殺される運命ってこと!?
「えっとー……オサゲちゃん?」
俺、ちょっと頭混乱してきちゃったよ? と、こめかみを押さえるのはクリーム頭の彼だった。
「あー。そっか、まだ説明もしてなかったし、仕方無いー……っつっても、大体話の流れでわかんだろ。アタマも知らないとか、……やっぱお嬢様だからか?」
信じらんねー、と呆れたように言うその人はメッシュ頭のトラさんで。
「このアマ、頭を馬鹿にするとは良い度胸じゃねえか……」
怒りに震える金髪は私に向かって、早足に歩み寄ってきた。な、なんでさらに怒ってるんですか、この人!
もう本当に訳が分からなすぎて足腰が震えてしまう。もうおばあちゃんにでもなった気分だ。
ぷるぷると震えていると、「この女!」と、金髪の彼が私の胸倉を掴もうとした。ああ、ついに殺されてしまう。
ああ、だめだ。終わった。首を切られてしまうんだ。そのマツキタさんとやらに、私の頭が渡されるのだろう。
どうしよう。せめて、死に顔は美しく有りたい。半目でも開いた状態で、マツキタさんに渡されたら、いくら何でも……それは嫌だ。心残りになってしまう。
それならせめて顔は殴らないで! という意を込めて、顔の前を腕で隠した、
ところで。
「退け、ミク」
「おわっ……」
やはり私の不幸中の幸いはまだ続いているのかもしれない。
金髪の肩を押して、私の目の前に立ったのは黒髪の、あの人だった。深みのある黒髪を見た後。その人の目を見て、私は驚いた。
き、金色? いや、ちがう。え、いったい何色?
ひまわり、太陽、黄金、オレンジ、クリーム、黄色。
似た系統のものを頭の中で思い浮かべて見たものの、どれも当てはまる気がしなかった。
瞳の色素が薄い、といえばいいのだろうか。
肌も白い。全体的に線の細い造りをした顔は、驚くほど綺麗に整っていた。
ああ、なんだか彼の周りだけどこか別次元に見える。
ぼんやりとその様子を見ていると。突然何の前触れもなく。
ぐいっと、まるで鷲掴みでもするように顎ごとその人の手で掴まれた。
白く、骨ばった長い指が、私の頬に軽く食い込んでいた。
「むっ……!」
思わず間の抜けた声が出る。これまでにないくらいにビックリして、私はぱちくりと瞬きを繰り返した。そんな彼の行動に、周囲にいた彼らも驚いたような顔をしている。
そんな彼らの反応を意にも返さず、もう片方の手で私の前髪を横へ流し、私の顔を左右に動かすその人。
な、なな、なんなんでしょう、これは……。
固まっていると、彼は私をじいっと見下ろしたあと、「まあ」と少しだけ目を逸らし。
「……これなら、舐められないように出来るだろ」
あの深みのある良い声で、そう告げられた。
「うわ、スイ。そんなに近づくのは止めた方がいいって。オサゲちゃん、いつ暴力発動させるかわからないし」
若干慌てた声音で言うメッシュ頭のトラさんに、彼は小さく鼻で笑ったあと「誰に向かって言ってんだよ」とどこか冷めたような口調で返した。
ぴりっとした空気が一瞬だけ流れる。何故だか先ほどよりも緊張して泣きそうになった。
そんな私へ彼は視線を戻して「お前」とこう静かに訊ねた。
「名前は」
動悸がする。心臓が口から出てくるんじゃないかという錯覚すら覚える。
「み、水波、小宵、です」
それでも律儀に名前を返してしまうのは、父に習った教育方針の所為。
『初めて会った人には必ず挨拶をして、それから名前を言いましょう! 相手に何か質問されたら、ゆっくりでも良いからきちんと答えましょう!』
なんて。名前とかは、小さい頃にパーティーとかについて行った時によく言わされていた。
「こんなに小さいのに、挨拶もしっかりしてるのね偉いねえ」と大人の人たちに言われるのが嬉しくて、それを頑張ったらいつの間にか体に染み付いて離れなくなった。
「小宵、か」
復唱されて、どこか恥ずかしくなる。
自分の名前なのに、知らない人の名前みたいに感じた。
すっと私の顔を掴んでいた手を離して、「俺は」と言葉を続けた。
「蔵木翡翠。〝ここ〟に定まったルールにより、今日からあんたを」
わ、私を……?
「この学校のトップにする」
………………。
と……。
「トッポ……?」
「トッポじゃない、トップ」
つい私が口に出したそれに、咄嗟にそう返してくれる黒髪の彼、翡翠さん。
意外とノリが良いらしい。
そのやり取りを見てプッと吹き出すのは、クリーム頭の確か、リュウさん。
ミクとみんなから呼ばれている金髪の彼は舌打ちをして「知らねえからな」と呟いていた。
「あーこりゃ、冬馬さん黙っちゃいねえなー」と、メッシュ頭のトラさんは、頭を掻き。
ピリピリとした雰囲気に黙っていた強面の人たちは、
「「はああああああ!?」」
と。一斉に声を張り上げたのだった。