08 強奪
何だ?
キルボは、眉を潜めた。
今のところ、敵の数は二人だ。どこにいるのかは知らないが、トリスとやらを含めると三人。いや姿が見えないだけで六人いるはずだ。
そんな人数で八十を数える兵士のど真ん中で何をやっているのか。
狙いは明白だ。あの護送馬車の中身だろう。しかし……。
事態はキルボに考える時間を与えなかった。
橋の下では自分の体から固定ロープを切り離していたトリスが呪詞を唱え、橋板に埋め込まれた赤い宝石に向かって手を掲げていた。
赤い宝石に見える物。
これは魔晶石である。
魔術師達だけでなく、軍関係者や冒険者の間でも一般的に知られたものだ。もちろん貴重であるが。
一言で言うならこれは魔力を貯めておく水筒のような物だ。使い方も水筒と同じで空の魔晶石に魔力を注ぐだけ、逆に魔晶石から魔力を補給したい時は握りこむなりして念じるだけでよい。
ただし、注がれた魔力は魔晶石の名の通り魔素に変換されて貯められる。だから再び取り出し、魔術師の体内に取り込むときには、魔素として取り込まれる。そのために魔晶石を使っても、実際に魔力が回復するには、取り込んだ魔素が魔力に体内変換されるまで時間がかかのだ。
そして、魔晶石が魔力の水筒であるなら、入れられる水の量にも制限がある。その量は魔晶石の大きさに比例するのだが、今橋板に埋め込まれている魔晶石はどれも小ぶりのものだ。
水筒に内容量以上の水を入れると、当然水は溢れだす。では魔晶石の場合はどうなるかというと、今、トリスが行なっているようになる。
爆発するのである。
魔晶石を爆弾代わりに使うというのは、冒険者たちがやり始めた。魔晶石は貴重であるから切り札的な手段であるが。
そして穴を掘った岩盤などに魔晶石を埋め込み爆発させることで指向性を持たせて威力を増したり切断したりする。これはドワーフが希少な魔法金属の鉱脈などを掘るときに使う技術である。
橋板に埋め込まれた六つの魔晶石が破裂する。煙はないが、盛大な破裂音と木片が派手に飛び散った。
続いて橋板がへし折れる音が響く。
ガクンと護送馬車の乗っていた橋板が沈み込む。
「お見事」
トリスの側に来たセクメトが、声をかける。
トリスは魔力の枯渇により意識が朦朧として、橋桁に掴まっていることはできなかったのだが、セクメトが掴んで水面に引き上げてくれた。仕掛けていた六つの魔晶石にはすでにそれなりの魔力が込められていたが、そこに爆発するまでさらに魔力を込めるというのは、さすがにギリギリだった。気絶はしなかったが、酷い頭痛がした。
「ありがとうございます司祭。でも……」
「ああ、上手く爆発させることはできたが」
沈み込んでいた橋板が途中で止まった。
「馬車の重量が軽かったんだ!」
御者台に乗り込んでいたキャップが叫ぶ。上から押す自重が思ったより軽かったせいで橋板を切断しきるまでにいかなかったようだ。
ドン!
橋の下から衝撃が伝わる。
王国兵士達には理解できなかったが、セドリックには下にいる司祭が白魔法の気弾を打ち込んだのがわかった。
大きく軋む音がしたが、それほど効果はなかったようだ。
気弾は魔力の塊を飛ばして打撃する白魔術である。セクメトの扱うモノなら騎士の甲冑でも凹ませることができるが、切断する効果はない。
「セドリック。失敗だ!」
キャップがセドリックに退却を促す。
だが、セドリックは橋板に目を向ける。
「キャップ、どこがつっかえてる」
「あ? ああ、この感じだと後ろだな。それがどうした?」
「いくぞ!」
セドリックは御者台から飛び降りる。
「おい! くっそ!!」
悪態を吐きながらも、キャップが躊躇することなく後に続く。
前方の馬はまだ暴れていて、兵はここまで来れていない。
しかし、キャップの見たところ後方は混乱から立ち直りつつある。
「どうする気だ?」
馬車の後ろに回り込んだセドリックにキャップが尋ねる。
「少しの間、俺に敵を近づけるな」
そう言ってセドリックは長剣を下段に構えた。
「マジかよ」
キャップはセドリックの意図を読んで、前に進み出る。
そして四角玄能金槌を構えた。
飛び出してくる兵士を確実に仕留めていく。巨大な片手槌を受けた兵士の頭がトマトの様に潰れる。
キルボは邪魔な兵士を突き飛ばしながら、ようやく護衛馬車の近くまで来た。
二人の賊の姿も視認できる。
やっかいな剣士の方は何か俯いていた。巨漢のハンマー使いが前に出ている。
よし。
どうやら、相手の策は上手く行っていないようだ。
キルボは腰の剣を抜いた。
夜だが、光を放つ。その白剣は聖鉄で作られた魔法剣。
まずは、あの大男を始末する。
この聖剣は半端は盾などバターのように切断することができる。大男はそれなりの使い手だったが、キルボの剣速と体捌きを持ってすれば、いかに怪力であろうと問題ではない。
一撃で仕留める。
キルボの間合いまであと少し。間には兵士が一人いるが、問題ない。その兵士ごと切り伏せればいいことだ。
が、そこまで近づいて、キルボは若い剣士がブツブツと呟いている言葉がやっと耳に入った。
呪詞だ。
セドリックが下げていた刀身を持ち上げ、右手でその刃をなぞっていく。
その手が触れた部分から、黒い刀身が黄金の光に包まれる。
「雷だと!?」
キルボは驚きの声を上げた。あの男の長剣に纏っているものは、キルボの信じる神の代名詞と言われるものだったからだ。内乱以降は帝国内ではほとんど使い手のいない魔術。
セドリックが雄叫びを上げる。
「クッ!」
思わずキルボは後方に飛んだ。あの魔法剣に纏った雷の使い道はわからなかったが、危険だと経験が告げていた。
が、セドリックの視線は下に向けられている。
短く息を吐き出し、雷の剣が橋板に振るわれた。
夜の黒に雷の黄金残像が描かれる。
雷帝剣。
正式にそのような名前の技があるわけではない。使えるのはセドリックだけだからだ。
刀身に纏った雷の衝撃波を放つ技である。中距離攻撃にも使えるが、最も威力があるのが近距離だ。例え電撃を帯びた長剣の一撃を受け止めようと、第二陣で雷の刃が襲いかかり感電させる。とはいえ人間相手には発動時間がかかりすぎで、仲間と共に大型魔獣を相手にする時くらいにしか使えない。
雷鳴が響き渡り、稲光が炸裂する。
弱っていた木製の橋板など、紙を切るより簡単に切断した。
「キャップ! 飛べ!」
セドリックが叫ぶと同時に、馬車が乗っていた橋板が、落ちた。
派手に水飛沫が上がる。
キャップは橋から飛び降りる。河に落ちた護送馬車の屋根に飛び乗ったが、そのまますぐに川下に飛び込んだ。
ゆっくりと、しかし徐々に早く護送馬車を載せた橋板が流れだす。
「逃すな! 矢を射掛けろ!」
神殿騎士の一人が兵に命令を出している。その命に従って兵士たちが矢を放ち始めたが、セドリック達五人は水中と馬車の影に身を隠しているからほとんど効果はなかった。
王国兵達が混乱から立ち直ったなか、キルボは呆然と立ち尽くしていた。
「雷……?」
あの戦神の司祭と、その護衛と偽っていた連中。実力、装備から見て野盗の類では間違いなくない。十中八九、帝国の人間だ。
そこまでくれば、あの連中の正体はすぐに思い当たった。
帝国の兵士でありながら、雷の魔法を使い、凄腕の若き剣士。
今回の侵略軍の総大将として知らされていた名前。
その総大将は帝国の始皇帝の血筋にある。キルボの祖国でもあった国の始皇帝が太陽神の『恩恵』持ちであることは有名な話だ。
「キルボ様?」
集まってきた直属の部下である神殿騎士が硬直しているキルボを訝しげに見つめている。
だが、キルボはもうすでに小さくなった護衛馬車の姿を捉えたままピクリとも動かなかった。
そして、そのまま己に語るように口を開く。
「白羊を使うぞ」