花の名前
兄と最後に会ったのは辺境伯領に旅立つ前。当時セドルは二歳にもなっていなかったので覚えていなくて当然だ。それに兄は髪を隠すためにフードを被っていたので、怪しい人だと思ったのだろう。
あの後セドルに説明をすると、叩いてしまったことをしっかりと謝っていた。本当にできた息子である。
いつまでも玄関にいるわけにもいかないので、ひとまず家の中に入ってもらった。兄を置いて店に行くわけにはいかないので、今日は店を休むしかない。私はケビンに店の入り口に貼り紙をしてもらうように頼んだ。
「それでお兄様?突然来るなんて本当に驚いたのよ?」
「いやぁ、ちょうどこっちに用事があってね。ここまで来たのだから、可愛い妹と甥っ子に会わないわけにはいかないだろう?」
「護衛もつけずに?」
「あいつらを連れてくると遅くなるから置いてきたんだ」
「…護衛の皆さんが不憫でならないわ」
「それに私は強いから護衛がいなくても問題ないさ」
「それはそうですけど…」
兄の実力は帝国でも指折りだ。皇太子が一人でうろついていい理由にはならないが、今さら言っても仕方がないだろう。私は小さくため息を吐いた。
「はぁ、仕方ありませんね。お茶を淹れますので座って待っていてください」
「ああ!愛しい妹が手ずからお茶を淹れてくれるなんて!」
「…わかりましたから、こちらで座っていてください」
「ありが……ん?」
私は先ほどまでセドルと朝食を食べていた場所に兄を案内し椅子を勧めた。兄は嬉しそうに座ろうとした瞬間、ある一点を見つめながら突然表情が険しくなった。
「お兄様?」
「…これはどういうことだ?」
「え?」
(え、なに?なんで怒ってるの?)
普段、温和な兄が怒ることなど滅多にない。それに私相手に怒ったことなど今まで一度もないのに、急にどうしてしまったのだろうか。
(…いや違う。怒ってるというより、不愉快って感じ?それに視線が…)
兄の視線はある一点を見つめたままだ。
「…この花がどうかしたの?」
そう、兄が見つめていたのはロストさんからもらったあの花だった。
「っ、ルルーシュ!一体いつの間にそんな関係に…!報告は聞いていないぞ!」
「へっ?そんな関係って…」
「結婚を約束した男ができたなんて…!」
「け、結婚!?そ、そんな相手はいません!」
「じゃあこのダイヤモンドスノウはどう説明するんだ?」
「ダイヤモンドスノウ?……あ」
ここで私はこの花をどこで見たのかようやく思い出した。
(そうだ。この花は“セドル”がヒロインにプロポーズする時に渡していた……え、プロポーズ?)
まさかの事実に私の思考は停止したのだった。