06
やっと解放された。生きた心地がしなかったな。でも、きっともう会うこともないだろうし……。
と考えながら、頭にメッシュが入った彼に職員室まで案内してもらっていた時のこと。
「こいつか、泰司さんをヤっちまった女っていうのは……!」
奇抜な髪色をした人とか、坊主の頭をした人とか。とにかく派手な見た目をした厳つい男の人たちに突然囲まれてしまった。
こ、今度は何……!
「ぼぼ、坊主……」
思わずその派手な頭に呟きながら、メッシュの男の人の後ろに隠れれば、「え、なんて」と彼は腕を上げながら私の顔を覗き込んだ。
な、なんてって……。
「ぼ、うず……」
と、言いましたが、と言いかければ、彼は腹を抱えて大笑いを始めた。
「あっはは! 坊主! 繁田、お前のその頭、坊主だってよーっ!!」
ケタケタと笑っている彼に、坊主の彼は「わ、笑うな!」と顔を赤くして怒っていた。
「てめえも何が坊主だ! これはスキンヘッドだ! お洒落スキンヘッド!!」
「お、お洒落!? す、すみません……そんなこととは知らず……」
「まあまあ、落ち着けって繁田。坊主でもなんでもいいじゃん、お洒落坊主でさぁ……ぶっ!」
「おい、邦木てめえ、笑ってんじゃねえよマジ殺すぞ」
坊主の彼が、メッシュな彼を本気で殺しそうな顔で睨みつけるものだから、私は咄嗟に「あのっ!」と声を上げた。
「ご、ごめんなさい……私、そのお洒落、す、すきん、へっど……? を、初めて見たものなので、その、大変失礼なこと言ってしまって……!」
「え、あ、いや、まあ……そこまで言うなら……」
ぺこぺこと頭を下げて必死に謝れば、坊主頭の彼は頬を掻いた。
よかった、何とか許してもらえそう……!
最後にもう一回だけ、謝ろう。そう思って、私は顔を上げながら、こう言ってしまった。
「今後は、間違えないように気を付けます……本当にすみませんでした、ハゲタさん」
「…………」
一瞬で、しんっとなる。だらだらと冷や汗が止まらない。周りの空気が一気に引いて、凍り付いたように思えた。
「は、げ、た、だぁ?」
坊主の彼が険しい形相で、言葉を粒立てた。額には血管が浮き出ていて、その顔は最高潮に怒っているように見える。
し、しまったー! 言い間違えた!
慌てて口を塞ぐも、もうすでに遅い。青い顔でメッシュ頭の彼に助けを求めようとすれば、彼は腹を抱えて廊下に蹲っていた。
「あーっはっはっは! やべえ、ウケる! ハゲタだってよー!!」
床をバンバンと叩いて、ひいひいと一人で大笑いしている。全然、笑いごとじゃないというのに。
すると、周りにいた他の奇抜な頭をした人達も、ぷっとつられるようにして笑っていた。
それを見て恥ずかしくなったのか、坊主の彼は頭にさらに血を上らせて、顔を真っ赤にすると思いっきり私の胸倉を掴んだ。
「てっめえ、よくも人の名前をいじったな……!」
「わ、わざとじゃないんです……!」
サアッと血の気を引かせて、ごめんなさい! と謝ろうとした時、床に座り込んで笑い転げているメッシュ頭が、「もういいじゃん! ハゲタで! ハゲなんだし!! いや違った、坊主か~!!」とかなんとか。
さらに余計なことを言って、私を窮地に立たせた。
「あーやべー、笑いすぎて息できねー」
とか言っているけれど、私も別の意味で息が止まりそうだ。
びきびきと、額の血管がさらに濃く浮き上がって、私は涙目で首を振った。
「馬鹿にしやがって……マジで殺す!」
わ、私が煽ったわけじゃないのに! 馬鹿にしたように笑っているのは、そこのメッシュ頭の彼なんですよ……!
そう、涙目になりながら、訴えたところで、声に出さなければ伝わらないのが世の常。
やらなきゃ何も始まらないのと一緒で、声に出さなきゃこの人の怒りも沈められやしないのだ。
そして次の瞬間、坊主の頭の、力の入りに入った拳が、思いっきり振り上げられた。
「っ……!」
ああ、もうこれはだめかも。伊吹、ごめんなさい。私、お父さんとの約束守れないかも知れない。
だめなお姉ちゃんだったけど、どうかお葬式くらいは上げてほしいです。
そう、覚悟を決めていた時。
振り上げられた拳……よりも先に、視力2.0以上の私の眼球に目掛けて、何か黒い物体が飛んでこようとしていた。
あ、アレは………。
「コバエだーーー!!!」
バッと、胸ぐらを掴んでいた手を思いっきり払って、私は飛んできたコバエを寄ける。
「んなっ!?」
必然的に坊主の彼の拳は、スカッと空を切っていた。
「てめえ……! 避けるんじゃねえ!」
「ぎゃー!? 来ないでえええ!!」
普段の私からは想像出来ない程の大きな声を張り上げて、コバエを追い払うために空を何度も手のひらで払っていた。
ら。
べちんべちんべちんべちん!!
と、その手が見事に、彼に往復ビンタを何度か食らわしていた。
チーンと言う音が似合うほどに、その場に崩れ落ちた坊主のあとを追うようにして「て、てめえ! 何しやがんだ!」と彼の仲間たちが、私に向かって拳を振り上げてきた。
……らしいけれど、私の頭の中はコバエを追い払うことに夢中になっていたものだから。
結果。
『学校の廊下で、軽く行き倒れている不良たちの図』の完成である。
「う、っわ……何これ……やばあ……」
いつの間に笑い終えていたのか、ドン引くようにしてメッシュ頭の彼は「信じらんねえ」と呟いた。
ふと、足首をがしりと掴まれて、はっとしながら私は足元を見た。
「どうやらてめえが、藤山さんをヤッちまったってのは、間違いねえらしいな……」
そこには赤く腫れあがった頬で顔の造形がわからなくなっている坊主の人が倒れ込んでいて、私はひっ! と、飛び上がりそうになった。な、なんで、この人こんな姿になってるの!?
「と、藤山さんって、誰ですか……!」
「藤山泰司。あんたが今朝、何度もバッグで殴った男がいたろ。その人のこと」
メッシュ頭の彼がそう答えながら、坊主の彼に向かってしゃがみ込んだ。
「なあ、ハゲタ。お前、もしかしてこの子が、泰司さんヤッちまったっての聞いて力試しに来たんじゃねえだろうな?」
「……ふん、悪ぃかよ……つうか、俺はハゲタじゃねえ……繁田だ!」
倒れ込んでいるから、先ほどよりは威勢が落ちるものの。そう勢いよく告げて、メッシュの彼を睨みつけていた。
「なるほど。これは、本格的にまずいかもな………」
呟くように言って、メッシュ頭の彼は立ち上がりながら私を見ると「きみさあ……」と口を開いた、ちょうどその時。
「……あれ、姉ちゃん」
こ、この声は……!
はっとして振り向くと、そこには、もうずっと会いたくて会いたくて仕方がなかった……。
「い、伊吹……!」
「何やってんの。探したんだけど……って、何? この人たち。なんで廊下に寝てんの」
いつの間にか多くの野次馬たちに囲まれていた私たちに向かって、集まった生徒の間を避けながら声をかけてきたのは、我が弟だった。
「伊吹っ……」
ううっ、助けて……と泣きべそをかきながら、そちらに行こうとするも、足元の坊主がそれを邪魔する。私の足を掴んでいたことを、すっかり忘れていた。
「誰? きみの弟?」
隣に立っていたメッシュ頭の彼がそう言って、伊吹を見る。
「っていうか、こんな人の多いところで何してんだよ……って誰、その人。っていうか何この坊主の人。なんで足掴んでんの」
疑問が多いらしく、伊吹は私の周囲にいる彼らを訝しむように見て首を傾げた。わかる、その気持ち。だって、私にもよくわからないんだから。
「っていうか俺、職員室はもう行って来たから、今から校長室行くんだけど、そっちも行く?」
「……い、行くっ!」
「じゃあさっさと行って……あ。あのすみません。手、放してもらえます?」
今から俺たち、行くところあるんで。と坊主の手を簡単に引き剥がす伊吹。あまりに冷静で、これほど頼りになる弟はいない。
感動しながら「ありがとう」とお礼を言っていたら、それを眺めていたメッシュ頭の彼が「ふーん」と腕を組んでいた。
「まーいいや。……あのさ、オサゲちゃん、この子、弟?」
「は、はい……そうですが」
「……オサゲちゃん?」
その呼び方に伊吹が不思議そうな反応をするとメッシュ頭の彼と初めて目を合わせて、「誰、あんた」と少しだけぴりっとした空気を漂わせた。
「い、伊吹……?」
よろしくない空気が流れている気がして、思わず名前を呼べば、メッシュ頭の彼が先に「ま、いっか」と勝手に納得したように頷いた。
「弟くんも来たことだし、俺、もう戻るわ」
「あ、はい。……えと、あの、案内してくれてありがとうございました」
「別に大したことしてないし。じゃあまた後で」
目を合わせないまま、あっさり歩いて行くその姿はどこか気怠そうだった。
それにしても……。
「また後でって、何」
気に食わなそうに彼の背中を眺める伊吹の言葉に、私は首を振った。
本当に一体、どういうことだろう。