39
「あれ? 紫ちゃんじゃん。珍しいね、なんで学校にいんの?」
白々しく首を傾げる彼へ、彼女は「小野町……」と面倒くさそうに名前を呼んだ。
「そういやあんた、このクラスだったっけ?」
「そうだよ。酷いな、俺は紫ちゃんのクラスきちんと覚えてるのに」
「きも」
「相変わらず口悪いねー。顔は可愛いのに」
へらりと笑いながら、空いていた隣の席に腰かけてリュウくんは言う。
「で、なんの話してんの?」
「何って、別にふっつうの話。ねえ?」
「あっ、はい……」
「デートとか聞こえたけど。っていうか、キミら知り合い? 知らなかったんだけど」
「さっき私がナンパした」
「へえ、紫ちゃんが?」
「まあ、どんなやつか気になったわけよ。この学校のトップがどんなもんか」
立ち上がる彼女は「それに」と言葉を続けた。
「伯父さんに頼まれたからね」
「校長に? なんて?」
「そりゃあ、仲良くしてあげろ。的な?」
「へえ」
「まあ、私の好みじゃなかったら、そんなもん聞かなかったけど」
私を見て、彼女は整った顔でにっこり微笑むと。
「バッチリタイプ。ウサギっぽいところとか」
彼女が、先ほどの私のように手を握ってきて、思わずびくっと身体を震わせる。
その反応に満足したように、彼女はこう言葉を続けた。
「ほら、こういうところ。こんな可愛らしい反応してくれる子なんて、早々いないよね。ほんと、ゴリラ女とかじゃなくてよかった」
「Sだよね、紫ちゃんって。っていうかゴリラ女って何?」
「いやいや、どこぞの垂れ目には負けるわ」
「どこの垂れ目って誰のことですかー」
語気を強めてにこにこと続けるリュウくんを、彼女は横目で睨むと彼の座っていた椅子に思いっきり蹴って「てめえだよ」と悪態をついた。
「じゃあ、私行くわ。いくら天才の私でも、テストの範囲くらい聞かないと来週、死ぬし」
「あ、紫ちゃんもそれ目的で今日来たんだ?」
「まあね。……それじゃあまたね、ウサギちゃん」
「……え? う、うさ……?」
「私のことは紫で良いからー! デートしようねー!」
戸惑う私を置いて、彼女は可愛らしい笑顔を見せながら教室から出ていった。
込み上げる嬉しさに、私は口元を手のひらで覆う。
ウサギちゃんと呼ばれたことは、この際どうでも良かった。
デート、お出かけ。
デート、遊び。
「~~っ」
も、もしかしたら、私! 初めてのお友達というものが出来たのかもしれない!
くうっと嬉しさを噛み締めていると、リュウくんが『危険だなあ』と言わんばかりの目を私に向けていた。
「まさか、紫ちゃんがオサゲちゃんに目をつけるとはねえ……」
「リュウくん、お知り合いですか……?」
「うん、まーね。てか、紫ちゃんのこと、知らない人いないと思うよ?」
「ああ……美人さんですもんね」
「まあ、それもあるけど。それ以前に、校長の姪っ子だし。それをひけらかして、校内で自由に生きてるしね」
「…………えっ! 校長先生の姪御さんなんですか!?」
「あれ? 名前聞かなかったの? 苗字ですぐに気づくと思ったけど?」
リュウくんは首を傾げて私を見る。
た、確かに……! 有松って言ってた……!
だから、私が女の子のお友達が欲しいことも知ってたんだ!
両手を合わせて、なるほど……と納得している私に、リュウくんは珍しく呆れた顔をして口を開いた。
「まあ、気をつけなよ。あの子、どっちもイケる口だから」
「何がですか?」
「だから、男も女もどっちもイケる口なの」
「?」
「……もういいよ」
諦めたように微笑むリュウくんに、「そういえば」と私は視線を移した。若干伏せられた彼の垂れ目が、「ん?」と私に向けられる。
「黒のトップ、って、私のこと……です、よね?」
「ああ、なんだ紫ちゃん。そんなこと言ったんだ」
「この絵の、ここです。上から三段目くらいの段からの人達をまとめてそう呼ぶって、言ってました」
「どれどれ?」
椅子を近づけて、私の机を覗き込むリュウくんは「あーそうだねー」とやる気なく答える。
「確かにそう呼ばれてるかも」
私の机にぐりぐりと落書きを始めるリュウくんは、大して気にもしてなさそうに答えた。
「リュウくんは、これで言うとどの辺なんですか?」
「俺ー? 俺はねー」
ピラミッドの一番上、の少し下。
一番目と二番目の狭間と言わんばかりのそこを丸で囲む。
「この辺……」
「へえ……」
「が、理想」
「理想!?」
「うん。だって、一番楽そうな位置だし」
ヘラヘラと私の机で頬杖をつきながら落書きを再開していた。
リュウくんって人は、いまいち掴めない。
いつものらりくらりとしていて、一体何を考えているんだろうと思う。
例えばミクさんとかなら、すぐに表情に出てわかりやすいけれど、リュウくんはあまり表情を……いや表情というか、どこか自分の作った空気を崩さない感じがある。
「はい、出来た」
「! わあ、お上手ですね? 怪獣ですか?」
机に描かれた即興の絵に、私は思わず拍手をしたくなる。
トラくんの時とは大違い。失礼だけど、彼の絵は本当に至極壊滅的だったから。
「がおー」
可愛らしい怪獣に吹き出しをつけて、言葉にしながらその台詞を書くリュウくん。
その楽しそうな姿に、「リュウくんって」と小首を傾げた。
「絵、描くの、好きなんですか?」
「…………え?」
目が点になる彼に、私はもう一度訊ねる。
「好きなんですか? 絵」
「っいや、そんなには……」
どこか不意をつかれたというリュウくんは、少し戸惑ったようにシャーペンを置く。
「そうなんですか……じゃあ手先が器用なんですね?」
「え?」
「メイクも上手いですし……あ! そういえば、私のヘアゴム……」
思い出したように声を上げれば、リュウくんは「あ」と自分の腕を見た。
「これ?」
「あ、それです!」
手首についた紺色のヘアゴムを差して首を傾げている彼に、私は頷いた。
ああ、やっと髮の毛が結うことが出来る……!
予備は家にあるけれど、今は持っていない。
髪の毛は結っていないと心が締まらない気がして、どこか慣れない。
ふわふわするというか、地に足がついてないというか。とにかく気が気じゃない。
表情が思わず明るくなる私に、リュウくんはいつものように目尻を下げて、
「俺が結ってあげよう」
なんて、笑顔でいらぬ提案をして私の背後に回った。
「え!? いや、いいです……!」
「なんで? いいじゃん。俺、女の子の髮触るの好きだし」
「いえ、でも……!」
「えー、そんな拒否られると傷つくなー? オサゲちゃん、俺のこと嫌い?」
「い、いえ、嫌いかと聞かれましても……」
「嫌いなの?」
どこか切なげな声が背後から聞こえて、私は角が立たないように「だ、だからですね」とそっと続けた。
「そういう意味では……」
「じゃー、いいじゃん!」
「!!」
どうやら、何を言っても無駄らしい。
「やっぱり、髪の毛綺麗だね。さらさらだー」
一日に二度も、男の子に髪の毛が触られることがあるものなのだろうか。
ぎこちなく固まっている私と、その髮を鼻歌交じりに触っているリュウくん。
信じ難い異様な光景に、クラスの人たちの視線が戸惑いの色に変わる。
「なんだ、あれ……」
「どうしたんだ。小野町」
「っていうか、あの小野町を付き従えてるあの女って、やっぱりすげえんだろうな」
「髪の毛まで結ばせてさ、こえー」
「…………」
聞こえていないとでも思っているんでしょうか。
「俺を付き従えてんだってオサゲちゃん。うけるー、最強だね?」
へらへらと笑いながら、リュウくんは私の髪の毛をいじっている。笑い事じゃないのに。
そして結び終えると、リュウくんは「うん、可愛い」なんて言って私の頭を撫でた。
……び、びっくりした。一瞬、頭でも叩かれるんじゃないかと思った。
授業が始まると、珍しく教室でリュウくんも授業を受けていた。
そして、何事もなくあっという間に昼休みになり、驚くほど平和な時間が過ぎていった。




