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な、なんで心の声が……! と思った次の瞬間、胸倉を掴まれて、私は身体ごとミクさんに引き寄せられた。至近距離だと彼の顔がはっきりとわかる。
いつも顔を顰めてくるから、ろくに見たことなかったけれど……ミクさんのつり目…というか、猫目? は、よく見ると大きい。鼻も高いし、少し口角の上がった唇は、血色もいい。
怒った表情さえしていなければ、もしかしたらすごく整った顔をして……。
「んだよ、ガンつけてんのかてめえ」
「す、すみません……!」
形のいい唇からは、罵るような言葉と、可愛らしい八重歯が覗く。
涙目で謝罪したっていうのに、「だぁから、何睨んでんだよ!」ってさらに距離が近くなった。おでこが引っ付きそうで、あわあわと、さらに顔を青くさせた。
だ、だって仕方ないじゃないですか。こんなに胸倉を引っ張られたら、そんなの当たり前に相手のことを見ますよ。だから喧嘩を売っているわけじゃないんです。
「何をぶつぶつ言ってんだ。いい加減にしろよ、お前」
はあん? と言わんばかりに、苛立った様子のミクさん。
「す、すみませっ……」
「オサゲ女はどこだぁあああ!」
ミクさんへの謝罪が、少し掠れた声にかき消される。
い、今の叫び声って……。
後ろを振り返ろうとするよりも先に、ミクさんは叫び声のした方へと顔を向けた。
そして、何かを閃いたように「そうだ」と口端を上げる。急に、ぱっと胸ぐらを離されたので、私は不思議に思いながらミクさんを見上げた。
「お前、冬馬さんを止めてみろよ」
「へ……」
「それで、もしも一人で冬馬さんを止めることができたなら、今度こそ俺たちの頭だって認めてやるよ」
「え、あ、あの……!」
戸惑っていると、彼は私の身体を反転させて「おら」と背中を押した。そのせいで「わっ」と転びそうになりながら、前方に進んでしまう。
一歩、二歩ほど、足を動かして、そうしてなんとか転ばずに済み、ほっと息を吐き出したその時。
「オサゲ……?」
低く、掠れた声が聞こえて、私はぎくしゃくと顔を上げた。
ふらり、と生気の感じられない瞳が、私に向けられる。ほんのり青みがかった灰……否、銀色をした頭は、今し方暴れてきました、と言わんばかりに跳ねているというかボサボサになっていた。
七分まで捲り上げた袖から覗く腕は太くなく、想像していた〝危険人物〟よりも、大分細いと思った。
「お前か……? 泰司をヤッたってのは……」
掠れた……俗に言うハスキーボイスで、私にそう問いかける。
まさかこんな形で対峙するとも思っていなかったので、恐怖で何も言えずにいると、後ろにいるミクさんが「そうだよ」と答えた。
「ミク……お前、どうしてこの女と一緒にいるんだよ」
「勘違いっすよ。俺はたまたま居合わせただけで、誰がこんな女と好き好んで一緒にいるかっつの」
ふんと鼻を鳴らすミクさん。なんて薄情なんだろう。少しは救いの手を差し出してくれたっていいのに、彼は特に私を助けようとも思っていないらしい。
「そうか」
あのぼさぼさ頭の人が、喉元でくつくつと笑った。なんにも面白いことなんてなかったのに。
狂気さえ感じるその笑いに、思わず後退した。その、次の瞬間。
「泰司をヤッたていうお前の腕、試させてもらうぞ」
一気に距離を縮めてきた彼は、私の前髪を掴んで思いっきり後ろに押した。
声を出す暇もないまま、倒れそうになる。
視界の端では、ミクさんが笑っているのが見えた。
前髮を引っ掴まれたことによって、開けた視界。
銀色の髪を揺らした彼が拳を握って、それを振り上げようとしているのがわかった。
私の怯えた顔をみて、心底楽しそうにしていた彼はやはり狂気に満ちた笑みを顔に湛えていた。
ああ、本当の本当に。今度こそ、ここまでだろう。
お父さん、親不孝でごめんなさい。
もう、ダメかもしれません。
ああ、と泣きそうになっていると。
狂ったように笑っていた彼が、みるみる内に無表情になって、握っていた拳を解いた。
「……?」
あれ? な、殴らないの……かな?
不思議に思って瞬きを繰り返す。傍観していたミクさんも、眉根を寄せて困惑した顔を見せていた。
「あ、あの……?」
「…………」
怯えつつ訊ねる私を、乱れた髪の隙間から真ん丸に目を見開いて凝視しているその人。
「あ、冬馬さんいたっ!」
すっかり固まってしまった彼の後ろから、リュウくんの声が聞こえた。
走ってこちらにやってくるリュウくんと、その後ろにはトラくんもいる。二人は私たちを見て、もう手遅れだと思っているらしく、「オサゲちゃんが殺される!」と焦った声を上げていた。
「と、冬馬、さん……?」
さすがにおかしいと思ったミクさんが、未だ私のことを凝視したまま停止している彼の名前を呼ぶ。
そこでようやくぴくりと肩を動かし、信じられないというような表情で首を振ると。
彼は、わなわなと震えた指で、私の頬を挟むようにして顔を掴んだ。
あまりにも躊躇がないので、私の唇は前に突き出てしまい一気に不細工な顔になる。
その潰された顔を上に向けて、ぐっと顔を近づけてくる、その、冬馬さん、と呼ばれる彼。
髮色に似た色素の薄い瞳で、じい、と、穴が開きそうなほど見つめてくるものだから。
な、何をする気なんだろう、と焦る気持ちで彼を見つめ返した。
やっと傍まで来たリュウくんやトラくんは二人で顔を合わせて首を傾げ、一部始終を見ていたミクさんは、戸惑ったように「冬馬さん?」と今一度、彼の名前を呼んでいた。
そんな私やミクさんの後ろ側。
リュウくんやトラくんたちとは逆方向側から、急いでこちら向かって来ていた翡翠さんが、私たちに「おい」と声をかけようとしていた所だった。
「似てる……」
「……ふぇ……?」
「ハニーちゃんにそっくりだ」
「…………」
「お前、ハニーちゃんにそっくりだ」
頬を潰されているせいで腑抜けた返事をする私に、彼はその謎の単語を二度も言った。
は、ハニーちゃん……とは?
困惑が止まらない私のことはお構いなしに、彼は私の顔を上下左右に動かし、四方八方から眺め回したあと。
「ハニーちゃんにそっくりだって言ってんだよ」
三度目のそれを言った。
えっと、その。
「………」
一体誰ですか、それは。
わけがわからなすぎてぷるぷると震えていると、リュウくんが「と、冬馬さん……?」と恐る恐るその人に話しかけていた。
そんな彼をじろりと睨んで、あのハスキーな声で「お前、ハニーちゃんくらいわかるよなあ?」と聞いていた。
その問いに黙ったまま笑顔を作るリュウくん。顔には『わかるわけねえじゃん』と書いてあるように見えた。
「わからねえとは情けねえ。ハニーちゃんっつったら、アレしかねえだろうが」
あ、アレ……?
「『魔法少女ラブリーハニー☆』の主人公、ハニーちゃんだよ。知らねえとかマジで人生出直せ!」
はっ、と吐き捨てるように言う彼、神山冬馬さん。
みんなが危険人物だと、口々に言っていた人……だったように思う。
申し訳ないけれど、私の脳内はパンク寸前だった。
舌打ち混じりに「全く、わからねえヤツらだな」と私を見るその人。あなたの方が十分わからないです。
真っ青の顔のまま涙目で見つめる私を、この人がどういう思いで眺めているかはわからないけれど、「あー」と悩ましい声を上げていた。
「やべえ、どうしよ。とりあえず写真を一緒に……あ、でも今スマホねえんだ。クソしまったな、誰かの借りるか? いや、誰かのスマホにデータが残るってのはそれはそれで胸糞が悪い。つうか待てよ? そもそも制服じゃ気が乗らねえだろ。……そうだな、やっぱ変身後の服がいいに決まってる。でもマツキタにあるわけ……いや、ワンチャン持ってるやつがいるかもしんねえな」
探してみるか、と。
ぼそぼそ言いながら、私の頬を挟んでいた両手を、彼はそのまま私の両肩に置く。そして「よし」と何かを決意したかのような呟きを一つ添えて、顔を上げた。
さっきまでの狂気に満ちに満ちた顔はまるで幻だったかのように、嬉々とした目を私に向ける元危険人物。
「まあ、とりあえず先に」
そんな彼は私のことをじっと見つめながら、迷うことなくこう言い放った。
「俺と結婚してくれ」
…………。
一体、何が『とりあえず』なのか、説明をいただきたいところなのですが。
「……へ?」
「は……」
「「はあ!?」」
目を見開く私と、呆気にとられるミクさん。
そして、声を合わせるトラくんとリュウくん。
離れた場所にいた翡翠さんは、その様子を見ながら小さく息を吐いていた。
口調的には、『とりあえず先に、俺とご飯を食べてくれ』くらいのノリだった。




