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「頭は良くねえ、金もねえ。ブスだし、臆病者だし、胸は……まあ、そこそこあるみたいだけど巨乳じゃねえし」
ぐさぐさぐさぐさっ。
「たまに出る馬鹿力は……マジであれなんなんだよ? まぐれ……にしちゃあ強すぎだけど……」
「な、何もなくて、本当にすみません……」
胸に刺さった見えない言葉の矢を、ほろりと涙を流しながら抜いていく。
本当に、私ってば、なんにもない。
もはやなんのために生きているのだろう、とさえ思えてきた。
「お前のあの強さ、どうやって発動させんだよ」
「……こんなんじゃ、もう帰ったほうがいいですよね……きっと皆さんの足でまといになるだけですし……」
「おいコラ、聞いてんのか?」
「……もう、明日を無事で生きていられる自信もありません……」
「つか、なんだよこのグラサン。超だせえから、とれ……」
ううっ、落ち込んでいると、横からミクさんの手が伸びてきた。そのまま、くいっと、サングラスを持ち上げられる。
「……ぁ……」
思わぬ至近距離で目が合って息が止まる。不機嫌そうな表情をしていたミクさんも、さすがに目を大きくした。
さらりとサングラスに引っかかった私の髪の毛が、頬に落ちる。み、ミクさん、どうして私の顔をそんなにじっと見て……。
「お二人さん」
「……うお、リュウ!?」
「!」
「なあに、イチャついてんのかな~?」
私とミクさんの後ろ。
ニヤニヤと口元に手を置くリュウくんは、目元を三日月のように細めていた。
「誰がこんな女とイチャつくかよ! この後の話をしてたんだ」
「えー、そんなに近づいて? わざわざ?」
「うるせえな! 仕方ねえだろ、あんま聞かれないようにしてたら嫌でも近づいちまったんだよ。それに左側は……!」
と。そこまで言ったミクさんが、はっとしたように口を噤んだ。そんな彼に、リュウくんは「……あー」と間延びしたような声を上げると。
「そうだった。ごめんごめんミクたん」
と。言って軽く謝罪していた。
「まあでも、何にせよ!」
そして、私とミクさんの間に入って、肩を組んでくると、「もう敵は目の前にいますよー」と続けた。
「……あ?」
眉根を寄せながらリュウくんの手を振り払おうとしていたミクさんは、少し離れた場所にいる黒服の集団に気づいて舌打ちをした。
………いや、黒服じゃない。
近づけば近づくほど、黒服じゃなく、それが学ランだということがわかる。
髪の毛もミクさんたちに負けず劣らず派手で、私は喉奥で小さく悲鳴を上げた。
「やっぱ、新島がいるじゃねえか」
「翡翠さんが、わざわざオトリに引っかかってやったのに……」
「弱えくせに卑怯だぞ、あいつら」
私たちの後ろにいる強面さんたちも、一気に戦闘モードに入ったというか……只ならぬドス黒いオーラを身に纏っていた。
こ、怖い……!
任侠物の映画の世界に迷い込んでしまったような気分になって、カタカタと指先を震わせてしまう。
そ、そうだ、伊吹……伊吹はどこにいるんだろう。
この極限の怖さを和らげるために、顔を見たい……! と、強面さんの隙間を探していたら、いつものような顔をしながらスマホを見ている伊吹がいた。
感服した。あんな人たちの中で、平然とスマホをいじることなんて、普通は出来ない。
ああ、交代してほしい。伊吹なら、きっと、不良さんたちのトップだって、そつなくこなすだろう。
「おい、あれ」
「来たな……」
私達が近づいていくと、向こうの人達のざわめきも増した。今にも飛びかかってしまいそうな強面さん達を制すようにして、ミクさんは彼らの前に手を出した。
「久々かも、こーいうの」
とても楽しそうに呟くリュウくんに、私は一抹の不安が拭えなかった。
「……マツキタの皆さん、お揃いじゃねえか? どうしたんだよ?」
相手側。男の人達の間を割って、前に出てきたのは長身で赤毛でガタイのいい……。
「あれがニシヨミのトップ。新島だよ」
こっそりと耳打ちをしてくれるリュウくんに、さっき言われたミクさんの言葉を思い出す。
『お前、死んでもニシヨミのトップには殴られるなよ』
…………。
あんな大きな人に殴られでもしたら、私はどの道死んでしまうと思う。カタカタどころか、ガタガタと震えている私に、「もうすぐ出番だけど、大丈夫?」と声をかけてくれたのはトラくんだ。
不安でいっぱいいっぱい過ぎて、私は首を思いっきり振った。
「む、無理です……私、死にます……っ」
「ウラァアアアアアアアア!!」
「かかってこいやアアアアア!!」
「!?」
突如としていきり立った周りの人達と向こうの人達のせいで、私の声は一気にかき消された。
な、何事!?
慌ててトラくんの後ろに回って、その制服を掴む。
「うお、何? オサゲちゃん? どした」
「あ! いいなあ、トラばっかり! 俺にもやってくれればいいのにいー」
腕を上げて、後ろにいる私を確認するトラくんにリュウくんは羨んだ声を上げた。
「死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう……」
そんな彼らの声は耳に届かないまま。私は同じ言葉を繰り返しながら怯えていた。た、助けてください神様……!
「神様神様神様神様神様神様……」
「……ねえ、何かさっきから怖いんだけど。オサゲちゃん、神様って言ってない?」
「神様神様神様神様神様神様」
「はあ、俺も抗争中に女子に抱きつかれてみたい。そしたらヤる気に満ち溢れると思うんだよねえ。こう、めらめらっとさあ……あ。ヤるってのは、もちろん喧嘩の方ね?」
「いや、聞いてねえよ! とにかくオサゲちゃんを止めて! 怖いから!」
「神様神様神様神様神様……」
ぶつぶつと。一点を見つめたまま口を止めない私に恐怖を感じたトラくんは、リュウくんに助けを求めていた。
「姉ちゃん」
「神様神様神……伊吹様!」
「何言ってんの? 大丈夫?」
「伊吹っ……」
ようやく私のことを心配してくれた伊吹に感動してしまう。
心の底から安心しつつ、「大丈夫じゃない」と首を振る私に、伊吹は溜息を吐いて、ちらっとトラくんを見た。
「あの。これって、やっぱり姉がいないと出来ないことなんですか?」
「これってのは?」
「なんていうか……外部の学校との抗争ってやつ、です」
淡々と、少々怠そうに続ける伊吹に、トラくんは一度口角を上げた。
「当たり前。トップいないと何も始まんないから」
「へー、とっても大事な役割なんですね。そのトップっていうのは。ただはっきり言わせてもらいますけど、姉には不適任ですよ。その大事な役割」
「そうかな? 実際、君のお姉さんはうちの学校の頭を倒しちゃったわけだし、なるべくしてなったと思うけど?」
「……本当にそう思ってるんですか?」
冷ややかな目で訊ねる伊吹に、トラくんは「勿論」と笑顔で頷いた。
「それに弟くんだって、お姉さんにトップの素質があるかどうかを見届けるために、ここにいるんでしょ?」
「いや、それはあんた達が脅したから…」
「しかもオサゲちゃん借りるって言ったとき、許可くれたし」
「あ、そういえば……」
不意をつかれたような顔をする伊吹に、にっこりと微笑むトラくんは「じゃあ、今日は最後まで貸してよ」と続ける。伊吹は横目で私を見て、仕方ないと言わんばかりに溜息を吐いた。
「わかりましたよ。ただ、本気で危ないと思ったら家に連れて帰りますから」
了承してしまった。伊吹なら上手く断ってくれるかと思ったけれど、どうやら無理だったようだ。
「それじゃあ、ミクの合図があるまで待とうか。〝その時〟になったら、君は前に行って、俺達の先頭に立つんだよ」
トラくんに言われて、私は今度こそ、この役割から逃げられないと頭の中で悟ったのだった




