13
カメムシを伊吹に退治してもらい、無事に夜を過ごすことができた、その翌日。有松北高校はこれまた賑やかだった。
校門に入る寸前。伊吹と一緒に登校した私の目の前には、
「「オサゲさん!!」」
たくさんの強面さんたちが現れた。
まだ学校の敷地にも入っていないのに、一体なんだというのだろう。
あまりの圧にびくびくとしながら、伊吹の腕にしがみついていれば「おーはよー」と気の抜けたような声と共に、〝何か〟が馴れ馴れしく私の首に絡んできて、「ひぎゃああっ!」と悲鳴を上げてしまった。
「……うへえ、うるさあ。今ちょっと耳もげるかと思ったんだけど?」
痛い痛い。と、耳を摩りながら、するりと私の首に載せていた腕をとるのはリュウくんだった。ほんのりと甘い香水の香りがする。
今日もそのパーマのかかった毛先をオシャレに遊ばせている彼は、少し猫背気味の体躯を伊吹の前に持って行き、「おはよお、弟くん」とゆるりと笑っていた。
「……おはよーございます」
若干、顔を顰めた伊吹は、少々棒読み気味に挨拶を返していた。
「あは、なんかそんな風に関わりたくないオーラ出されると、逆に絡みたくなっちゃうんだけどお?」
「……わかってるなら、話しかけないでもらえませんか」
伊吹はうんざりしたように、顔を背けてそのまま歩いて行こうとする。
リュウくんはそんな伊吹の後ろを「待ってよ、ちょっと」と楽しいものでも見つけたかのように追いかけた。
よ、よし……この二人に、このまま私もついて行けば……。
「「オサゲさんっ!!」」
上手くいかなかった。塗り壁のように、前を阻まれてしまう。
「い、一体、なんなんですか……」
涙目になる私に彼らは「っす」と頷きながら、要件を告げた。
「俺らと一緒について来て下さいっ!」
「翡翠さんがあんたを呼んでるんすよ!」
肌がやけに黒くて制服を着崩した筋肉マッチョな人とか、耳や鼻や唇に沢山のゴツゴツピアスを通している人。もう、厳つくて怖くて見ていられない。
「そ、そうは言われても……」
と、震えていると。
「あれ? スイ、もういるの?」
いつの間かこちらに戻ってきたリュウくんが、そう彼らに声をかけていた。
あれ? 伊吹は……?
急いで探せば、校舎内に入ろうとしている伊吹の姿が。
な、なんで置いて行くの……!
「だって、龍蔵さん。今日は冬馬さんが学校に来るらしいんすよ? もしかしたら、泰司さんも……」
「あー、そっか。冬馬さん来るんだ」
「なるー」と手を叩くリュウくんは、私を横目で見た。
「そりゃあ、冬馬さんが素直に納得するわけもないしなー。もしかしたら、ひと暴れするかもね」
そうして頬を掻くリュウくんに、彼らは焦ったような声を上げた。
「もし冬馬さんが暴れたらどうするんすか!」
「正直どうしようもないよねー。あの人暴れ出したら見境ないし。俺、今日は帰ろっかなー」
「殴られんのやだもーん」と踵を返すリュウくんの腕を、彼らは咄嗟に掴んだ「いやいや待ってくださいよ!」とそれを阻止した。
「龍蔵さん、冬馬さんと仲良いじゃないっすか! どうにかしてくださいよっ!」
「えー無理だって。仲良いってほど、仲良いわけじゃないしー。スイいるんなら、スイに止めてもらってよ。それに、トラ達もいるんでしょ? じゃあ、俺はいてもいなくても別にいいじゃん」
「龍蔵さん。それ以上言ったら、逃げようとしてたこと翡翠さんにチクります」
「うわもー、マジでやだ」
強制的に連行されるリュウくんを、私はぽかんと見つめる。
周囲には、いつの間にか多くの野次馬が集まっていた。
まだ、校門からそんなに離れた場所でもないのに、みんなどうして、こんな狭い場所で立ち止まっているんだろう。いや理由はなんとなくわかるけれど。
何はともあれ、この人混みに紛れてこの場から退散しようと、こっそり忍び足で離れようとしたら。
「オサゲさんも行きますよ」
強面さんの一人が私を振り返ったので、「は、はい……」と泣きそうな声で返事をするしかなかった。
◇
「今から、とてつもなく大事な話をする」
こんなに天気の良い朝から、こんなに埃の舞うこんな薄暗い場所で。
この人たちは一体何をしているんだろうと思う。
そして、そんな彼らに囲まれて逃げ出すことも出来ず何も言えない私も、本気で何をしているんだろうとも思う。
壊れかけのパイプ椅子に座りながら、膝の上で両手を握る。
目の前のソファに王様のごとく足を組んで座るあの人――蔵木翡翠さんがいた。
そしてその隣に座るのはミクさんで、彼は私を睨んでは舌打ちをして、そしてまた睨んでは溜息を吐いていた。何か言いたげなのが、十二分に伝わってくる。
その他、立ったままの人や、椅子に腰かけている強面さんたちも私たちに注目している。
けれど、この部屋で一番高価そうな臙脂色のソファの上では、何故か寝ながらエロ本を読んでいるリュウくんがいた。彼だけ事態に全く興味なさそうだった
「と、とてつもなく……」
大事な話なんて、一体どんな話なんだろう。
ごくり、と。その言葉の先を待っていれば彼は形の良い唇を動かして、「三年に」と声を発した。
「神山冬馬という男がいる」
〝冬馬〟って、リュウくんたちがよく口にしていた名前だ。
「その人は、一言で言えばかなり喧嘩っ早い。ここにいる誰よりも見境なく、相手が誰であろうとお構いなしに喧嘩をふっかける」
「………」
「よく危険人物って言われている人だ」
何を言いたいのか良くわからないけれど、取り敢えず「き、危険人物……」と頷いておく。そんな私に翡翠さんは掛け時計に目を向けると、「手短に言う」と続けた。
「冬馬さんは、三学年のナンバー2で、泰司さんの次にこの学校で権力を把持していた人だ。だけど、昨日、お前が泰司さんを殴り飛ばしたことで、その序列は変わった。それも冬馬さんがいない内に」
「………」
「そんな冬馬さんは今日はここに来るらしいんだ。正直、あの冬馬さんが、この学校のトップになってしまったお前のことを認めるとは思えない。出会ったら必ず喧嘩をふっかけてくるだろうな」
「………」
全然手短じゃない。私の心臓が嫌な音を立てる。遠回しな言い方に、私は冷や汗を垂らしながら「け、喧嘩を……」と言葉をなぞることしかできない。
「ちなみに冬馬さんが暴れると、必ず病院送りにされるやつがいるんだ」
「………」
「だから、なるべく出会わないように気をつけた方がいい」
この人、意外と話すんだな……。もっとこう、口数が少ないと思っていたのに。
と、どうでもいいことを思って気を紛らわす。
そうでもしないと、平常心を保っていられない気がした。
え、えっとつまり、要約すると……。
今日、私のところに危険人物がやって来て、ぼこぼこにされて病院送りにされる恐れがあるから気をつけろ。ということで……あってる?
大体、聞いてるだけでもとんでもない人だと思うけど、気をつけるだけで大丈夫なの……?
「は、そんないちいち忠告しなくても大丈夫だろ。なんてったって、こいつはマツキタの〝トップ〟なんだし? 冬馬さんを納得させるくらいの腕ぐらいはあるに決まってる、なぁ?」
鼻で笑うミクさんは、わざとらしく〝トップ〟を強調させると、意地悪そうに口端を上げた。
「あーあ、オサゲちゃん可哀想。キレた時の冬馬さんなんて、俺たちでも止められないのに。さすがにオサゲちゃんが強くても、何本かイッちゃうかもねえ?」
いたたたー、とエロ本を見ながら、リュウくんは不吉なことを軽く口走っていた。




