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「じゃあ、また明日。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
お互いのドアの前で、トラくんに頭を下げて私は自分の部屋に入ろうとする。
そしてはっとした。明日のデートは、結局どうしたらいいんだろう!?
「トラくん、待ってください!」
「おわっ、何!?」
閉めようとしていたトラくんのドアを掴んで、彼が帰ることを阻止した。
「あ、あの! 結局デートというのはどうしたらいいのか聞いてもいいですか!?」
「え? ああ、紫ちゃんとのね? そうだなー、特に何も考えなくていいじゃない?」
「何も……?」
「うん、行き当たりばったりで。お金無いのなら、無いなりに楽しいと思うよ」
「そう、ですか?」
「そうそう。じゃあ、明日は楽しんで来なよー」
若干適当にあしらう感じでそう言って、部屋の中に入っていくトラくん。
「あ、ありがとう、ございます」
私が頭を下げると、そのままぱたりとドアは閉まった。
何も考えなくていい、と言われたけれど。
つまり結局、一体何をどうしたらいいんだろう……?
◇
「おはよー、ウサギちゃん」
「お、おはようございます」
何故かウサギちゃんと呼ばれている私は、その可愛らしい容姿の前に立った。
私より少々低い身長に似合う可愛くて美人で綺麗な顔立ち……には似合わず、どこか高圧的で勝気そうなその態度を羨ましく思う。
私もこんなかっこかわいい女の子になりたい……! と、切実に思う。
しかも、まだこの辺りの土地がよくわからない私のために、わざわざ学校で待ち合わせしてくれた紫さん。
見た目も完璧で性格も良いだなんて、本当になんと素敵な人なんだろう。
「なんか、やっぱ育ちよさそーだね?」
「へ?」
頭の天辺から足の爪先まで、紫さんは私をじいっと見てそんなことを言った。
も、もしかして何か変なのかな……?
一応、朝に伊吹に確認をしてもらって、服装はいつも通りだとは言われたけど……。
「おか、しいですか?」
「ううん、品がいいなと思って。可愛いし、ウサギちゃん意外とセンスあるんだね?」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
「う、うん(意外と、には反応しないんだ)」
思わず照れながらお礼を言うと、紫さんは少し圧倒されたように頷いた。
「それじゃあ、とりあえず。今日はどこに行こうか?」
「あ、あの、それなんですが紫さん!」
「ん?」
「私、お金、持ってないんです……」
「え?」
「実は……」とお金を持ってない経緯を話せば、紫さんは「そっか」と小首を傾げた。
「じゃあ、タダで遊べるような所がいいよね。ついでこの辺の道案内とかしてあげる」
「いいんですか? わあ、ありがとうございます!」
手を握りながら食い気味にお礼を言えば、再び戸惑いつつも「あ、うん」と紫さんは頷いた。
けれどそんなことを気にせずに、私は一人、これでもかってくらいに浮かれていた。
「――それでここが……この辺で一番近いアーケード街」
「はあ……すごい人ですね」
「土曜だしね」
信じられない人の多さにごくりと喉を鳴らす。
あの中で迷子になってしまったら、私はきっと生きて帰れないだろう。
そのくらいの人混みだった。
「ほら、こっち」
「は、はい……!」
私の腕を引く紫さん。なんだか友だちっぽい……!
ドキドキとしながらその後を追えば、彼女はアーケードの中にある円状の噴水に近づいた。
「あ、れ……これは、噴水ですか?」
「そうだよ」
こんな場所に噴水があるだなんて……すごいな。
噴水の周りのベンチにおじいさんとかおばあさん、若いお母さんや小学生の子たちなどが座っていて、その周りを囲んでいた。
噴水の真ん中にいる女神様が持っている壺からは、ちょろちょろと水が流れている。
「そろそろかな……」
腕時計を見ながら呟く紫さんに首を傾げると、彼女は「覗いてみ」と水の溜まった水盤の中を顎先で指した。
「……あっ、光りました!」
「12時なるとね、色んな色で光るんだ。綺麗でしょ?」
「はい、とても!」
揺らめく水の中で鮮やかに光り輝く水盤と、さらにはクラシック曲まで流れてきて、私は感動のあまり「わあ、すごいですね!」と顔を上げた。すると、紫さんもそれを見ながら、くすりと笑って「いいね」と続けた。
「こういうのってさ、喜んでくれる人あんまりいないんだ。だから、そういう風に喜んでもらえて嬉しいかも。ウサギちゃんに見せてよかった」
そう言って微笑む横顔に、私はとんでもなくキュンとする。なんて素敵な人なんだろうか、紫さん!!
初めて味わうようなドキドキに胸元を押さえていると、「ちょっと待ってて」と言って彼女はどこかへ行った。私はしばらく水盤を見たあと、なんとなく近くのベンチに座りながらそわそわとその帰りを待った。
「お待たせ。はい、これ」
「! そ、それはもしや……!」
「クレープだよ」
「見たことあります!」
二つクレープを持ってきた紫さんは、その内の一つを私に渡してくれる。
「あげる」
「え、いいんですか?」
「うん、奢り」
こ、これが俗に言う奢り! 初めてされた……!
感動で固まっていると、「大丈夫?」と彼女は首を傾げていた。
「あっ、はい! ありがとうございます!」
「ん。大丈夫ならよかった」
紫さんは短く頷くと、私の隣に座りクレープを食べ始めた。
その様子を見たあと、私も紫さんにもらった貴重なクレープと向かい合った。
初めてだ……クレープを食べるの……。
どんな味だろう、と。ドキドキしながら口を近づけようとした、
ところで。
「――っにすんだよ! ふざけんな!」
穏やかな時間が流れていたアーケード街に、突如として響き渡る怒声。
周囲の空気が一変して、私はびくっと肩を揺らしてその声が聞こえた方へ顔を向けた。
割と近い場所で喧嘩が起きているというのに、隣の紫さんはと言えば特に動じることなくクレープを食べ続けていた。さ、さすがだ……。
学校のことを思い返せば、どんな騒ぎが起きても紫さんからしたら大したことないかもしれない。
すごいな……。
「止めてくださいよ。俺らのことがクトコウだってわかってて喧嘩売ってるんですか」
「何いきなり坊っちゃんぶってんだ! 先に手ぇ出したのそっちだろ!」
ああ、怖い。掴み合いの喧嘩をしている。
びくびくと肩を震わせていると、紫さんが顔を上げて「クトコウ……?」と眉根を寄せていた。
「まさか」と何かを確かめるように、紫さんは立ち上がって、そして――。
「おい、何してるんだよ。そんな所で」
ふと向こうの方から聞こえた誰かの声で、一瞬、その喧騒が止んだ。
そんな男の子たちの中心に、少し派手なピンク色の頭をしている人がいて目立つなと思う。
けれど髪色なんてそれほど気にならない程度には、こんな昼間から衝突している高校生同士の喧嘩の方が目立っていた。
みんな関わりたくないとばかりに、その空間だけを開けて避けるようにしながら歩いていく。
周りにいた小学生たちやおじいさんやおばあさんは、逃げるようにして建物の中に入っていった。
立ち上がった紫さんに近づいて、私は「どうしたんですか?」とそっと訊ねた。
「どうして花椰が……」
少し焦ったような顔をした紫さんが、「ってことは……」ときょろきょろと辺りを見回して、
そして。
「うわ、最悪。いるのかよ……」
とある一点を見て、顔色を変えた。
首を傾げながら、その視線を追うようにして私も目を向ける。
するとそこには、白色に近い品の良いブレザーを少々着崩して、色素の薄い茶色の髪をほんの少しくしゃりと遊ばせた男の子がいた。
周りと違った雰囲気を纏う彼にどきりとする。
表情を一つも変えず、冷たい眼差しで周囲を見たかと思えば、ふと、私たちの方へと顔を向けた。
目が合って、私は無意識に息が止まったような感覚がする。
どこかで、見たことあるような顔だと思った。
「やば……」
「……え?」
「走るよ!」
「え……えっ!?」
突然、紫さんが私の腕を取る。
すると、私のクレープが持っていた紙からするりと抜けて向こうの方へと飛んでいった。
その様子が、何故かスローモーションで見えてしまう私。
ちょ、ちょっと待って! 私まだ一口も食べていないのに……!




