06 王国の秘密兵器
ピルエモ将軍率いる王国討伐軍の先兵隊が全滅。
その一報が届いた時、ジュリアス皇子はすぐさま討伐軍本隊を転進させた。
ピルエモ将軍が平野部において王国軍八千と戦闘を開始する。
その報告は受け取った時点で、ジュリアスは行軍速度をあげ、その距離を二日まで縮めていた。が、一報を耳にした後は、逆に転進して四日まで距離をとった。
「帝国側の麓まで兵を引かないのですか?」
メシェファは討伐軍本隊へ『飛んだ』初日に、ジュリアス皇子と謁見し、尋ねた。
どうせ引くなら大山脈から平地に降りて戦ったほうが、大軍の理を活かせると思ったからだ。
できれば皇位継承権者であるジュリアス皇子に帝国本土まで戻って欲しいと思った。それも理由の一つではある。
だが、ジュリアス皇子はそれを否定した。
本気で王国軍が追撃してくれば、麓まで辿り着くことはできないだろう、との予測を立てていた。だから戻れる範囲でもっとも地の利のある場所に軍を引いた。
その後、ジュリアス皇子はピルエモ将軍が敗れた原因を探るため、腹心の部下とともに偵察行動を自ら買って出た。
ピルエモ将軍と戦った際に、王国軍はほぼ一方的に帝国軍を打ち崩した。
帝国軍一万を打ち破った王国軍八千のうち被害は、千に届くかどうか。まさに一方的だ。
だからこそジュリアス皇子は自分の目で確かめることを決めた。
曰く、どこかの場面で強引な一手が必要になる。
それが今回の場合は、王国軍の戦力を見極めることだと言った。
メシェファには軍略的なことはわからない。しかし宮廷魔術師として、情報戦略の開発と分析を専門としている。それだけに王国軍の根本的変化の重要性と、皇子がすぐさま軍を引いて守りを固めたのも理解できた。
それに、皇子の参謀役であるマーリン大師が意義を唱えなかったことも大きい。
マーリン大師は、先代の筆頭宮廷魔術師であり、メシェファもその偉大さは知っていた。
ジュリアス皇子はマーリン大師に軍の指揮を任せ、自分はメシェファとともに、セドリックとトリスという偽名を名乗り潜入工作に打って出たのである。
そして今、六人は帝国軍の砦のすぐ側まで引き返してきていた。
陽は落ち、一行が潜む森の中は闇に沈んでいる。
「セドリックぅ、何かすごいピリピリしてるみたーい。兵の数は百はいそうな感じー」
ガヴリエルが木の上から、下にいるセドリック、つまりはジュリアス皇子に砦の様子を告げる。
砦には篝火が焚かれており、中で蠢く多数の兵が見えた。
「百ならあの砦の収容人数一杯いっぱいか」
「んー、護送車も用意してるみたーい」
「やっぱり間違いないな」
セクメトが盗み聞きしたキルボへの報告と、ジョンから取り出した記憶の断片。そして砦の様子からセドリックは結論を出した。
「王国は『誰か』を追っていた。そしてソイツを捕まえた。だから、キルボは俺たち部外者を外に追い出した。
警備の配置から、砦の兵士は外からの侵入より、外への逃亡を警戒している。この辺りは地理的重要性もないし、王国の勢力圏内だ。帝国軍が後ろに引いていることからもあの人員数は過剰。ジョンの記憶とキルボへの報告から『ソイツ』は一人。『一匹』でも、『一個』でもなく『一人』だ」
セドリックは一つ一つを確認するように今までに得た情報をゆっくりと並べていく。
「『ソイツ』は誰なんだ?」
「さてさて、それだ」
「詳しい情報がいりますね」
トリスが立ち上がる。
「トリス?」
セドリックが不思議そうに見上げてきたが、トリスは何も答えず、代わりに呪詞を紡ぎだす。
両の掌を上に向けて、差し出す。その掌の上に半透明の模様が立体像となって現れた。セドリックたちには詳しいことは分からないが、目玉を意匠化したものだ。
その目玉の立体像がゆっくりと上空に上っていく。
上空まで目玉が上がると、今度は自分の前方に同じく半透明の鏡のような像を創りだした。
そこでようやく、トリスはセドリックの方に向き直る。
「これは偵察用魔術です。空に上げたあの目で見たものを、この鏡に映し出すことができます」
トリスが言った通り、鏡に淡い光が宿って、やがて砦を上空から映し出す。
「へー便利な魔術だなぁ」
セドリックが興味深げに鏡の像を覗きこんでいた。
「ホントだよ。そんな便利な魔法があるなら最初っから使えっつーの」
ガヴリエルが樹上から飛び降りてきた。結構な高さからだったが、物音一つ立っていない。
「まだ、試作段階なんですよ。だから魔力効率も悪っくって。それに向こうからも光源を発する『目』は見えてますからね。だから夜だと逆に、あんまり近くによるとバレちゃいますし」
「トリス、護送馬車を映せる?」
「はい、ちょっと待って下さい。拡大しますから」
トリスは手を振るい、短い呪詞を何度か口にする。その度に鏡に映る映像が大きくなったり、小さくなったりを繰り返していた。何度か繰り返した後、ちょうどいい具合に護送車の全体像を映しだした。
「重量的には軽いし、少人数、単数用。要人用ではなく、囚人用だな。馬車の荷台に鉄製の箱を取り付けたような造りだ」
キャップがセドリックではなく、トルーキンの方に顔を向ける。
「そうじゃな。だが魔力遮断素材も使ってあるし、物理的な強度も相当ありそうじゃ。正直言って人間を運ぶようなもんじゃないぞ」
「錠は?」
「魔法錠じゃから、儂等の領分じゃないのう」
「トリス?」
「はい? この錠ですか。ええっと、決まった呪詞と鍵を使って開ける魔導錠ですね」
「開けられたりするわけ?」
「……多分。でも合言葉と鍵なしだと、相当時間がかかりますよ。最低でも半時(1時間)は」
砦に進入するとか言い出しそうなので、先に釘を刺しておく。
「それにしても厳重だよねぇ。魔獣か悪魔でも運ぶつもりかなぁ?」
ガヴリエルも鏡を覗きこんだ。全員が鏡を見ているが、盲目のセクメトだけが砦のある方を向いている。
「しかし、そのような魔力は感じないがね。私がキルボと話をしていた時にもそんな気配はなかった。彼らの話ではすでにその時『ヤツ』を捕らえて砦まで連れてきていた筈なんだが」
「司祭が言うならそうなんだろうな」
キャップがため息を漏らす。
「ということは、普通の人間にも関わらず、悪魔みたいな力を持っているってことだ。だからキルボがワザワザこんなところまで来ていた」
「だからってどういう意味ですか?」
トリスが『望遠』の魔術を操作しながらセドリックの方に首だけを向ける。
「普通、どんなに逃亡犯が重要人物でも、軍の高官が追跡捕獲に出張ってはこないよ。いても邪魔だしね。あるとすれば、現場で超法規的措置手続きをとる必要があるとか、後は……」
「後は?」
「それが国家の高度軍事機密に関わることで、扱えるものが高官にしかいないとかね。例えば帝国軍の軍勢一万を完膚なきまでに叩き潰せるほどの火力を持った兵器とか? あ、トリスもういいよ。ありがとう」
セドリックは鏡の前から離れると、一同が見渡せる場所まで下がった。
「さて、諸君。そうとなれば我々のなすことはひとつだ」
セドリックの冗談めかした言い方に、トリスは不安しか感じなかった。いや、確信を持ってこの皇子はろくでもないことをしようとしていると断言できる。
「なに、考えているんですか。セドリック……」
聞こうが聞こまいが、どちらにしろ面倒なことになるに違いない。が、どちらが精神衛生上負担が少ないのであろうか……。
太陽神教団神殿騎士団、十二聖印騎士。
セドリック達はキルボのことを『少なくとも騎士隊長以上』と見ていたが、それは間違っていはいないが、正しい認識でもない。
キルボは聖印騎士。十二人いる幹部の一人。
太陽神教団神殿騎士団で聖印騎士以上の役職は、総長を除けば最高位である。
その現総長も聖印騎士の一人だ。
太陽神は公正と裁決を司る神である。
その教義を守るには後ろ盾が必要であり、その後ろ盾になるものは武力である。武力があるからこそ公正と裁決を実現できるのだ。皮肉なことに権天事件によって彼らはそのことを逆に証明した。
まさにその武力である神殿騎士団は、教団内部でも大きな力を持つ。彼らを御することができる者は制度上、教皇だけ。しかも王国建国以後は、内乱による敗走があったにも関わらず、教皇さえも彼らに担がれた神輿でしかなかった。
つまり、キルボは教団の支配者の一人ということになる。
「……どうやって逃げたのか、どうやってフリエアを殺せたのか。さて……」
ギルボは牢屋に置かれた椅子に縛り付けられた人物の前に立っていた。
口枷が噛まされ、顔と体には黒革の拘束具で椅子に縛り付けられている。それらは物理的に拘束できるだけでなく、魔力の発動を完全に抑えこむ役割もあった。古くから悪魔憑きなどを拘束するためのものである。
「まあ、詳しいことは戻ってじっくり聞かせてもらおう」
反応できない状態にあるその人物に語りかけながら、キルボは側にいた神殿騎士に目をやった。
「キルボ様、護送車及び出発の準備は整っていますが、あの娘の方はいかがいたしましょうか?」
部下の言葉にキルボは小さく首を横に振った。
「いや、コイツがどうやって逃げたかわからん。『白羊』はコイツと違って完全な戦闘用の天恵だからな。万が一コイツの様に制御できなくなれば我々ではどうにもならん。一応今回はコイツの捕獲のために連れてきたが、使わんならそれにこしたことはない。それより、すぐに出立するぞ」
ギルボの言葉に部下たちが椅子の人物を台車に載せる。
キルボは先頭に立って牢を出た。このまま護送車に詰め込み、王国騎士団が駐屯している砦まで戻る気だった。これから出れば、夜道を進むことになる。しかし、今この砦で事情を知っている者は百名を超す王国兵の中で、キルボとその直属の部下である数名のみ。しかもこの『荷』の重要性を考えれば、少々の危険を犯してでも少しでも早く本隊に合流したかった。
護送は八十名近い人数で行う。松明も十分持たせての行軍である。おそらく野獣やゴブリンやオーガと言った程度の魔物ならそうそう襲ってはこないだろう。帝国軍主力はここからずいぶん離れた場所にいることは掴んでいる。ここから本軍の駐留している砦までの間に帝国の部隊と遭遇することもあるまい。
問題は大型の魔獣だが、いざとなれば『白羊』を使えばいい。さすがに古代竜でも出てきたら打つ手はないが、それなら雑兵を餌にすればいいだけだ。
護送車の錠をかけた部下が戻ってくる。
「出発だ!」
キルボの号令で、砦の門が開き、護送隊の列が動き出す。
キルボは護送車を出て行くのを見守ると、その後方から連なって砦を出た。
キルボの後ろからは護送車とはまったく作りの違う二頭立ての箱馬車がその後に続いた。