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「……仕方無い、ウサギちゃん。今から冬馬さん家に送ってあげる」
「え?」
「昨日、邦木から連絡がきてたんだよ。遊び終わったら送ってって。今からじゃクトコウのやつらのせいで遊び歩けないし、蔵木たちに話もあるしさ」
さらりとそう言って退ける紫さんに、私は疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「紫さんって、翡翠さんたちと仲良いんですか?」
「え? ああ、仲良いっていうか……この前、〝黒〟の話はしたよね?」
「はい」
「その中のメンバーに、一応私も入ってんだよね」
「はあ……そうなんで……ええっ!?」
「この前も音楽室にいたし……さすがに気づいてたかと思ってたけど……」
あはは、と小さく笑う紫さんは「やっぱ気づいてなかったかー」と私の隣を歩いた。
「まあ、その反応も無理ないんだけど。ウサギちゃんが来る前まで、女なんて私一人だったし」
「ど、どうして、紫さんが……?」
「ああ、まあ、なんていうの? 後処理班っていうか……」
「後処理班?」
「泰司さんたちが何かしでかしたら、学校側の人間に揉み消すよう交渉する役目って感じ? 叔父さん、私には弱いし」
「それに」と紫さんは続けた。
「私、ちょっとした情報屋みたいなことしてんだよね」
「情報屋……」
「だからなんて言うか、仲が良いわけじゃなくて……私は泰司さんたちにとったら良い駒でもあるし、要注意人物でもあるし、ある意味、不安材料でもあるって感じ?」
少々考え込むように言って、ふんと鼻で笑う紫さん。その言い方がどっちつかずで、どうでもよさげなのが言葉の端々で伝わった。
「適当に色んな所から情報仕入れて売ってたら、なんかどんどん顔広くなっちゃって。だからさっきのやつらに顔を見られたのはまずいっていうか……、つっても八神に見られたのはまずい以前の問題だけど」
ぶつぶつと、段々と声が小さくなっていく紫さん。
そんな彼女の声、というか内容は、今の私の耳には届いていなかった。だって。
ああ、なんて、なんて。
「情報屋……!」
かっこいいのだろう……!
「す、素晴らしいです!」
「えっ?」
「なんだか映画でよく見る女スパイみたいな感じです! すっごくかっこいいです!!」
「え、ああ、ほんと……? っていうかこの手はなに……?」
「私もやってみたいです、情報屋!」
紫さんの手を両手でぎゅっと握り締めてそれを言えば、彼女は少々狼狽えつつ空色の瞳を揺らしたあと、呆れた、とばかりに吹き出した。
「そんなこと初めて言われた……。変わってるね、あんた」
くすくすと笑い出す紫さんは、その勝気な態度からは想像出来ないほど可愛らしいもので。
「名前……たしか小宵、だったよね」
「あ、はい……」
「うん、小宵。改めて、よろしくね」
私から握っていた手を、逆に握り返して彼女は告げた。
同時に、私の目からは涙が溢れた。
「うわっ、何!? 急にどうしたの!?」
「は、初めて、お友達、名前をっ」
うわあああっ、と目元を腕で拭いながら、私は空を見上げた。
初めて出来た女の子のお友達から、初めて名前を呼ばれた。
私にとっては、信じられないほどの嬉しい出来事だった。
「ちょ、ちょっと泣き止んでよ! なんでそんなに派手に泣く必要があるの!?」
泣かれることには慣れていないのか、戸惑ったようにあたふたしている紫さん。
それでも涙が止まらない私の後ろから。
「あらら。どーして、泣いてんのかなー?」
私の両頬を潰すように手のひらで包んで、誰かが上から顔を覗き込んで来た。
その飄々とした声色と、色素の薄いクリーム色をした髪の毛ではっと気づく。
目の前の垂れ目がニヤリと細くなって、「んー」と私の唇に目掛けて何かをしているのが見えた。
…………。
「わあっ!?」
「小野町、いきなり何してんだ。捕まりたいのかよ」
私は咄嗟にそれを寄けて、紫さんの背中に回る。
そんな私たちを見て、私服姿のリュウくんは「あは」と笑った。
「だって、紫ちゃんがオサゲちゃん泣かしてるから、慰めてあげよーと思ってさ?」
惜しいね、とばかりに親指を舐めて、「あとちょっとだったのに」とその色気のある目元を細めていた。ひええ、と思いながら私は紫さんの背中に再び隠れる。
それを見て、リュウくんはケラケラと笑った。本当に心臓に悪い冗談ばっかりする。
どっどっと心臓がうるさいので胸を押さえていると、紫さんは呆れたように「別に泣かしてないし」と溜息を吐いていた。
「まー確かに。その様子を見ると、紫ちゃんはあんまり悪くなさそうだね?」
「だから泣かしてないって」
「本当にー?」
「うっざ。つか、小野町も今から、冬馬さん家?」
「そうだよ」
「暇人だな」
「人聞きの悪いこと言うなあ」
そう言って、リュウくんは真っ白な塀を沿ってまっすぐに歩くと、近くにあった大きな門に手をかけていた。
「リュウくん、どちらへ?」
「どちらって、冬馬さん家だけど?」
「……え?」
「ここ、冬馬さん家」
門の中を指差してそれを言うリュウくんに、私は「え? え?」と塀とリュウくんを交互に見て、そして彼の傍へ駆け寄って驚愕した。
「え…………」
「相変わらず冬馬さん家でかいなー。つか、綺麗」
「紫ちゃん、来るたびにそれ言ってるよねー」
「一流ブランドの会社ともなると、こんな家、ポンポン建てられるんだから良いよね」
「つっても紫ちゃん家も大きいじゃん。羨ましい」
「さすがにこんな大きくないわ。蔵木ん家のが比べようがあるでしょ」
「スイん家はまた規模がねー」
ペラペラと会話しながら歩いて行く二人の背中を、茫然と見つめる。
人は見かけによらぬものと、転校してから常々思ってはいたけれど、
こんな大きくて豪華な塀の向こう側に、冬馬さんの家があるだなんて考えられなかった。
冬馬さんは一体、何者なんだろうか……?




