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◇
「やっぱ、スイの言ってた通りになったな」
ぽつり、と、隣に立っていたトラくんが呟いた。長身の彼を見上げながら、「あの…」と小さく声を上げる。すると、ちょうどその時。
「何してんの、そんなところで」
「っ、伊吹!」
後ろを振り返れば、どこか呆れたような。それでいて、赤の他人でも見るような目を向けている伊吹がいた。
わ、我が弟! と、救いの女神が助けに来てくれたような気分になりながら、手を伸ばそうとした……ところで、「リュウ!」と聞き覚えのある声が聞こえて、私は動きを止めた。
「聞いてねえよ! オサゲはいねえつったじゃん! 嘘ついたな!?」
「だーから、〝オサゲ〟はいないじゃん? ほらよく見てよ?」
あの何を企んでいるかわからない飄々とした顔で、強引に彼の、コノエくんの顔を鷲掴んで私の方へと向けるリュウくん。
「ほうら、あそこにいるのは、〝オサゲ結び〟をした子じゃないでしょ?」
リュウくんがそう言うと同時に、コノエくんの眉がピクリと動いた。騙されたと言わんばかりに、顔を顰める。そして、目がばちっと合うと、コノエくんは顔を赤く染め上げてしまった。
「はっ、離せ、馬鹿野郎!」
リュウくんを思いっきり振り払おうとするコノエくん。私は顔を真っ青にしながら、頭を抱えていた。
私だって、あの〝事故〟を、都合良く忘れられるほどお気楽じゃない。はあ、と盛大な溜息を吐いていると、「何やってんだ、あれ」とマツキタの生徒側がざわめいていた。
「先頭歩いてんの八依だろ? 蔵木はどうしたんだよ?」
「つかやっぱり藤山さん、戻って来てないんだな」
「神山さんの姿ないけど」
「今からニシヨミのヤツらと話つけに行くって、言ってなかったか?」
「は? ニシヨミは俺らの下なのに、なんで今さら話をつけに行く必要があるんだよ?」
「それはほら、あの……」
「なんだ、あの女?」
がやがやと。人集りに交えて聞こえてくるのは、そんな会話だったりする。
ついでに突き刺さる痛い視線に、私は心が折れそうになっていた。
だ、だめだ……ここで怯えた顔なんてしたりしたら、私に明日はないんだ……!
ぐっと堪えて、顔を上げる。
そして、一秒も経たない内に、心折れた。
「うっ……!」
む、無理です。私に不良さんたちのトップを務めるなんて……。
「おっさげちゃーん」
「は……りゅ、リュウくん……?」
青い顔のまま見上げれば、垂れた目を細めてにっこりと微笑む。
と、何かを目元にかけてくる。一気に視界が薄暗くなって、「えっ」と私は戸惑いながら自分の目に触れた。
「何だ、あれ」
「小野町……あの女子に何かけたんだ?」
周囲がざわつく中、私は「なんですか、これ……」と不安一杯でそれを外そうとした。
「はい、外さなーい。こっちのほうが周り見えなくて、良いでしょ?」
「あの、これって……」
「サングラス。いいよ、めちゃくちゃ似合ってる! 一気に厳つい感じが出たね~」
うんうん、と笑みを絶やさないリュウくん。
ほ、本当に似合っているんだろうか。
「……あの、すみません」
「ん、なに? 弟くん」
「今からどこ行くんですか?」
「どこって……下町の近くで今道路が舗装工事されてんだけど、知らない? あの辺まで、取り敢えず行こうかなって……」
「いえ、場所のことではなく……」
伊吹が言えば、トラくんは「ああ」と少々口角を上げた。
「今から、コバエでも懲らしめに行こうかなって」
「コバエ?」
「そ。で、君のお姉さんって、仮にもこの学校のトップになっちゃったわけだし、いないと何も始まんないんだよね。だから、ちょーっと借りたいっていうか、いい?」
にっこりと微笑むトラくんに、伊吹が真顔を返す。お願い伊吹、断って。ノーと言って!
「……別に構いませんけど」
お、終わった……。救いの女神は私を見捨ててしまったみたいだった。
「でも、姉があなたたちの上に立つことなんて出来るんですかね」
「え、何? 心配?」
「そういう訳じゃなく」
「じゃあ、何」
淡々と訊ねるトラくんに、伊吹は顔を背けて「普通に考えて」と答えた。
「姉には無理だと思っただけです」
「……ふーん」
冷たく答える伊吹に、トラくんはにやりと口角を上げると「ならさあ」とその肩に腕を置いた。
「弟くんも行こうよ」
「ちょっとなんですか、重……」
「君のお姉さんが、俺たちのトップに相応しくないのか。自分の目で確かめてみなよ」
じっと目を合わせるトラくんに、しばし動きを止めた伊吹は、その腕を振り払った。
「……いや、俺は」
「トラの言う通り来たらいいじゃん。だってほら、コノエちゃんも行くんだし? 友達なら、ここは行こうよ」
「おい、リュウ! 勝手に話を進めんな!」
「こらこら、暴れないの」
笑顔のリュウくんが、コノエくんの首に腕を回す。その様子を伊吹は横目で見ながら、そうして一度、私へと視線を向けた。
「心配なら、黙って付いて来た方が良いと思うけど?」
そんな伊吹に、トラくんが静かに告げる。まるで脅しているかのように。
頷きもしなければ断りもしないまま、伊吹はトラくんへ目を向けた。
向けたというよりも、殆ど睨んでいるような……。
大丈夫かな、とハラハラしていると、「オサゲさん!」と急に呼ばれた。
「は、はいっ?」
この人は、確か丸岡……と呼ばれていた人だった気がする。
「な、なんですか……?」
「あの、これ!」
どうぞ、と力強く差し出されたそれに、びくっとしながら、目を向ける。
な、なんだろう……?
小さな茶色の瓶。その外側に貼られたラベルには、こう書いてあった。
「り、ぽ、び、た、ん、でぃ……?」
「はい! リポビタンデーっす! 決戦前になったらオサゲさんに渡せって、冬馬さんに預かりました!」
ハイッと、断る間もなく渡されて、私は「え……ええっ?」と、戸惑ってしまう。
「あれ? それリポビタンDじゃん。俺らにはないの?」
「それがオサゲさんにしか、冬馬さん用意してなくて……」
私の手元を覗き込むトラくんに、丸岡さんが剃り込みの入った坊主頭を掻いた。
「と、トラくん……」
「ん?」
「あ、あの、これって……」
「リポビタンD?」
「はい。これって……なんですか?」
「…………」
「…………」
「……え?」
「えっ?」
表情が固まったトラくんに、私は首を傾げる。
い、いま、私、何か悪いことでも言ったのかな……?
「何って……栄養ドリンクだよ? ほら、超有名じゃん。誰しもが一度は飲んだこと……」
「…………」
「が、ないの? まさか……」
「え、えっと、はい………すみません」
謝罪をしながら困った顔をしていると、トラくんは「マジでか」と目を丸くしていた。
「や、お嬢様って正直、半信半疑だったけど。そうか、なるほどね。本物の金持ちはこういうのは飲まないか。いや、つってもさすがにリポDくらいは……」
知ってるだろ、と。ぶつぶつと何かを言っているのだけは聞こえた。




