07
「いやあ、事情は全部聞いてるよ。君たちが水波さん家の娘さんと息子さん? あ、まずは自己紹介が先だよね。初めましてこんにちは、僕はこの学校の一応校長やってます、有松と言います~」
ペラペラと忙しなく話し続けるその人に「よろしくね」と気軽に握手を求められた。にっこりと下がった目尻に親しみやすさを感じる。
長い黒髪は左右に刎ねていて、血色の良い唇の下の顎髭は綺麗に整えてられている。黒くて健康的な肌には、金色のジャラジャラとしたアクセサリーがちらほらとついていた。ストライプの入ったスーツと数個ボタンの開いたシャツの首元には、ネクタイなんてものは無し。
例えるなら、サーファーのような。少々、ヤクザさんにも見え……なくもない。取り敢えず、校長先生とはまるで思えないような風貌をした人だと思った。
「えっとー、まずあなたのお名前はなんだっけ?」
「あ、初めまして。水波小宵と言います……」
「そうそう、小宵ちゃんだ小宵ちゃん! この前、君のお父さんと話した時に、可愛い名前だなあって思ってたんだよ~。そうだそうだ。それから、隣の君が……」
「水波伊吹です。よろしくお願いします」
「わあ、本当だ。聞いていた通り、しっかりしてそうだ。あと、ごめんね」
じろじろと四方八方から伊吹を観察しながら、「俳優とかアイドルとか興味ないの? すごい顔が整ってるね」と有松さんは興味深そうに告げた。そんな有松さんに伊吹は表情一つ変えず「いえ」と答えると言葉を続けた。
「それより今回はありがとうございました。学校にこうして編入できたのも、寮についても、全て有松さんのお蔭だと聞いてます」
「ああ! そんな、頭なんて下げなくていいのにー! うちの学校オンボロだから、前の学校と比べたらすこーし物足りないかも知れないけど、それなりに楽しいし、あんまり校則無いし、自由だし、そう何よりも楽しいと思うんだよ!」
伊吹の肩を叩きながら、キラキラと白い歯を輝かせて言う有松さん。一見、堅気には見えない有松さんだけれど、その目尻のシワの深さが、実は温厚で正直な人だと物語っているように思えた。
そんな有松さんが『楽しい』を二度も言うということは、この学校は本当に楽しいのかもしれない。
さっきまで、いろいろな出来事があったような気がしたけど……ああいったのは稀な出来事で、本来は、楽しい出来事ばかりが、この先に待ち受けていると思うと……。
私の夢が、ついに叶うかもしれない。
女の子の友だちをつくるという夢が。
できれば、5人、いや10……いやいやもっと大量に欲しい。
欲を言えば……そう、100人。
「水を差すようで悪いけど小宵ちゃん。この学校に、100人も女子いないと思うよ」
「………へ?」
「自分で言っちゃうのもなんだけどさー、この学校、有松北高校は、この辺で何故か評判が良くなくてさぁ。そうしたら、女の子の受験生が年々減っちゃって……まあ、一学年に30人程度いるかなー。小宵ちゃん足しても、全学年でギリ100いかないって感じかも」
「そ、そんな……」
ずぅーんとなりながら、私はそのまま膝から崩れ落ちた。
ショックだ。心の声が駄々洩れになっていたのもだけれど、女の子が100人もいないという事実と、男の子の方が多いと言う事実に。
私、男の子、ただでさえ苦手なのに……。
「大丈夫だよ小宵ちゃん、ここの生徒は中身はいい子たちばっかりだから。ね? すぐにいっぱいお友だち出来るよ」
慰めるように有松さんが肩を叩く。それでも私は、酷く深いショックに立ち上がることができなかった。そんな私を横目で見て、伊吹が「それで」と話を戻した。
「有ま……校長先生」
「呼びやすかったら有松さんでいいよ」
「それじゃあ有松さん。俺たちはこの後、どうしたらいいんですか?」
「……ああ、そうだな。君たち、自分たちの荷物はある?」
「はい、あります」
「じゃあ、その荷物はここに置いていっていいよ。寮には運んでおいてあげるから」
「わかりました」
「小宵ちゃんは2年4組、伊吹くんは1年6組。担任の先生には伝えてあるから、行ったらすぐに対応してくれると思うよ。あ、それとこれ。学生手帳。これに校内図とか寮の場所とかいろいろ書いてあるから、わからなくなったら見てみてね」
じゃあ、また何かあったら来てねー。と、ひらひらと手を振る有松さんに伊吹は頭を下げて、「ほら行くよ」と私の腕を取った。
◇
「じゃあ、俺こっちだから。また帰りに校門の所で会おう」
「え、待って伊吹っ!」
「何?」
あっさり歩いて行こうとする伊吹に、私はぶんぶんと首を振った。
「ひ、一人で……」
教室に行く勇気がない。だってあんなことがあったのに……。
「え? 何、聞こえないんだけど?」
「っだ、だから……」
「こるああああ! 待てええええ!!」
「あっははー、ごめんってばー」
「この節操無しがああああ!!」
「だーから、ごめんてー」
今一度、伊吹に口を開こうとした私の横を、ものすごい勢いで通り過ぎていく大男と、その人に追いかけられる優男の……ウェーブのかかったクリーム頭が目について、私はまさかと固まった。
一度、通り過ぎた彼は「ちょぉっとストーップ!」と、立ち止まって、後ろにいた大男に裏拳を入れていた。いきなり鼻を殴られた大男は、「うぐぅ……!」と呻きながらその場で蹲っていた。
「あっれー? もしかしてーそこにいるのって、オサゲちゃん?」
ぎくりとして、伊吹の後ろに隠れると、伊吹は「知り合い?」と聞いてきた。いやいや、そんなわけがない。
「もしかしてもしかしなくとも、さっきのオサゲちゃんだよねー? 俺だよ俺ー、さっき会ったじゃん。もう忘れちゃったのー?」
口軽い感じでそう言って、彼は伊吹の背中に隠れている私に向かって声をかけてくる。
俺だよ俺、ってそんな詐欺師みたいな。
ひいいっ、と肩をふるわせていれば「あなた、誰ですか?」伊吹が訝し気に訊ねた。お願いだからそのまま追い払ってほしい!
「俺? 俺は、そのオサゲちゃんのオトモダチだよ?」
「オサゲちゃん? ……姉ちゃんのこと?」
「あれ、まさか姉弟? オサゲちゃん、弟くんいたの? へえ、ぜんっぜん似てないねー?」
今度は興味深そうに伊吹のことをじろじろと見る彼は、「それじゃあ」と話を続けた。
「弟がいるってことは、オサゲちゃんってもしや二年生? それとも三年?」
「ねえ、どっち?」と強めに聞かれる。顔はへらへらと笑っているけれど、声色が全く合っていない。
「に、二年、生、です……」
「そっか。じゃあ、俺とタメだ? 何組? 教室に案内してあげるよー」
ほらおいで、と腕を伸ばしてきた彼から庇うようにして、伊吹は私をさらに後ろに押した。
「すみませんが、あなた、姉の何なんですか?」
「俺? オトモダチだよー、ね?」
さっきと同じことを言って、私に向かって小首を傾げる。そんな彼の後ろ、蹲っていた大男が立ち上がっていた。
「小野町ぃ! てめえ……!」
「あれ、もう立ち上がれるんだ? 少し強めに殴ったから、あと数分は無理だと思ったんだけどー」
ぽりぽりとこめかみ辺りを掻く彼は、大男へと身体を向けた。間延びした口調が、状況とまるで合っていなくて、私はハラハラとしながら伊吹の服を掴んだ。
ダラダラと大男の鼻から血が出ているのを見て、私はくらりと倒れそうになる。青い顔をして口元を押さえていると、伊吹は「大丈夫?」と私を見た。
「てめえが俺の女に手ェ出したって証拠はもうアガってんだよ!」
「証拠かー。んまあ、別に言い逃れはしないけどさー」
「ぜってえ許さねえぞ……」
「だからさっきから謝ってんのに。先輩、聞く耳持ってくれないんじゃん。まあ別に、許す許さない勝手だけど」
「殺すぞコラァ!!」
酷い剣幕をしている相手に対して、全く物怖じしない彼は、「でもね、先輩」とさらに言葉を続ける。
「俺は基本、女の子とは〝誘われないと〟寝ないから、その彼女さんとやらは、俺を誘ったってことになると思うんだよー。だからつまり、なんていうかー、彼女さんが自ら望んだ浮気、かなー?」
へらりと笑って、まるで他人事のように言うクリーム頭の彼に、先輩と呼ばれている大男はカッとしたようで。
ブチギレた、とはまさにこのこと。
「いっぺん殺す、死ね小野町!!」
ああ、もうあれはダメだ。あんな般若のような形相の人に、襲われたら死んでしまう。思わずぎゅっと目を閉じると、
「あーあ」
と、まるで。『だから言ったじゃん』と言わんばかりの声が聞こえて、私はまたも薄っすらと瞼を開いた。
「先輩にはあんまり手、出したくなかったんだけどねー。でもまあ、そんなに強く殴ってないから大丈夫っしょー」
やはり軽薄な口調でそれを言い、クリーム頭の彼はへらりと笑っている。気づけば、大男が腹部を抱えながら「か……はっ」と、まるで息をしづらそうにして倒れ込んでいるのを見て、私は喉奥で悲鳴を零しそうになった。
い、一体、今、何が起きたんだろう……?
「さてと、オサゲちゃ……」
「あんた、マジで何」
一瞬だけ目を閉じてしまったから私は見ていなかったけれど、一部始終を見ていた伊吹は警戒するように彼に向かって睨みを利かせていた。