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やっと二巻目に突入です。
◇
敵を増やして数日後、試験最終日となった今日。
溜まり場によく集まってくる皆さんのイライラは、普段はしない試験勉強のストレスと突然の〝禁煙命令〟のせいでピークに達していた。
正直、溜まり場にくる人たちだけじゃない。
私の命令は当たり前だけれど学校中に行き渡っているので、試験期間と重なってか全校生徒がかなりイライラしているようだった。
「おいてめえ、歩くときは気をつけろよ!」
「ああ? ぶつかってきたのはおめえだろ! このデブ!」
廊下ではすぐに殴り合いが起き、
「おうおう! やれやれ!」
「ぶっ倒せ!!」
「賭けしようぜ、賭け!」
生徒たちはその小競り合いを見物しながら、ストレス発散をしているようにも見えた。
そんな荒れ果てた校内のせいで、先生たちは毎時間毎時間、試験官をした後そそくさと職員室に逃げ帰っていった。時に、身の安全のためにヘルメットを付けた先生までいて、ここは本当に日本の高校かと疑いたくなった。
「あ、ヘルメット先生」とか呼ばれていた時は、外国人の先生かと思っていたけれど。実際に見たら、生粋の日本人らしいおじいさん先生がヘルメットを付けているだけだった。
「うあー、もう俺ダメだわ」
昼休みになり、突然ふらりと教室を出ていったリュウくん。
気分が悪くなったのかと思い、少し心配になってその後を追えば……。
事件は起きた。
「っ、ぁっ、ちょっとはやい、龍蔵くんっ……!」
どこに行ったんだろうと、二年生の教室がある廊下の一番端の教室までやってきた。
初めて来たその教室の扉の隙間から、聞こえた声は。
「もう無理っ、まじで、イライラしてどうにかなるって……」
「待って、まだ入らな……あぁ、んっ!!」
「!?!?」
それはもう、なんとも卑猥だった。
ひえ、と言う声を込み込んで、驚きとともに私は後退りしてしまう。
即座に逃げようとも、向こうの廊下側では乱闘騒ぎをしていて、教室に戻れるような状況ではなかった。
「っい、た……!」
「ごめん痛かったね、でも俺、我慢出来なくて……」
「っんあ、いいよ、龍蔵くんなら……っ」
室内から聞こえるのは間違いなく、リュウくんの声と知らない女の子の声。
こ、この人たち、な、なな、中で、一体なにを……!?
人生で一度たりとも聞いたこともないような声が耳にしたせいで、一気に頭が混乱した。
ひ、ひとまずここにいたらダメだ。
早く、早くこの場から離れなくちゃ……。
一歩、また一歩、後ろに足を引いて、私はその場を後にしようと心は決意しているというのに、足がなかなか動かない。
そのせいで、微かに開いた扉の向こう側では、薄暗い室内で絡み合う二人の男女の姿が脳裏に焼き付いていく。
あれが俗に言う、きゅ、求愛行動……って、やつですか……?
一気に恥ずかしさが増して、頭が沸騰してしまいそうになっていると。
ほんの、一瞬。
リュウくんと、目が合った気がした。
あくまで、気がした、だけで本当は合っていなかったのかもしれない。
けれども、まずいと反射的に思って、私は非常階段の方へと弾かれたように駆け出した。
あ。と、リュウくんが口を動かしていたように見えたけれど、それも気のせいだと思い私は一階まで駆け下りた。
「っ」
信じられない、何を見せられていたんだろう!?
と。混乱したまま一階に辿り着くと、一年生の廊下もイライラピークの生徒たちのせいで荒れていた。
今にも乱闘が始まってしまいそうなほど怒号を飛び交い、到底一年生とは思えないほどの大きな体格をぶつかり合わせて、喧嘩していた。
もうどこに行ってもこんな調子だ。
毎回毎回試験期間中って、こんな感じなのだろうか。
休まる場所が全くなくて、私の足は自然と溜まり場のある離れに向かっていた。
そうやって、自然とその場所に向かっている自分が正直信じられなかった。
あんなに嫌だと思っていた場所だったのに……普通の校舎にいるよりマシだと思えてくる日がきてしまうだなんて。
本当に信じられない、と。
頭を押さながら、古びた離れに入ろうとする。
そう言えば以前、トラくんが、ここって音楽室と美術室と多目的室と工業施設室とかいう教室を集めた、芸術科目を主として行う建物だとか言ってたっけ。
音が出る授業とか、逆に静かに作業する授業とか出来るように離れを作ったらしいけど、芸術系の教科はなかなか需要がなくて(というかやっても真剣に授業を聞いてくれる生徒が少なすぎて)今やなくなってしまったのだと言っていた。
溜まり場とか呼ばれるあの場所も、もともと音楽室だったらしいけど。……なんだか勿体ない。
音楽の授業、好きだったんだけどな……。
そんなことを考えながら、ギシギシと軋むすりガラスの引き戸を開ける。
ここから入るのは、初めてかも……。
と、思ったところで。
「ぎゃ! クモの巣っ!!」
後退して、そのまま後ろに身を引いた。
――ら。
ドスッと、背中から思いっきり何かにぶつかった。
なかなか硬い感触がして、恐る恐る振り返る。
そして、見上げた先には銀色揺らめていて、
「と……う、まさん……?」
戸惑いながら、無言で後ろに立っていたその人の名前を呼んだ。
じっと、こちらを見つめる顔は今日も恐ろしいほど整っていて、思わずごくりと喉を鳴らす。
よく寝癖がついているブルーアッシュの髪の毛は、珍しくお洒落に整っていた。
「ごっ、ごめん……なさ、い……」
身体が強張らせながらも、ぶつかったことへの謝罪をする。
いつまで経っても冬馬さんという存在に慣れず、言葉が途切れ途切れになってしまうと、いつになく冷たい目を向けられて悲鳴を上げたくなった。
「………やべえ」
すると、ずっと無言だった冬馬さが、ぽつりと呟く。
「え……」
やべえ、とは?
と、聞き返したくなったと同時に、肩を抱かれてそのまま建物の中に連れ込まれていく。
「えっ、あのっ……冬馬さん!?」
慌てて名前を呼ぶけれど、全く聞こえていないのか。
すぐそばにあった埃っぽい教室の中に無理やり押し込まれてしまった。
「ど、どうしたんですか?」
「……」
どうして何も答えてくれないんだろう。
急に緊張感が走って、ばくばくと心臓を鳴らしてしまう。
なんだか嫌な予感がする……。
と、逃げる姿勢をとった私の腕を掴んで、目の前にいる冬馬さんは「逃げるな」と低い声で告げた。
「もう我慢ならねえ……」
「へ……」
「たばこ禁止が、こんなにきついとは思いもしなかった」




