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「ん? ああ、オサゲちゃんの弟くんだよ」
いつの間にか私たちの近くまで戻ってきたリュウくんが言う。
「弟ぉ? ぜんっぜん似てねえな」
ミクさんは伊吹をじろりと見ながら「で」と続けた。
「その弟とやらが、ここに何の用だよ」
「……脅されて連れてこられただけで、別にこれといった用はないですけど」
「は?」
「もう行ってもいいのなら、今すぐにでも教室に戻りたいんですけど」
「いいですか?」と、淡々と告げる伊吹に、ミクさんはしばし無言を貫いたのち、静かに口を開いた。
「……リュウ」
「んー? 何?」
「こいつがオサゲの弟なのは十分わかった」
「なんで?」
「そこはかとなくムカつくからだ! なんだこのすかした態度は!」
わなわなと指を震わせるミクさんに、伊吹が「そんな態度、とったつもりはありませんけど」と続けようとしたけれど、「誰だ」と声が重なって聞こえていないようだった。
「お前を連れてきたとか言う、ふざけた野郎は!」
「俺だけどー?」
「え、何? どうしたの、喧嘩?」と。
リュウくんのさらに後ろからやって来たのは、さっき室内に入っていったはずのトラくんだった。
「トラ、てめえか! この生意気な男を連れて来たのは」
「そうだけどー……って、なに? 弟くんが何かしたの?」
「いや。別に、何もしてませんけど」
「本当に何もしてないよー」
伊吹のあとに、リュウくんがそう付け足したのを聞いてトラくんは「なんだ」と口を開いた。
「じゃあいいじゃん。ミクはなんでそんな怒ってんの」
「むやみに人を増やすな! なんでオサゲの弟を連れて来たんだよ」
「そんなの、実力主義のマツキタで、見込みのあるヤツがいれば、そりゃあ仲間に引き入れたくなるっしょ」
「何言ってんだか」とやれやれと首を振るトラくんに、ミクさんは「はあ?」と顔を顰めた。声にこそ出さなかったけど、同様に眉根を寄せた伊吹も同じように思っていたに違いない。
「実力って……なになにー? トラってば、まさかもう弟くんと喧嘩でもしたの?」
「いや、別にしてないけど?」
楽しそうに訊ねるリュウくんに、トラくんは首を振る。
「じゃあ、なんでこいつの実力がわかんだよ。おかしいだろ!」
「まあ、そうなんだけど」
ミクさんにそう答えながら、ちら、とトラくんは伊吹に目を向けると「なんか」と口元を緩ませた。
「身のこなしからして、ヤれそうだなって思って。現に俺が殴ろうとしたら、簡単に避けたし」
「は……マジ?」
「うん、それはもう軽々と」
「……こいつが」
じろじろと、見定めるようにして見てくるミクさんに、嫌な予感がしたのか。伊吹は私に近づいて、「俺、本当に戻りたいんだけど」と確認を入れてきた。
戻れるものなら、私だって戻りたい。伊吹の制服を掴んで「な、なら一緒に……」と小声で告げていれば「まあ」とミクさんが被せた。
「このオサゲの弟となりゃ普通なのは有り得ねえか」
「そうそ。そういうこと」
「トラを後押しするわけじゃないけど、もうすぐニシヨミも仕掛けてくるみたいだし」
トラくんのあとにリュウくんが頷きながら、私たちにぐっと顔を近づけた。
「人員補給も良いと思うんだよね。泰司さん、来ないし」
「に、人参補給……?」
「人員だよ、オサゲちゃん」
嘘でしょ、聞こえてたよね? と、笑顔で続けるリュウくん。
「人参補給してどうすんだ、ウサギかてめえは」
「す、すみません……」
呆れたようにミクさんに言われてしまって、しおしおと頭を下げた。
◇
「はあ? ニシヨミが今日の内に抗争ふっかけてくるって!?」
「ああ、だからここにあいつらが来る前に、俺と冬馬さんは何人か連れて、ニシヨミに行ってくる」
「意味わかんねえだろ。なんでスイたちが……」
「新島からの指示だ。俺と冬馬さんは指名だったからな」
「なら、俺たちも……」
「いや、ミクたちは来なくていい」
「は、なんでだよ?」
「これは俺のただの予想なんだが……」
何やら緊迫した空気が漂っているこの場所で、翡翠さんとミクさんは向かい合いながら真剣に話し合っていた。
そんな彼らへ、私はソファに座りながら、ちらちらと目を向けていた。けれどもきちんと顔を向けられない。何故なら、私のすぐ隣で行われている……。
「で、てめえはハニーちゃんのなんなんだ」
「ハニーちゃん?」
冬馬さんによる、緊急面談のせいもある。
私の隣に座る伊吹は『何言ってんのこの人』という面持ちで、私に目を向けるが、私には答えようがない。だってこの人を、言葉で説明するのはどうにも難しすぎる。
すると、私たちの前に座っていた、彼――冬馬さんは、偉そうに机の上に乗せていた足で、威嚇するように、だんっ、と力強く床を踏みつけた。
「無視してんじゃねえ、正直に答えろ!」
「いや、だからすみません。ハニーちゃんって、なんですか?」
「はあ? てめえ、男のくせにハニーちゃんの『ハ』の字も知らねえのか!」
「はい。知らないです。ハニーちゃんの『ハ』の字ってなんですか」
「信じられねえ、マジで嘘つくんじゃねえぞ!」
「いや、本当に知らないんです」
不機嫌度MAXの域に達している殺気立った冬馬さんに、涼しい顔をして対応している伊吹が勇者すぎて怖い。信じられない。チャレンジャー過ぎる。
少し離れた場所ではトラくんとリュウくんが「なんか面白い展開だねアレ」とか「弟くん強すぎ」とか言って楽しそうに見物してばかりで、助けようとはしてくれない。
他の強面さんたちは、無関心を装っているのか。極力こちらを見ないようにして、離れたところに立っていた。
「チッ……おい。ハニーちゃん」
「っ、は、は、はい!」
あ、ハニーちゃんで思わず答えてしまった。
「こいつは一体、お前のなんなんだよ」
「なん、なの……ですか」
不機嫌そうに尋ねられて声が裏返りそうになる。びくびくしながらも「え、と……」と続けた。
「おっ」
「お?」
「弟、です……」
「は、弟?」
訝し気に眉根を寄せた冬馬さんは、私と伊吹を見比べた。それもそうだ。私たちは似ていないから、そういう反応になるのは仕方のないことだ。
「……ハニーちゃんって、姉ちゃんのこと?」
そこでようやく理解した伊吹が、小さく耳打ちをしてきた。私も取り敢えず「そう、なってるけど」と頷いておく。
「弟……」
今一度呟く冬馬さんは腕を組んで何かを考え込むと、何かを閃いたように伊吹へ顔を向けた。
「つうことは、俺の義弟になるってことか」
「え……」
「へ……?」
突拍子もないことを言われて、目を丸くする伊吹と私。目をぱちぱちとさせていると、先ほどまでの殺気はどこへやら。
冬馬さんは「なあんだ、そういうことか」と勝手に自己解決してやれやれと首を振っていた。
「なら問題ねえ。お前だったら、俺のハニーちゃんに近づくことを特別に許可する」
問題しかない。
ついていけない私たちを置いて冬馬さんは偉そうに続けると、まるで王様の如く、また机の上で足を組み直していた。




