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もう住み慣れた家だとでもいうように、そのまま部屋の扉を開けようとする。なんでそんなに順応するのが早いの……!
「わ、私の部屋って……」
「有松さんから渡された生徒手帳に、部屋番号の書いた紙が挟んであったと思うんだけど……見てない?」
そう言われて急いで生徒手帳を出せば、確かに紙が挟んであった。
「〝201号室〟って書いてある……」
「じゃあ、そこが姉ちゃんの部屋じゃん。あ、そうだ。これ鍵」
そう言って、伊吹は階段を昇ってすぐの所にあった部屋を見ながら、私に向かって鍵を差し出した。
「え、えっ! 同じ部屋じゃないの!?」
「は?」
「む、無理だよ! 私、ここに一人で住める気がしないっ、万が一虫でも出たら……っ!」
イィィヤアアア! と顔を覆って絶望に打ちひしがれていると、「一緒の部屋なんてありえない」と伊吹は冷たいことを言い放って……。
「じゃあね」
203号室に入っていった。なんて冷たいの……。
仕方がないので、うう、と涙目になりながら、渋々とその部屋の扉を開けに行く。恐る恐る扉を開けて、部屋の中をそろりと覗いた。
む、虫は……いないよね……?
床、壁、天井の隅をきょろきょろと見回す。中は思ったよりも綺麗だ。
そもそも外観が外観なだけに、内装が大分ましに見える。だけど……。
「す、すごく狭い……」
今まで暮らしていた家に慣れてしまっていたせいか、玄関がだいぶ狭く見えた。そして上がって、二メートルもない廊下らしきところには、シンクまでついている。ま、まさかここで料理を?
信じられない、と思いながら、数歩歩いただけで、なんとも小さい部屋に辿り着く。一応、フローリングのそこに、ダブルベットなんて入れようものなら窮屈で動けなくなると思う。
部屋の真ん中には事前に運んでもらっていた私の荷物が置いてあり、壁側には備え付けのベッドと机があった。
部屋に一つだけある窓には、私が前の家で愛用していたカーテンが付いている……けどサイズが全く合っていないせいで、床に布が付いて、かなり余っていた。
もの凄い圧迫感。今までの生活からじゃ、想像できないくらいにすごくすごく狭い。
ただ救いなのは、やっぱり外観ほど古くはなく、私が恐れている虫が頻発に出るなんてことはなさそうだと思えたこと。狭かろうが古かろうが、それだけでありがたい。
「住めば都と言うし……」
古さや狭さもいつしか慣れる頃がきっとくるだろう。
そうだそうだと、ポジティブに解釈しつつ、今度はお手洗いの確認に向かった。
確か、さっきの短い廊下のところにあったような……。
扉を開いて、中を確認する。トイレも……そんなに古くないかも。
狭さには部屋同様、驚くものがあるけど、まあ、汚くなければ良い。
水回りはアレが出るから、トイレは本当に綺麗にしておきたい。
そして、浴室だ。そっと中をのぞき見て、確認。
「………異常なし」
これでもかってほど、見回して、そうしてはっとした。あ、あれは……!
「カメムシィイ!!」
いやあああ!! っと、その場をすぐに離れて玄関に急ぐ。やっぱりいた。いると思った。絶対絶対、一匹くらい虫がいると思ったんだ!
靴を片足のつま先に引っ掛けて、慌てて玄関を開ける。
と、ゴスッ! と、外から鈍い音がして、私は「えっ……」と扉の後ろを覗いた。
「ぃってー……」
「あっ……!」
外にいる誰かに思いっきり、扉をぶつけてしまったらしい。
「す、すすっ、すみません! 大丈夫ですか!?」
「てっめ、一体どこに目えつけて……ってあれ? オサゲちゃん?」
「? ……あっ!!」
金メッシュの入った柔らかそうな茶髪を押さえながら、彼は首を傾げている。
「トラくん!」
「オサゲちゃん、なんでここから……って、あれ。もしかしてまさか……越してきた?」
首を傾げる彼は、私の部屋になりたての201号室を指差していた。
その腕と指にはアクセサリーがじゃらじゃらとついている。
「っていうか、あれ。オサゲちゃんってお金持ちなんじゃ……」
そこまで言った彼の声を遮るように、203号室の扉が開いた。
「なんか騒がしいと思ったら……何してんの?」
「い、伊吹……」
「あれ、そっちの人って……」
部屋から出てきた伊吹が、トラくんへと顔を向けた。
すると、トラくんは、あ。と口を開き、「さっきの弟くん?」と少し首を傾げる。
「………どうも」
乗り気ではなさそうな顔をしつつも軽く頭を下げた伊吹は、私とトラくんを交互に見た。
〝誰〟と言いたげな目をしているものだから、私もどう説明したらいいものか。今日知り合ったばかりの不良さん、とでも紹介すればいいのだろうか。
「なるほどね。誰か越して来るとは聞いてたけど、オサゲちゃんたちだったんだ」
「………え?」
「俺の部屋、202号室」
「202……」
って。
「と、となり…!?」
「そ、隣」
さらりと答えて、トラくんは部屋の前まで歩いて行く。
「まさか、オサゲちゃんたち姉弟に挟まれるなんて思わなかったわ」
ケラケラと笑うトラくんは、自室の部屋の鍵を開けていた。
「そだ。俺、二年の邦木景虎。オサゲちゃんの弟くんは、なんて名前?」
「……一年の、水波伊吹です」
「お隣さんになるわけだし、これからよろしくね」
気さくに続ける彼に、伊吹は「よろしくお願いします」と不審そうにしつつも返していた。
「あ。てか、弟くん」
名前をわざわざ聞いたにも関わらず、彼は伊吹をそう呼ぶ。顔も見ないまま、扉を開けながら言うあたりが、どこか適当な感じがした。
「きみたちってお金持ちなんだよね? ここって一応寮だけど、古すぎてほぼ無人だし、きみらがいる理由がわからないんだけど」
ギイッ、と軋むような音と共に開いた扉の中に、スクールバックを投げ込みながらトラくんは言う。
「……父の会社が倒産して、俺たち、今は金銭面はかなり厳しくて、ここくらいしか住める場所がなかったんです。金持ちなんかじゃないですよ」
誤魔化そうとはしないまま、さらりと質問に答えていく。そんな伊吹に、「へー、なるほどね」とどこか納得した様子だった。
「だから洸瞑からこのマツキタに……納得だわ」
そう言いながらトラくんは扉から手を離して、伊吹の方へと身体を向けた。
「それにしても、きみ」
「……俺ですか」
「うん。きみって、このオサゲちゃんの弟ってことは」
そうして、そのまま伊吹の方へと歩を進めていくと。
「もしかしてー……」
そこまで言った瞬間、トラくんのメッシュの入った髮が揺れた。
瞬きをするような速さで、彼の拳が空を切る。
突然、殴られそうになった伊吹はそれを咄嗟に寄けて「何するんですか」と、不可解そうな顔をして強く腕を払った。その動きを見て、トラくんは「おお!」と目を輝かせた。
「やっぱり!」
「だから何が」
「さっすがオサゲちゃんの弟! 良い動きすんね? 拳、避けられるか試してみたんだけど」
「……は?」
「いやあ、これは合格」
本気でわけがわからない。という顔をしている伊吹を置いて、彼は「素晴らしいね、うん」と一人で頷きながら、また自室の202号室の前に戻っていった。
「まあ、何にせよ。せっかく隣同士になったんだから、これからよろしくね。オサゲちゃんと弟くん」
ひらひらと手を振って、そのままトラくんは部屋に入って行く。
「……なんなの、今の人」
伊吹がやけに苛立ったような口調でそう告げた。恐らく終始試されている感じが嫌だったのだろう。
「わ、私に聞かれても……」
「はあ、最悪。随分と変な人と関わりを持ったんだね」
「ち、違うの。私から関わりを持ったわけじゃ……」
「まあ、姉ちゃんが誰と関わろうがどうだって良いんだけど、人のことは巻き込まないでくれる?」
溜息交じりの伊吹は、部屋に戻ろうとする。
え、ちょっと待って……どうして私が悪いみたいな流れに!?
「ま、待っ……」
バタンと。私の声を遮って、そのまま部屋に戻る薄情な我が弟。
ちょっと……。
「ちょっとぐらい待ってよ……」
涙目でその場に立ち尽くす。だって、
だって!
私の部屋には、忘れちゃならないカメムシさんがまだいるんだから!!!
隣の部屋に住んでいるのが不良であることよりも、自分の弟に酷く呆れられることよりも。
今の私にとって何よりも最優先なのは、カメムシ退治なんだから!
「カメムシだけでも退治していってよーー!!」
私の叫びは、そのオンボロの寮中に響き渡っていた。




