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弧を描いて飛んでいくクレープの行方に、「あ!」と声を零せば紫さんもそれに気付いた。
そして、それは何のイタズラか。その空を飛んだクレープは、先程まで乱闘が始まりそうになっていた高校生グループに向かっていった。
そしてそのまま、見事なハイジャンプを見せたクレープは、べちょり、と。
品の無い音を立てて、ピンク色の髪をした男の子の頭に着地した。
「!」
あっ、と顔から血の気が引いてしまう。
周りにいた男の子たちも呆然とその光景を見ていた。
「うわ、マジかよ……」
より一層、青ざめた顔をした紫さんは私の腕を握る力を強くする。そしてピンク頭の彼は、私たちの存在に気づいて、こちらへゆっくりと振り返った。
「これやったの、きみ?」
どこか身の毛がよだつような笑顔を向けて、私を見ていた。
キラキラとした笑顔、その頭の上には着地したクレープ。
言い逃れなんかしたら、確実に殺されると思った。
「すっ、すみま……」
「逃げるよ!」
「……えっ!?」
謝罪をしようとしていたら。
紫さんが舌打ちを打ちつつ、焦ったように私の腕を引いた。振り返ると、ピンク頭の彼は舌打ち混じりに「追いかけろ!」と周りの人たちに命令しているのが聞こえた。
そして、すぐさま追いかけてくるその人たちに、「信じらんねー……」と呟きながら息を切らす紫さん。人ごみを上手く利用して、なんとか相手から姿を見せないようにしていく。
「おい、どこ行った……?」
「お前たちはあっちを探せ……!」
なんて声だけは聞こえて、恐怖で肩が震えた。アーケード商店街を抜けて、住宅地まで走り続ける紫さんに「すみませんっ、私のせいで……!」と謝罪すれば、「いや、いいよ」と息を切らしながら彼女は立ち止まった。
「あいつの、花椰のあんな間抜けな姿。はじめて見たし……」
思い出すように告げて、紫さんはぷっと吹き出した。
「あーマジで愉快だった、あいつの頭にクレープとか。しまった、写真撮れば良かったぁ……」
あははと、腹を抱えて笑いながら、呼吸を整える紫さんに、「お知り合いなんですか?」と訊ねる。
「ああ、そっか……あんた、転校生だもんね。さっきのやつらは、久東院高校のやつらだよ」
「久東院……え、あの……?」
「ああ、知ってんだ? さすが元洸瞑だね」
久東院高校、正式名は久東院大学付属高等学校。
私の通っていた洸瞑学院に並ぶほどお金持ちが多いと言われている……確か男子校だ。
「うちらは、クトコウって呼んでんだけど、ほんっとタチ悪いやつらでさ……」
「タチ悪い?」
「最近、あいつらこの辺りを無差別に荒らしてんだけど……そのやり口が汚いっていうか、人の心持ってないっていうか。とにかく自分たちの手は絶対に汚さないんだよね」
はあ、と一度息を吐き出して、紫さんは再び歩き出す。
「まあ、手を汚しててもさ、おおっぴらにしてないっていうか。裏で最低なことばっかしてても、何もかも金で揉み消してる噂があって……」
「は、はあ……そうなんですね」
ピンときてない私に気づいて、紫さんは「わからなかったらいいよ」と小さく笑った。
「とにかく、さっきのクレープを頭に乗っけてたやつは、花椰理琥って言って、言っちゃえばクトコウのナンバーツーって感じ?」
「え……それって……」
「うちで言ったら、あー冬馬さんみたいな?」
「!!」
わ、私ったら、なんて人にクレープを乗せてしまったのだろう。
だって、もしも冬馬さんにクレープをぶつけてしまったら。
『――てめえかああ! 俺にクレープを乗せたのはあああ!?』
『ごめんなさいっ! 許してくださいいいい!!』
『あーあーあー許さねえ、例えお天道様が許しても、この俺が許さねえ!!! このクレープと共にてめえも食ってやろうかあ!!』
『ひいいいいい! ご勘弁をーーー!』
あり得る。クレープと共に咀嚼される未来を思って、ぶるっと背筋が震えた。ただの想像であっても冬馬さんは怖い。
頭を抱えて恐怖に震えていると。
「八神に顔、見られたからなあ……」
舌打ち混じりにそう言って、紫さんは乱れた髪を整えながらスマホを取り出していた。




