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そして、〝その時〟は私が思っていたよりも早くきてしまった。
「おいオサゲ。余計なことは言うなよ? 練習通りにしろ」
「は、はい……」
「なんとか、スイ達が来るまで持たせろ。絶対に隙見せんじゃねえぞ。わかったな?」
そう言って、ミクさんが私の背中を軽く押す。私は泣き叫びたい気持ちになりながらも、ゆっくりと歩を進めた。
「やぁっと、トップのお出ましかな? ……って」
赤髪のその人が、本当に待ち侘びていたとばかりに口を開いて私を見る。
そして、見た途端に目を見開き、「はっ、なんだよお前っ!」と盛大に吹き出した。
「おいおい、こんな変なのがマツキタのトップ? 嘘だろ!? なんだよそのサングラス! だせえ超だせえ!!」
ぎゃははは! と、腹を抱えて笑う赤毛のその人に合わせて、周りにいた他の人達も笑い出す。
指を差しながら思いっきり馬鹿にされて、わんわんと泣きそうになった。
「ってか、マジでトップが女とか!! 何かの間違いだろ!? 見ろよ! あの貧弱な体! どうなってんだよマツキタ! まさか藤山のヤロウも、女になっちまったんじゃねえの!?」
「んだと、あの赤毛猿っ……!」
「ミク!」
今にも走って向こう側に殴り込みに行きそうなミクさんを、トラくんが声を上げて止める。
「チッ……早く行けオサゲ! これ以上、馬鹿にされんじゃねえぞ!」
イライラした様子でミクさんが、後ろから無茶を言う。
そ、そんなことを言われましても……!
勇気を振り絞って歩を進めるけれど、あ、足が震える。
「まっさか、本気で俺とやる気かよ……?」
口元を緩ませたまま、赤毛の彼は周りの人達と目を見合わせながら、私の方に向かって歩いてきた。
ああ、神様っ! どうか無事に、終わりますように……!
心の中で祈りつつ、私はある程度距離をとったところで立ち止まって、「ぁ、あのっ!」と声を上げた。
「ああ?」
「あの、いや……お、おいっ! て、てめえら、まっ、まさか……! け、けけけ、喧嘩を売りに、き、きたんじゃ、ななっ、ないだろうなあ……?」
練習通りに言おうとしたのに、言えない。声が震えて、さらには裏返ってしまった。ああ、最悪だ!
途切れ途切れの怯えきった声に、ミクさんは頭を押さえて、トラくんは「ダメだこりゃ」とリュウくんと顔を見合わせていた。
「ばかオサゲ……今はその台詞じゃねえだろ……」
呆れきったミクさんがそんなことを言っているとも知らずに、私は練習で覚えた言葉を必死に並べた。
「う、うちの学校に、負けるとか、おも、思ってんのかよ……」
「…………」
私の言葉に、その場にいた人達が固まる。
「……〝勝てるとか〟だよオサゲちゃん!」
そして後ろからリュウくんの声が聞こえて、私は「あ、え……?」としどろもどろになりつつ、言葉を訂正した。
「う、うちの学校に、勝てるとか思ってんのかよ……!」
声を張り上げたがすでに時遅し。
しばらくの沈黙の後、赤毛の彼が盛大に吹き出した。
「ぶっ!! なんだこいつ!! ビビりまくりじゃねえか!!」
あーっはっはっは! と、人差し指で私を指しながら、ゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
背後ではミクさんが、本気で怒っているのか、指をパキポキ鳴らしているのが聞こえた。
ああ、終わった。本当に終わった。
私の命はどうやらここまでらしい。
前方にはゲラゲラ笑う赤毛の彼で、後ろには恐らく般若の形相をしたミクさん。
どうあがいても万事休す。溜まった涙ももうそろそろ落ちてきそうだった。
恐怖に震えながらスカートを握り締めると、ちょうど冬馬さんからもらった栄養ドリンクの存在に気付いた。
あ、そうだ。ポケットに入れていたんだった。
『元気出るし、ものすごいパワー溢れるから』
と、言っていたトラくんを思い出す。
ほ、本当なのかな……?
未だに腹を抱えて笑っている相手側の人たちを横目でみながら、私はポケットから栄養ドリンクを取り出した。
もう、後戻りは出来ない。
今の現状をどうにかするには……この栄養ドリンクにある、秘めた効力に、全てをかけるしかない!
深呼吸をしながら、蓋を開けて、私は意を決してそれを豪快に飲んだ。
そんな私に気づいて、目の前の赤毛は「は? 何してんだお前」と半笑いで声をかけていた。
「あ、リポD飲んでる」
「え、あんな場面で飲む!?」
「オサゲ、お前ってやつは……」
私が何をしているか気付いたリュウくんにトラくんが突っ込むと、ミクさんはもうこめかみを押さえるどころか、頭を抱えていた。
あ……。
「…………」
「………っ、ぶ!」
「…………」
どうしよう、気持ち悪い。
口元を押さえる私に、彼らはどっ! と盛大に笑い転げた。
「わっはははは! お前、俺を笑い殺す気かよ!!」
ヒーヒー! と、もう涙まで流している赤毛に続いて、その仲間達も盛大に笑っていた。
手元から栄養ドリンクの入っていた小瓶が落ちていく。
コロコロ、と。足元に小瓶が転がっていくのが、途切れそうな視界で見えた。
気持ち悪い。気持ち悪い、頭が……。
ぐるぐるして――。
「頭おかしいだろ! いきなり何しだすかと思えばこいつ……」
「……、よ」
「……は?」
「黙れよ、この赤毛猿」
「は?」
「何、笑ってんだよ」
「いやお前こそ、何いきなり……」
「黙れつってんだよ、聞こえなかったのか?」
私に胸ぐらを掴まれた赤毛は、突然の出来事に目を見開いて「へ?」なんて素っ頓狂な声を上げていた。彼の仲間たちは呆然となり。
そして何より。
私の後ろ側にいる、ミクさんトラくんリュウくん……その他、強面さん達が一番驚いていた。
「あー……最悪だ、頭がぐるぐるする。……気持ちわりー……」
「な、何すんだこのアマ! 手ぇ、離せっ……」
「うるせーって」
「言ってんだろ!」と、その赤毛の頬を思いっきり殴ると、横に思いっきりその身体が吹き飛んでしまった。
その場にいた全員が、面白いくらいにタイミングを合わせてその行方を見ている。
目まで点にしている彼らを無視して、私は「ってえ……」と、殴った衝撃できた痛みに手首をぷらぷらさせながら、倒れ込んでいる赤毛に歩み寄った。
サングラスを取ってその赤毛の顔を見下せば、彼は後退りしようとした。
から、その身体を踏みつけて、どこにも逃げないように押さえつけてやった。
「うぐっ」と見苦しい声を上げたそいつに、舌打ちをして「なんだ、弱いのな」と吐き捨ててやる。
「っ、て、てめえ! さっきまでのは、全部演技だったのか!?」
口端から滲み出ている血を手の甲で拭いながら、起き上がろうとする。
名前は……ああ。そうだ。確か……。
「新島」
「っ」
起き上がろうとするその男の身体を更に踏みつけて、身体を屈めて肩を押す。
近づいた顔に、そいつは少し頬を赤く染めた。なんだその気味の悪い顔は。
「誰が演技するって?」
「は、お、お前だよ……!」
さっきまでの威勢はどこにいったのか。あまりの弱さに拍子抜けしてしまう。
「誰がてめえみたいなミジンコに、演技なんかするかよ。ふざけんな」
「っ、み、ミジンコ!?」
「そうだろ。ウチの学校の強いやつらいない時に、こんな抗争しかけてきて……弱えクセに、卑怯者とか、ミジンコ以下だっつってんの。わからない?」
「お前っ!」
カッと顔を赤くした新島は、私の手を掴もうとした。けれど、それをすぐに避けると、私はその右手で男の頬を今一度殴った。
ら。
「あ、気絶した」
いとも簡単に気絶したもんだから、「なんだ、つまらないな」と身体を上げた。サングラスを新島とかいう、見た目だけは立派な弱っちいカスに投げ捨てて、私は首を鳴らした。




