17
◇
学校に登校してから、平和な一時間目を終え、二時間目の授業に入ろうとしていた時のこと。
「これからお前には、トップらしい振る舞いをしてもらわないとならねえ」
いきなり教室にやって来たミクさんが、私の机の上にばんっと手のひらを置きながらそう告げた。
ちょうど教科書を机の中から取り出そうとしていた私は、「は、はいっ!?」と驚きで、教科書を地面に落としてしまった。
「今後、他校のやつらに目をつけられても、なんだ、その、地味な部分とか、弱そうな所がバレちまう前に、お前を誰が見ても強そうなやつにしてやる」
「は、はい……」
小さな返事をしながら、教科書を拾おうか拾うまいか悩みつつおろおろしてしまう。
教室にいた人たちは、こちらに向かって、好奇の目を向けてくる。
廊下を歩いていた人たちも、私たちのいる教室の前で足を止めて「おい、あれ」と中を覗き込んできた。
また……こうしてまた、私の周りから人が引いていく。
この人といい、リュウくんや、トラくんや、彼らと出会ってから、私の友だち100人作ろう作戦は、より遠くなった。初めから望み薄だけれど。
「ん? あれ、教室が妙にうるさいと思ったらミクたんか。おはよー」
へらりと挨拶をするリュウくん。どうやら今登校してきたらしい。もうお昼も近いので、遅刻どころではない。
「リュウ……? あー、そういや、お前このクラスだったな」
「えー、忘れてたの?」
「まあ、ちょうどいい。お前が思う女のトップはどんなやつだと思う」
ミクさんは問いかける。すると、リュウくんは「そんなの決まってるでしょ」と当然のようにこう答えた。
「色気がある人だよ、ねえ?」
「……へっ」
手馴れたように私の三つ編みを手に取ったので、ぎくりと肩を強張らせてしまう。
そんな私を見つめ、悪戯でもするような顔でにっと口角を上げてるリュウくんは、こちらが何も言えないとわかっていながら、わざと身体を寄せてきた。
私の座る椅子の背もたれに手のひらを乗せて「何、オサゲちゃん。無視?」と、身を屈めてくる。
ひえ、と石のように固まった私を見て、ミクさんは「それなら、いっそのこと」と溜息を吐いた。
「一発ヤるか」
「…………。え、ミク、何それマジ?」
「ばーか冗談だよ。誰がこんな色気皆無のオンナ抱くか。金積まれたって勃たねえよ。つーか色気云々で、トップの座が決まるかってんだ」
驚いた様子のリュウくんに、ミクさんは下品極まりない言葉をつらつらと口にすると「さて」と私に目を向けた。
「じゃあ、行くぞ」
「え……ど、どこに……あの、授業は……?」
「授業? アホか、それどころじゃねえ。俺がお前をトップと認めた以上、やってもらわなきゃなんねえことが山ほどあるんだよ。ぐだぐだ言ってねえで、さっさと来い」
「特訓だ特訓!」と言う彼は、先に教室から出ていく。
と、特訓……って……一体、何の……?
「妙に気合が入ってんね、ミクたんったら」
全くついていけずにいる私の肩を、リュウくんは軽く叩くと「ま、頑張ってね」と他人事のように告げた。
だ、だから、一体何の特訓でしょうか……。
と、思ったのがちょうど一時間前だったと思う。
「だーから、声が小せえんだよ! 腹から出せ!」
「す、すみませんっ」
「背筋は曲げんじゃねえ! 伸ばせ!」
「は、はい」
「あーまた声が小せえ! アリかミジンコか、てめえは。ナメてんじゃねえぞ!」
「な、舐めてません! ほ、ほら……! 何も舐めてなんかいません、よく見てください!」
泣きそうになりつつ、大きく口を開く。
何も舐めてなんかいないのに、どうしてこうも、この人は私に対して『舐めてる舐めてる』って……。
「はあ? アホかてめえは。そっちの舐めてるじゃねえよ! つーかやっぱナメてんじゃねえか!」
「だっ、だから! 舐めてなんかいませんって! よく見てくださいってば!」
「口ん中見てどうすんだよ、いい加減にしろ!」
ミクさんと言い合いをしていると、リュウくんが「うわー……」と引いたような声を上げた。
「何あの二人。なんか不毛なやり取りしてない?」
「つうか、オサゲちゃんはあれ。本気でやって……るんだろうな、たぶん」
そんなリュウくんに、なんだありゃというような顔でトラくんは答えた。
「そうでしょ。冗談言えるような子じゃないと思うー」
「〝ナメる〟と〝舐める〟を普通間違えるか?」
腕を組み、わけがわからないという顔をするトラくんに、リュウくんは「でもさぁ」と少し目を細めて言葉を続けた。
「ああいう、可愛い声で舐めるって言われると、少しゾクッとするよね」
「きっしょ。生粋の変態だな、お前は」
「やだ、トラくん言葉きつい」と、リュウくんが傷ついたふりをした時、室内の扉がガラァッ! と乱暴に開いた。その音の先にいたのは……。
「チッ、黒川の野郎……後で絶対ぶっ潰す……」
ぶつぶつと呟きながら、怒気の孕んだドス黒いオーラを背中に背負った、あの危険人物冬馬さんだった。
リュウくんが「あ、冬馬さん」と名前を呼べば、冬馬さんは睨むように彼を見て、そうして獲物を射抜くような鋭い目つきで周囲を見回し……。
私と目が合うと、ぱっとその鋭さを消し去った。
「ハニーちゃんじゃねえか」
今の今まで纏っていた、ドス黒オーラはどこへやら。心なしか目は嬉しそうに輝いている気がする。
「何してんだ、どっか戦いにでも行くのか?」
た、たたかい……?
「いっつも戦ってるだろ? ほら、悪の手先ルビーちゃんとか」
「…………」
る、ルビーちゃんって、誰?
「どうした? 違うのか?」
ハスキーな無駄にいい声で、「ん?」と私へ近づいてくる冬馬さん。
その顔は今日も勿体無いほどきらきらと煌めている。
この人、相変わらず見た目にそぐわず変な人だと思う。
「あの……えと」
と、答えに迷っていると、あっという間に冬馬さんは近くまでやって来ていた。
その距離と言えば、人と会話する程度の距離では収まらず、
身を屈めて、私に向かって顔を近づけてくると「今日も相変わらず可愛いな」と真顔で告げた。
もう、本当になんなんだろうこの人。いちいち近い……!




