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「なーにそれ? あ、栄養ドリンクじゃん」
「冬馬さんからオサゲさんに差し入れです。さっき渡されたんす」
「へー、冬馬さんって、本当にオサゲちゃんのこと気に入ってるんだねえ」
リュウくんに「よかったね」と言われるけれど、全然よくないと思った。
「それにしたって、さっきはびっくりしたよね」
「びっくり、ですか……?」
「だってほら、オサゲちゃん。冬馬さんにさあ……」
と。そこまで言われて、私は全身を強張らせた。
――実は、あの抱き枕にされた後のこと。
急いでいたにも関わらず、結局は誰も冬馬さんを起こそうとはしなかった。
そして……。
「……んん……」
冬馬さんに抱き締められて、早三十分ほどの時間が経った頃。
「うわ、冬馬さん起きるぞ!」
「逃げろ逃げろっ」
「頑張ってオサゲちゃん!」
「……っま……」
待ってください、と言いたいのに。
みんなして一目散に逃げてしまった。
ミクさんもトラくんもリュウくんも。あの丸岡さんでさえ、ダッシュで逃げていた。
ああ、終わった。
きっと私はこのまま、ここで絞め殺されてしまうんだ……。と、絶望していたその時。
背中に回っていた冬馬さんの手が、お、お……。
お尻まで下がってきて。
「っひ……!」
声にならぬ叫び声を上げている私を他所に、「うわ、いいな!」と声を上げたのはリュウくんだった。
「ずるいよ冬馬さん、あんなの合法スケベじゃん!」
「何言ってんだよ。どこも羨ましくねえだろ、あんなぺったんこのケツ!」
離れた場所にいるリュウくんとミクさんが、何か失礼なことを言い合っている。
「っぁ、と、ま……!」
冬馬さんの何かを探るような手つきに、頭がパニックになる。お、親にもこんな風にお尻を触られたことなんてないのに!
「っ、や、やめ……っ!」
「ん……あ?」
すると、ぴたりと止まる手のひら。意外と長いまつ毛と共に、冬馬さんの薄い瞼がゆっくりと開いていく。
そして、近距離で目が合った銀色に、こ、殺される! と血の気が引いた、ところで。
「………だっ」
しばらくぼんやりと私を見つめていた綺麗な目は、次の瞬間、かっ! と見開き。
「誰だ、お前!」
「っ!?」
ドサァッ……! と劇的に地べたに放り投げられ、倒れ込む私。もう涙が止まらなかった。
「なんだ、こいつ! 一体、誰だ!? 誰の許可を得て俺の腕の中で寝てやがる!? ぶっ飛ばすぞ!」
勝手に抱き枕にして、もはやすでに吹き飛ばしておきながら、なんて理不尽な人なのだろう。
「ちょ、待って待って冬馬さん!!」
「その子はオサゲちゃんだよ!!」
「はあ!? 意味わかんねェよ!! どこに俺のハニーちゃんがいる? ぶん殴るぞお前ら!!」
「……意味わかんないのは冬馬さんだよ。よく見てよ!」
「んだとリュウ、お前……!」
「……ほらっ!」
急いで駆け寄ってきたリュウくんが、私の髪の毛をサイドに掴む。その隣でトラくんが「ね?」と焦ったように付け足していた。
「あー?」
眉間にしわを寄せて、顔を近づける冬馬さん。まるで天敵でも睨みつけるかのような、そんな不機嫌マックスな表情を私に見せていた。
その髮についた寝癖すら恐ろしく見せる。
「ひっ……!」
倒れかけている私は咄嗟に傍にいたリュウくんの足を掴む。と、「おい」と低い声が聞こえた。
「お前……マジでハニーちゃんなのか……?」
「そうだよ冬馬さん、だから抑え……」
「だとしたら、こんないかがわしい格好……一体どこのどいつにヤられたんだよ?」
トラくんが「え?」と声を上げる。離れてその様子を見ていたミクさんはすでに飽きたのか、スマホでゲームをしていた。
「いかがわしいって、何言ってんの冬馬さ……」
「てめえの仕業か、リュウ!」
「ぶっ!」
へらへらと声をかけようとしていたリュウくんが思いっきり殴られて、横に飛んでしまった。
ひえっ!? とその様子を眺めていると、冬馬さんは「ほら、安心しろ」と、私の肩を抱き締めた。
安心も何も、生きた心地がしなかった。
――それから暫く、みんなの……というか主に私の恐怖を煽っていた冬馬さんは、丸岡さんに翡翠さんのいる所へ連れて行かれてしまった。
「ほんっと大変だったよねえ。俺、まだ冬馬さんに殴られたほっぺが痛いもん。さすがに歯が折れたかと思った」
あはは、と笑いながら頬を摩るリュウくん。私が悪いわけじゃないのに、何故か罪悪感が……。
「それよりオサゲちゃん、栄養ドリンクあとで飲みなよ。元気出るし、ものすごいパワー溢れるから」
「え……」
トラくんに言われて、手元にある栄養ドリンクを見る。ものすごいパワー溢れる……。
そんな秘めた効能があるんだ……おそるべしリポビタンD。
「オサゲさん!」
「は、はいっ……?」
「三國さんが呼んでます」
強面さんの一人ににそう言われて、私は一気に表情を強ばらせた。
ミクさんからの呼び出しだなんて、嫌な予感しかしないもの。
「……あ、あのっ、何か……?」
びくびくとしながらも、先頭を歩いていたミクさんに近づいて声をかけると、彼はつり上がった猫目を不機嫌そうに細めた。
「やっと来たか。いいか、オサゲ」
「っ!」
ぐいっと肩を乱暴に掴まれて、私はミクさんに引き寄せられる。
「お前、死んでもニシヨミのトップには殴られるなよ」
「に、にし、よみ?」
「西夜見高校、聞いたことねえ……か、まあ、弱えしな。あいつら」
至近距離のままミクさんは続けるけれど、きっとそういうことではなく。単純に聞いたことがなかった。後ろにいる人たちは、私とミクさんが何を話しているか気になっているのか。首を伸ばしてこちらを見ていた。
「ニシヨミは弱え、しかも馬鹿だ。だから恥をかきたくなかったら、そのトップには死んでも負けるなよ。わかったな?」
「ニシヨミさんのトップ、って……」
一体、どんな人なのだろう……。
「三年の新島だ。……そうだな、見た目は赤毛頭で身長はでけえ。トラくらいだ」
「はあ……」
確かに、トラくんは身長が高い印象がある。
「図体はでかいが、頭はない。だから、なんかまずくなったら、口車に乗せろ」
「栗ぐるま……?」
「何言ってんだてめえ。ふざけてんなら、ぶっ飛ばすぞ」
「ひっ、す、すみません……ふざけてはないんですっ!」
「口車だ。く、ち、ぐ、る、ま! なんだよ栗ぐるまって」
「ごっ、ごめんなさい……! でも、そんな、口でどうにかするだなんて無理ですよ……!」
ミクさんたちにもこんな調子なのだ。
きっと恐怖で何も言えずに、立ち尽くしてしまうに決まっている。
「あ? お前まさか、ガリ勉みたいな見た目しといて、頭悪いとか抜かすんじゃねえだろうな?」
「……ふ、普通です」
「は?」
「いつも平均、点です……」
「は?」
うっ、と涙がこみ上げてくる。
「平均点しか取れなくてすみませんんっ」
「は!?」
突然大きな声を張り上げて謝る私に、目を丸くするミクさん。
申し訳ないけれど、私は伊吹ほど頭いいわけではない。
見た目のせいで確かによく頭が良いと見られがちだけれど、本当に、残念なほど普通なのだ。
「……完全に見かけ倒しだな……」
「み、見かけ……」
「つか、お前。頭も良くないんだったら何が取り柄なんだよ?」
「……と、取り柄……」
た、確かに、私の取り柄ってなんだろう……。




