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どうやら翡翠さんの言っていた通り、有松北高校の評価基準は本当に試験のみらしい。
試験が悪ければ、普通に留年してしまうらしく。
試験範囲を授業内で教えてくれる本日の校舎内は、普段からは考えられないほど人口密度が高かった。
教室にいても、廊下を歩いていても。
普段なら絶対に教科書を開くことすらなさそうな人たちが、今は必死に教科書とノートにかじりついている。
まさに、異様な光景だった。
「ここのxが4、いや5……? っだァアア、っもう! わっかんねえええ!!」
「ファイト、ミクたん」
「なーにがファイトだ。てめえも今回の試験やべえくせに」
「いや。まあ俺、今回は補習でもいいと思ってんだよねー」
「は、なんでだよ」
「だって、数学の瀬戸内センセのお尻の形って、最近俺をビビッと刺激するんだ。ちゃんと見たことある? だから、まあ補習くらい悪くないなあって」
「相変わらず趣味悪いな」
けっと軽く悪態をつきながら、ミクさんは椅子に深く座り直す。
リュウくんはいつも通りへらへらしながら、さらにに無駄な言葉を続けた。
「エックスって、響きがエロいよね」
「お前と話してるとIQ下がってる感じがするわ。耳鼻科行けマジで」
「ミクたんったら酷いな、そうは思わない? オサゲちゃん」
「…………えっ!?」
影を消していたつもりだったのに、隣に座っていた私に笑顔で声をかけてくるリュウくん。
「そうだ。ちょっと言ってみてよ、エックスって」
「え、えっくす……?」
「そうそう。んじゃ、〝え〟を〝せ〟に変えて言ってみて?」
「せ、せっく……?」
「オラ! 痴女オサゲ! てめえは問2が解けたのか!?」
「はっ、いえ! まだですっ!!」
テーブルの上に、思いっきり教科書を叩きつけるミクさんに私は肩を揺らしてノートと向き合った。
「邪魔しないでよー」
私に何を言わせる気だったのか。ちょっとむっとしたリュウくんが、視界の端で見えた。
――ここは、あの離れにある溜まり場だ。
何度も来ればわかるけれど、ここは彼らの集いの場となっている。
ちなみに今日の5、6限は来週の試験に向けて、ほとんどのクラスが自習時間だったりする。
そのため、溜まり場に移動した(というかリュウくんに無理矢理つれてこられた)私とリュウくん、ミクさんは一つのテーブルを囲んで、教科書やノートを広げていた。
「……それで、ここがこうなる」
「なーるほどー」
少し離れた場所では。翡翠さんに質問していたトラくんが手を叩いて教科書に何かを書き込んでいる。
そして、他の強面さんたちは、
「冬馬さん、ここはどうなるんすか?」
「ああ? そんなのもわかんねえのか」
「すみません、冬馬さん。ここを教えてください!」
「チッ、ちょっと待て」
「おいコラ! お前ら散れ! 冬馬は俺の勉強を見てくれることになってんだ!!」
泰司さんと一緒に、冬馬さんを取り囲んで勉強をしていた。
その様子を見て、やっぱり信じられないなと思う。
『スイと冬馬さんは、それぞれ学年首席とれるレベルでとび抜けて頭良いよ。まー、二人ともなかなか本気出さないから、二位とか三位とか。冬馬さんはたまーに一位とるけど、謎だよねぶっちゃけ』
勉強を始める前にトラくんがそんなことを言っていた。
翡翠さんは私に勉強を教えてくれると言ってくれたから、きっと頭が良いのだろうと思っていたのだけれど、まさか冬馬さんもだったなんて。
人は見かけによらないらしい。
しかも首席って……! 私なんて、平均以上をとるだけで精一杯なのに!
「んで、わかったのか。答え」
「へっ!? あ、えっとですね……」
「早くしろよ、痴女オサゲ」
「!」
翡翠さんが向こうに行ってしまってからは先生役がいなくなってしまったので、代わりに私がその役を務めている。
ミクさんもリュウくんも、勉強は私以上に苦手みたいだった。
「あ、あの……」
「んだよ」
私の前に座るミクさんにおずおずと目を向けてみれば、彼は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「そ、その……痴女オサゲって、いうのは……?」
「無抵抗のスイを襲ってただろ。なんだよ、いまさら否定すんのか?」
「! だ、だからですね、あれはちがっ……!」
「オサゲちゃんさあ、今度からは俺を誘ってよー。俺、上手いから。ね?」
するりと横から肩に腕を回して、さらには耳元でそんなことを告げるリュウくん。
びくっと猫のように毛を逆立てる私を見て、リュウくんはブッと吹き出してその手を離すとケラケラと笑っていた。リュウくんは本当に笑い上戸だ。
「ほら変態痴女オサゲ、早く答えを言えって」
「!」
誤解が解けぬまま、変態が追加されていた。
「は、8じゃないでしょうか?」
「あ? 何言ってんだよ。違えだろ、5だろここは」
「えー、10じゃないの?」
「いえ、8ですよ!」
「5だ! ふざけんな!」
「えー、10だって」
テーブルの上に広げたノートを指差しながら、私とミクさんとリュウくんは決着のつかない言い合いを延々と続けていた。
「9だって」
「トラ」
ミクさんの隣に座りながら、それを言う。
「なんでわかんだよ」
「だって、スイに教えてもらったし」
ふふん、と得意気に言うトラくんに「卑怯者め」とミクさんは舌打ちをした。
「で、スイは?」
「休憩だってさ。お茶買いに行った」
「あ゛ーっ、俺も休憩してー」
天井を仰ぐミクさんに、リュウくんは「じゃー休憩しよー」と伸びをする。
「お前ら、なんも進んでねえだろ」
「意地悪言わないでよトラー」
「リュウ、たばこ」
「ん? ああ、今持ってないや」
ミクさんの言葉にリュウくんはそう言って、そのままソファの腕置きに身体を倒して項垂れた。
「おい丸岡ー、たばこ」
すると、そこを丁度通りかかった丸岡さんにミクさんはそれを求める。
私は思わず、「た、たばこ、ですか……?」とミクさんを見た。
「あ? なんだよ」
「どーぞ」と箱ごとそれを渡す丸岡さんから、ミクさんは眉根を寄せながら私に顔を向けた。
「なんか文句あんのか」
不機嫌そうなミクさんは、箱から一本それを取って口にくわえる。
「丸岡、俺もちょうだい」
「俺もー」
「はい、どうぞ」
頷く丸岡さんに、トラくんはミクさんから箱を貰って、そこからリュウくんも一本引き抜いた。
私は首を振って、「だ、だめですよ……」と言葉を続けた。
「ああ?」
「いけませんよ、たばこは……その、未成年、ですし」
ぼそぼそと言う私に、ミクさんははっと鼻で笑う。
「変態痴女が偉そうに説教かよ?」
「っ、い、いえ……そういうわけじゃ……ないんですけど……」
「ええー、ケチケチしないでよ。オサゲちゃん」
隣に座るリュウくんまでもそれをくわえて私を見る。
その目がどこか面倒臭そうで冷ややかだった。
他の人たちも、そんな目をしている。
ああ、そうだ。変人だったり、試験勉強に必死だったりで、うっかりすっかり忘れてしまいそうだったけれど。
この人たち、世間で言う〝不良〟と呼ばれる類の人たちだった。
私は身体を震わせながらも、必死に首を振った。
「身体にも悪いので、その、やめた方がいいです……」
「何言ってんの、オサゲちゃん。ここで、んなこと言ったって無駄だって」
トラくんですら薄く笑って、その白い棒を口にくわえて火を付けようとする。




