54
「おー、オサゲちゃんと紫ちゃん。思ったより早かったじゃん」
「邦木、あんた今日、バイト行ってからここに来るって言ってなかった?」
「うん。午前中で終わったから」
学校のソファとは比べ物にならないほど豪華な革張りのソファの、その背もたれから、トラくんが身を乗り出して紫さんと会話をしていた。
建物の中は想像以上に広くて豪華で、何よりも綺麗だった。
そういえば私が前に住んでいた、水波の家も、こんな感じに広くて綺麗で……。
「オサゲちゃん、どったの?」
「あ、いえ……綺麗だなと思いまして」
隣に立っていたリュウくんが「ああ、そうだね」と傍にあった花に触れる。
「冬馬さんの親はデザイナーだからね、〝ベルイヴェール〟とか〝ベルダ〟とか知らない? あの辺のブランドは冬馬さんの母親が立ち上げたブランドなんだよ」
「え!? 知ってますよ!! ………ってことは、神山留美子さんって、冬馬さんのお母さんだったんですか!?」
「え、オサゲちゃん。冬馬さんのお母さん知ってるの?」
「勿論です! パーティーで、一度お見かけしたことがあって……とってもお綺麗な方だったので……。まさか冬馬さんのお母様だったとは……」
「へえ。オサゲちゃんってば、本当にお嬢様だったんだね……」
まるで今の今まで疑っていたかのような口振りでリュウくんはそう言うと、先に部屋の奥へといってしまった。
私も続こうとしながら、ふと振り返って今し方歩いて来た廊下を見た。使用人らしい人が近くにいないのに、少し疑問を覚える。
玄関付近では、何人か使用人を見かけたけれど……冬馬さんの部屋らしき場所へと近づけば近づくほど、人が少なくなっていって……今では誰も見なくなった。
首を傾げつつ部屋の中に歩を進めれば、大きなテレビの前に群がる強面さんたちと。
「てめえらよく目に焼き付けとけよ? ここからが見どころなんだから」
何やら熱く語っている冬馬さんがいた。
想像よりも遥かに綺麗で、私の今住んでいる寮の部屋とは比べ物にならないほど広い冬馬さんの部屋に、私は「うわぁ」なんて自然と声が零れてしまう。
「小宵?」
「あっ、翡翠さん……!」
今し方部屋に入って来たのか、後ろからやってきた翡翠さんに「こんにちは」と頭を下げる。
「早かったな、今日は出かけてたって聞いたけど」
首を傾げる翡翠さんに「はい」と頷きながら、思わずその姿を凝視した。
制服だと着崩しているからわからなかったけれど……私服姿の翡翠さんは、驚くほどスタイルがいいみたいだ。品もいいから、やっぱりマツキタの人だって言われると、少ししっくりこないというか。
「何か、俺の顔についてるか」
「あっ、いえ……あの、先日はどうもありがとうございました!」
「先日……?」
「冬馬さんから追われていた時に、助けていただいたので……」
「ああ……あれか」
少し気まずそうにそう呟く翡翠さん。
あの日、獣化した冬馬さんから助けてくれたのは翡翠さんだった。
「――こらああああ! 待てえええええええ!!」
「来ないでくださいいいいい!!」
逃げ回る私は離れを出て、また校舎の方に戻ってしまっていた。そして走り回っている内に、二年の教室の前にまでやって来て、誰かとぶつかってしまった。
「っ、すみませっ……」
「小宵?」
そして、そのぶつかった人というのが翡翠さんだったのだ。
「どうした、そんな慌てて」
首を傾げつつ私の後ろを見て、「ああ」と理解したように頷いた翡翠さんは。
「後ろにいろ」
と。私を背中に回し、「冬馬さん」と迫ってくる獣に声をかけた。
「んだよ……翡翠か、そこを退けろ!」
はあ、と少々息を吐き出しつつ、手の甲で頬を拭う冬馬さん。
その目はギラついていて、落ち着きなんてさらさら感じられなかった。
悲鳴を上げそうになって、私は咄嗟に翡翠さんの制服を握る。
「冬馬さん」
「あ? なんだよ」
「冬馬さんが前に欲しがってた、ハニーコスプレウェイトレスシリーズ? ってやつですか。あれを持ってるやつが、一年にいましたよ」
「な、なんだと……!? ハニーコスプレウェイトレスシリーズ、だと!? あの幻の!? この世にたった3着しかないあの!?」
「はい。たぶん」
ハニー……なんて?
何を言っているのかさっぱりな私を置いて、翡翠さんのその魔法の呪文により、違う意味でまたギラギラ光り初めた冬馬さんの瞳。
「2組の確か……石井とか言うやつが持ってるって……」
「石井? わかった、行ってくる!」
今の今まで走りっぱなしだったのに、バビュウウン! と言わんばかりに猛スピードで駆け抜けて行く冬馬さんは、もうコスプレのことしか頭になかった。
な、何はともあれ、助かった……。
ほっとしながら「翡翠さん、ありがとうございます……」とお礼を言う。そんな私を振り返り、翡翠さんは「いや」と口を開くと、若干目を見張って固まった。
「……翡翠さん?」
「あ、いや……お前」
目元を押さえて顔を逸らす翡翠さんに、私は首を傾げる。
「開いてる……」
「え?」
「前。……制服の」
「前……? っあ!?」
ボタンが外れて、開けた胸元から見えていたキャミソールだった。私は真っ青になって先ほどの出来事を思い出す。み、ミクさんのせいだ!!
咄嗟に制服の前を握りしめながら「す、すみませんっ!」と焦ったように頭を下げれば。
「ちゃんとボタンは止めろ……」
そう、翡翠さんは目元を押さえたまま逃げるように歩いていった。
と思えば。
「ってえなあ! 前見ろよ……って、蔵木!?」
「クソいてえな! 前見て歩けよ! ……って、蔵木!?」
「チッ! 痛えんだよ何様だ! ああ!? ……って、蔵木?!」
色んな人にぶつかって、喧嘩を売られていた。
ぶつかられた人たちは同じような反応をして、足取りが不安定な翡翠さんを驚いた顔で見ていた。
翡翠さんが目元を押さえてあんなにフラつくなんて……相当、不快な物を見せてしまったんだ。
ああ、本当に恥ずかしくて申し訳ない……と、私はそう深く反省した。




