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放心状態のまま、ぶわっと涙が溢れそうになっていると。
「――お前ら、そんな所で何してんだ」
不意に聞こえた深みのある声に、私たちは一斉にそちらに顔を向けた。
さっきの新島さんが赤茶髮だとしたら、そこに立つ存在感たっぷりのその人の髮は完全な赤色。
そして大きい体格に、うっすらと見覚えがあった。
「あれっ、泰司さん!?」
「え、いつの間に!?」
トラくんとミクさんが驚いたように目を見開いた。
「あ、泰司さんだ。最近、連絡ないから心配してたよー」
ヘラヘラと言葉を続けるリュウくんに、その人は「ああ、悪かったな」と頷きながら、ふと周囲を見回し……て。
そこで初めて、目が合った。
「お前は……!」
そして顔を険しくする、彼――泰司と呼ばれたその人に、私は肩を強張らせて、目の前の冬馬さんの身体を突き飛ばした。
「ごっ!」
「っ、いきなりどうし……」
「ごめんなさいいっ!!」
よろけた冬馬さんの言葉を遮って、私は即座に走り出してその場から逃げた。
だって私の記憶が正しければ、あの人は確か……。
私がこの学校に来た時に、何かの手違いで倒しちゃった人だ。
もしも捕まってしまったら、こっ、
「っ」
殺される!!
必死に走り去っていく私の背中を眺めながら。
「きょ、拒否られちまった……」
「あは、冬馬さん。こういうの拒否られたことなさそうだもんね。てか、拒否出来ないってのが正しいけど」
地面に倒れ込んでいる冬馬さんに、あははと笑うリュウくん。
赤頭の彼は不愉快そうな顔をして、トラくんに声をかけた。
「おい」
「なんですか、泰司さん」
「なんだこの状況は。お前ら、あの女がトップって認めたのか。」
「え? うん。泰司さんもそうだけど、冬馬さんもこの間まで学校にいなかったし、スイが勝手に決めたけど……。あれ、連絡いきましたよね?」
「…………チッ、翡翠のやつ」
「あれ。もしかして泰司さん、オサゲちゃんのこと認めて……」
ないの? と言おうとしたトラくんを遮って、ミクさんは「それより」と横から口を挟んだ。
「泰司さん、なんで今日学校に来たんすか?」
「そりゃあ、ミク。もうすぐ〝アレ〟があるから、泰司さんも来ざるを得なかったんでしょ」
笑顔で答えるリュウくんに、彼、泰司さんの耳はピクリと動く。
そして、無言でリュウくんを睨みつけた。
「ありゃ、怒ってる。ごめんごめん。口にしない方が良かった?」
「ばっかリュウ! お前、死にてえのか!」
頬を掻くリュウくんに、ミクさんは小声でそう言って肘でど突く。
そんな二人を鋭い視線で流すと、そのまま泰司さんは校舎の方に歩を進めた。
「あの女……絶対、ヤる」
◇
教室に行くと、授業が始まる目前で、私は必然的にたくさんの人たちからの視線を集めていた。
はあ、はあ。と上がる息を整えながら、私は肩身の狭い思いで自分の席に着いた。
もう時間もないからつい教室に来てしまったけど、
選択を間違えてしまっただろうか。
そう不安な気持ちを抱いていると、タイミングよく先生が教室に入ってきた。
はっ、鞄……!
そう言えば昨日から置きっぱなしだ。
急いで鞄の中身を確認すると、教科書や筆記用具も何もなくなってはおらず、奇跡的に財布も鍵も無事だった。よかった……。
朝、学校に来る前に「盗み多いからね、うちの学校」とトラくんに、言われはしたけど、案外そんなことをする人はいないのではなかろうか。
荒れた生徒が多い気もするけれど、人は見かけによらないとも言いますし……。
なんて考える私は、転校初日にあった数々の出来事を都合良く忘れていた。
そもそも、このクラスの問題児と呼ばれていた人(名前は確か、苅田さん)を、頭突きして肘打ちまでして倒してしまった私の物を盗む生徒なんて、この教室に現れるはずがないのだ。
周りの人たちが青い顔をしていたなんてつゆ知らず、私はようやく訪れた平和な時間に、ほくほく顔で授業を受けていた。
幸せだ……私が求めていた高校生活は、こういう……。
「さて、ここまでが中間テストの範囲だ」
「…………」
て、テスト……?
幸せな気分が一気に吹き飛ぶ。先生の言葉で現実に引き戻された気分になった。
青い顔をしている私の周りでは、「うぜぇ、マジやりたくねえ!」「うわ、だりぃ」「あ゛ぁ、絶対落とす。ダメだ」「留年確定しちまったらどうしよう」などの不平不満が飛び交っていた。
「テストは来週だから、各自頑張って勉強してくるように」
先生の言葉にサァッと血の気が引く。
ら、来週……?
ミクさんたちのせいで、ゆっくり授業を受ける機会がなかったものだから、それすらも知らなかった。
ど、どうしよう……!
予鈴が鳴り、休み時間に急いで教科書を開いて、どこからどこまで範囲なのかを確認する。
幸い、私の通っていた洸瞑での授業のペースが早かったから……この範囲なら自力でなんとか追いつきそうだ。
でも、自主的に勉強をするのは、すごく……。
「苦手だな……」
「何が?」
「その自主的に勉強をする……」
「へえ、勉強できそうな見た目なのにね」
「のが、です……」
と。ぴたりと固まった私は、はっと顔を上げた。
そして、目の前の席に座っていた女の子が、椅子の背もたれに頬杖をつきながら私のことを見つめていて、ぱちりと目が合った。
だ、誰だろう。この美人さんは……?
確か、前の席は男の子だったはずだ。
それにこのクラスに女子は、私を含め五人だけで、一人は廊下側の席で本を読んでいて、二人は男の子たちと話していて、もう一人はスマホで誰かと通話している。
いるはずのない六人目の女の子に、私は「え? ……え?」と目を瞬かせていた。
そして、何より。
「アンタが噂の〝黒〟のトップでいい?」




