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……………………
…………
……。
「…………へ?」
随分と素っ頓狂な声が出たと思った。
周りの人たちの声も、一斉に静まり返る。
「は? なに? 新島なんて?」
中心から離れたそこでは、こちらの様子を伺おうとしているトラくんの声が微かに聞こえるだけだった。
恐る恐る見上げてみると、目の前のその人は先程までしていた怖い顔なんて一切しておらず、心なしか切なげに目をキラキラとさせて、さらにこう、言葉を続けた。
「あんたに殴られたあの瞬間、確かにビビッとキたんだ」
何がビビッときたのだろうか。
それすらもよくわからない。
信じられないとばかりに、あんぐりと口を広げるミクさんやリュウくんたちが視界の端に見えた。
同時に、遠くの方から、予鈴の音が聞こえてくる。
ああ、どうやら遅刻確定らしい。
つまり校門前にいるこのたくさんの生徒は、全員遅刻ということになる。
何もかもが信じられなかった。
「あんなに強い女に初めて出会った。お前に殴られて気絶する時、俺は思ったんだ」
「な、何をですか……」
「嗚呼、これが運命ってやつなんだって」
「…………」
「…………」
こんなにシーンと静まり返った周囲に、泣きたい気持ちになったことはあるだろうか。
「あいつ作詞家かよ」
「ミクうっさい、今は何も言わないで(ダメだ、吹き出す)」
ばしっ! とミクさんの顔を思いっきり叩くリュウくんは、笑いを堪えているのか肩と声が震えていた。
「ってえな、何すんだいきなり!」
「ごめん、マジでやばい。死ぬ。やめて。喋らないで」
顔面を叩かれたミクさんはリュウくんの胸ぐらを掴んでキレていたけれど、彼は吹き出さないように必死だった。
「う、うん、めいって……ああ、もう、ダメだっ、俺、笑う」
頬を抓りながら気を紛らわそうとするリュウくんに、ミクさんは「……嗚呼」と口を開いた。
「これが運命ってやつなんだって」
「ぶっ! くっ! あっははははは!! もうっ無理! 無理だわ! 嘘だろ!」
ミクさんの耳打ちにリュウくんは大笑い。
腹を抱える彼を見ながら、周りの人たちは逃げるように校舎の方に向かっていた。
「運命! 運命!! ボス猿がウンメイ!!」
「黙ってろ小野町!!」
怒声を上げる目の前のその人に、私はひえっと悲鳴を上げてたじろいだ。
そんな私を、ばっと見た彼は「もしも……」とまたもや切なげに言葉を続けた。
こ、この人、周囲を気にしないにもほどがあるっ!
「もしも俺の女が無理ってんなら……」
「っ」
「せめて俺の師になってくれ」
…………。
「師!?」
って、どういうことですか!?
「生まれてこの方いろんなやつらの拳を受けてきたけど、あんなに重量感のあるパンチは初めてだったぜ」
ぎゅうっと手を握る力が強まる。もはや恐怖を通り越して頭が真っ白になりながら、彼を見つめることしか出来ない。
「なんか告られてんぞ、あの女!」
「違うだろ! 師匠になれとか言われてないか!?」
「いやいや違う! あれは求愛されてんだよ!」
「まさかニシヨミと共同戦線を張るのか!?」
「なんだって!?」
ざわざわと騒めきが止まらない。
それぞれ解釈は違うけれど、今はそんなことどうでもよかった。
「ぶっ! 師! 師だって!! 女と全然違う……! ああ、腹痛い……」
「リュウ、お前はちょっと笑うの止めろ!」
ヒーヒーとお腹を抱えて笑うリュウくんの肩を退けて、ミクさんは私たちの方に歩を進めた。
「俺たちは共同戦線なんてお断りだ! お前らニシヨミは、俺らの下で下で下なんだよ!!」
「ああ? 共同戦線張るとか誰も言ってねえ、俺はこの女に言ってんだ! てめえら野郎には興味ねえよ!」
ミクさんを睨みつけたかと思えば、再び私を見ながら彼は身体を屈めて、「頼む!」と懇願するように告げてくる。
「ぅ、ぁ……ぇ……?」
肝心の私は、上手く声が出なかった。
「――おいトラ。なんの騒ぎだこれ」
「え? うわ! 冬馬さんじゃん。なんでこんな早いの!? まだ一限も始まってないのに……」
「どうだっていい。なんだよ、この騒ぎは」
「……えっとー……この距離から聞こえてきた話によると、新島に……」
「はあ? 新島ぁ?」
眉根を寄せる冬馬さんにトラくんは言葉を続けた。
「オサゲちゃんが求愛? されてる? っぽい」
「は? ハニーちゃんに求愛……だと?」
「まあ、聞こえた話だから、本当かどうかは、って、ちょ!? 冬馬さん!?」
話途中のトラくんを置いて。
人集りを「退け! お前ら!」と強引に退かして、冬馬さんは走り出す。と。
「おいコラ、新島! ふざけんじゃねええええ!!」
「は? うわ、なんでっ、神山とう……ぶふっ!?」
新島さんに飛び蹴りをかましていた。
一瞬の出来事だった。




