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「……んん……」
寝苦しい気がして、寝返りを打とうかと思ったら何故か身体が上手く動かなくて、薄っすらと瞼を開ける。
チチチ、と窓の外から鳥の鳴き声が聞こえた気がしたので、きっと今は朝なのだと思った。
ゴツゴツとどこか骨ばった枕に、寝違えてしまったのか、少し首が痛む。
うう、っと眉間にしわを寄せて、一度、薄目を開けて閉じる。
けれど、嗅ぎなれない柑橘系の香りがしてもう一度目を開けた。
すると男の子らしい健康的な色味をした綺麗な肌と喉仏、そして規則的に動く広い肩に気づいて、私はぼんやりと開いていた目を、ぱっと見開いた。
そして、腰にかかる重みに、はっとする。
気づけば、彼の右腕が私の腰を引くようにして後ろに回っていて、そのせいで無駄に身体が密着して身動きが取りづらかったのだと思った。
「………きっ」
うそ、なんでっ……!
「きゃあああああああ!?」
どうしてトラくんが隣で寝てるの!?
「ん、何……どうしたの」
そっ、その声は……!
「い、いいっ、いぶっ……!」
声がうまく出ない。状況が上手く理解出来ない。
急いでトラくんの腕を引き剥がして、声のした方を見る。
すると、備え付けのベットの上から、伊吹が目を擦りながら身体を起こしていた。
こっちは床で寝ていたせいか身体がパキポキと痛いのに、あなたはベットなんですね。
とか、そんなことを思う暇もなく、私は口をパクパクと動かしていた。
「あ、もうこんな時間か……」
慌てふためく私を華麗に無視して、我が弟は優雅に時計を見る。
そして、伸びをしながらベットから下りて、そのまま洗面所の方に向かっていた。
私はおろおろと揺れる瞳で見つめるしかなかった。
そして伊吹のことを目で追いながら気づく。
あ……あれ、ここって……寮の部屋?
でもカーテンは、私のではない。見覚えはあるけど……。
呆然にも近い感覚で、室内を見回していると、「んん~……」と眠っていたトラくんが伸びをして、薄く目を開いた。
「あ……オサゲちゃん。起きたんだ、おはよぉ……うあ……」
欠伸をしながら、ゆっくりと身体を起こす。そのお洒落な髪にはいくつか寝癖がついていて、ピアスはつけっぱなしなんだと思った。
「ぉ、おはっ、おはよう……ご、ございますっ」
びくびくと、挙動不審になりつつも、つい挨拶を返してしまう。
そんな私に、今一度伸びをしながら目を向けると、彼は意味深に間を空けたあと、私に向かってにっこりと笑った。
「………昨日は、激しかったね(主にケンカが)」
「!?」
えっ、何が!?
何が、激しかったの!?
突然言われたそれに真っ青になりつつ、私はなんとなく身なりを確認してしまう。
あ、あれっ?
私、どうして制服!?
っていうか、ここは一体どこ!?
「つか、さすがに身体がいてーなぁ。腰痛くなった」
「!?」
こ、ここここし!?
「酷すぎ弟くん。床で寝ろとか」
「わっ、私……昨日は一体……」
「つうかまだ七時半じゃん。ねむ。ねよ」
頭を抱えて記憶を探ろうとしている私を他人事のように無視しながら、彼は今一度横になろうとしていた。
「ちょっと、もう起きてください。邪魔ですから」
「いたっ」
洗面所から出てきた伊吹が、かけてあった制服を取りながらトラくんをさりげなく蹴っていた。
「ちょ、酷過ぎない? もう少し寝かせてよ」
「嫌です。自分の部屋に戻って寝てください」
淡々と告げる伊吹に、ちぇっと舌打ちをしながら起き上がるトラくん。
私は益々、わけがわからなくなっていた。
「……大丈夫? オサゲちゃん。ここ、弟くんの部屋だけど」
「え、伊吹の……?」
ぼさぼさの頭を抱えたままトラ君を見る。
「うん。……てかオサゲちゃん、昨日の出来事はやっぱり何も覚えてないの?」
や、やっぱり……?
「え、と……昨日は……」
…………。
な、何、してたっけ。
すっかり思い出せない。
「すごいや。あんなに楽しそうに暴れまくってたのに……本当に覚えてないんだな」
「え? 楽しそうって、誰がですか……?」
「オサゲちゃん」
「へ………私、ですか!?」
「そりゃあもう、快感! と言わんばかりに激しく暴れまくっててさ。俺、もうついていけなくて」
「…………」
私の方がついていけない。
私が暴れた……? いつ? どうやって……?
トラくんの言っていることが謎過ぎて、脳内がショートしそうになる。
「それより姉ちゃん。シャワーでも浴びたら? 身体汚れてるでしょ」
いつの間にか制服に着替えている伊吹にはっとした。
そうだ、私……お風呂に、入って……って。
「どうして私、伊吹の部屋に……?」
しかもトラくんまで。
ちらりとトラくんを見る私に、彼は「ああ、それなら」と口を開いた。
「昨日、弟くんと一緒にオサゲちゃんをこの寮まで連れてきたんだけど、その時、俺とオサゲちゃんさ、鞄を学校に忘れたみたいで。鍵なくて部屋入れないから、弟くんの部屋に泊まらせてもらっちゃったんだよ」
「いやあ、悪いね」と伊吹に向かって詫び入れない様子で笑うトラくんに「あなたは無理やりに泊まりに来ましたけどね」と伊吹は刺々しい言い方で返していた。
「だって外で野宿しろなんて酷くない?」
「あまりにしつこいから、警察に通報してやろうかと思いましたよ」
「うっわ、冷徹だ。非情だし、無情だ」
「うるさいな。鞄くらい学校取りに行けばよかったんですよ」
「だから昨日も言ったじゃん。うちの学校、施錠早いんだって」
「……えっ、そうなんですか?」
首を傾げる私に、トラくんは「そうだよ」と言葉を続けた。
「昔、他校の生徒が夜に学校に入り込んで窓ガラス全部割ったらしいから、施錠早くなったんだと。それに、さっさと消灯して、電気代も節約したいみたい。ま、ビンボー校だし?」
トラくんの声に「はあ」と、理解が出来ないままなんとなく頷いた。
どうして他校の人がわざわざ窓を割りに来るんだろう?
どういう経緯があって、そんなことをしにくるのか全く理解出来ない。
首を傾げていると、「姉ちゃん、シャワーいいの? 本当に遅刻するよ」と伊吹が告げた。
「い、行ってくる!」
はっとしながら、急いで脱衣所に向かう。そしてカラスの行水の如く、スーパースピードでシャワーを浴びて、速攻で部屋に戻った。
「はや!?」と驚いているトラくんに「さあ、早く学校へ……!」と言いつつ、玄関に向かえばぐいっと首根っこを掴まれて、私はまたもや部屋に戻る羽目になった。
私のことを猫のように連れ戻したのはトラくんで、どうしたのかと振り返れば……。
「髮びしょ濡れだけど!? それで行く気!?」
と。本気で驚いた顔をしていた。
「信じらんない、タオルでちゃんと拭いた!? 川にでも落ちたあとみたいだよ!?」
「い、いえ……拭いた、つもりだったんですけど……」
足りなかったですかね……? と付け足す。
正直、タオルで頭を拭くってどのくらいがちょうどいいのかわからなかった。
そもそも前の家にいた時は、髮の毛を乾かしてくれるお手伝いさんがいてくれたし……。
ドライヤーくらい自分で使おうと思った時もあったけど、それもお手伝いさんがやってくれたからな……。
伊吹は「手伝いはいらない」って日頃からそういう行為を断っていたけれど、私は性格上あまり断れずにいた。
だってあんな好意的な眼差しで身の回りを手伝われてしまうと、断るなんて……そんな鬼のようなこと……!
だから寮生活を始めて、私は本当に一人じゃ何も出来ない人間だということを理解した。
もしも伊吹という優秀な弟がいなかったら、今頃どうなっていたかとさえ不安になる。
「はあ。ほら、ちょっとそこ座って!」
呆れたように溜息を吐いたトラくんに強引に座らされてしまう。
戸惑いながら「えっ、あの」と声を上げていれば、その一連に飽きたらしい伊吹は「遅刻したくないから、先に行くね」と、鍵をテーブルの上に置いた。
「戸締りしてきて。鍵は学校で渡してくれればいいから」
「えっ! ちょっと、伊吹っ!?」
私を無視して伊吹はそのまま鞄を持って、玄関から出ていった。
な、なんて、薄情な弟か……。
トラくんも言っていたけれど、伊吹は時にとてつもなく無情である。
青い顔になる私の頭上では、ブォオオオオ! と突如、機械音が鳴り出した。




