05 豹変
セドリックたちは牢屋から出されると、セクメトと合流し、そのまま追い出されるようにして砦の外にでた。
「ずいぶん、慌ただしい出発でしたけど何かあったんですか?」
砦を出て二時間ほど経った。橙色の陽が濃くなって、そろそろ日が落ちかけている。
砦に来た時と同様に、セドリックとセクメトが兵士達と共に進み、他の四人は十歩ほど先を歩いている。セドリックの剣は同じように先に行くキャップに預けてあり、丸腰の状態だが、手は縛られていないだけ来た時よりましだろう。
ついでに言えば、付き添いの兵士も同じくジョン達斥候班五人だった。関所役人への口添えだけであればこんな人数は必要ない。つまりこの五人は関所または王国軍の駐屯地までの道中、セクメト達が良からぬことをしないようにという監視役だろう。
「いいんですか? 斥候班の方に護衛なんかしてもらっちゃって。お仕事の方をほっぽっておいて」
「黙って歩け」
セドリックの軽口に慣れたのか、ジョンはセドリックの背中を小突いて歩かせるだけだった。
「そう言えば、司祭様」
ジョンが相手してくれないので、セドリックは隣を歩くセクメトに話を振った。
「『勇者』は見つかりました?」
その言葉にセクメトが頷く。その声が聞こえていた彼以外のセドリック一行は何の反応も示さなかった。トリスの場合は隠語だと思わなかっただけだが、他の面々は違う。
「キルボ殿と言ったかな。あの神殿騎士も素晴らしい素質があるが、『他にも』いるようだよ」
「それは素晴らしい。ところで大山脈は帝国兵だけじゃなく、魔物の巣窟らしいですけど、このあたりは『安全』なんですかね? 俺丸腰なんですけど?」
「ふむ、周りに『魔物』の気配はないね」
セクメトが世間話でもするように答えている。周りの兵士たちは我関せずと黙々と歩いている。やはりセドリックのお喋りの相手をする気はないようだ。
「それじゃあ、そろそろ『ここら』で野営地を探した方がいいですね」
「セドリックぅ! 『誰も』いないよー」
先を行くガヴリエルがこちらを振り返って大声で答えた。
「おお、さすがエルフ。いい耳してますねぇ」
「エルフの耳は良い耳だー!」
ガヴリエルが右手を突き上げて雄叫びを上げている。
だが、兵士たちは振り返ったガヴリエルのすぐ後ろに、トールキンとキャップが影になるように立っていたことには気にもとめなかった。
「……エルフのお目々は良いお目々」
その後ガヴリエルが呟いた言葉は兵士に届いていなかったし、その瞳が細められ、残忍な色を宿していたことにも人の視力ではわからなかった。
「おや?」
セドリックが立ち止まって足元を体を折って覗き込んだ。だが、そこには何もない。ただ背後にいるジョンの影が伸びているだけだ。
「おい、立ち止まるな! さっさと歩け」
ダラダラとした歩みに苛立ったのか、ジョンがまたセドリックの背中を突き飛ばすように手を伸ばしてきた。
が、ジョンの伸ばした手は空を切る。その勢いで体制が崩れる。
そこからはジョンが不審に思う間もないほどの早業だった。
伸ばされた腕の脇を回転するように、セドリックがジョンの懐に飛び込む。そしてその腕を掴むと逆の肘を顔面に叩き込んだ。ジョンの鼻がめり込み潰れ血が吹き出す。遠心力と体重をかけた一撃にジョンの体から一気に力が失われた。
セドリックはジョンが崩れ落ちる前にその腰に下げられている剣を抜き取る。そのまま右隣にいた弓兵に踏み出していた。
後方の不穏な物音に思わず、二人の槍兵が振り返ったが、彼らも何もできなかった。
ガヴリエルが突き上げていた手に矢が二本を、逆の手には短弓を。
それぞれキャップとトールキンによって渡される。
そのまま一切の澱みなく弓に二本の矢がつがえられ、躊躇なく放たれた。
二本同時に放たれた弓矢は、空気という波を乗りこなすように飛びかかり、
「ガフっ!」
槍兵二人の喉を正確に貫いた。彼らは悲鳴を上げることはできず、ゴボゴボと血を漏らすのみ。
「貴様!」
右隣の弓兵は辛うじて戦闘状態になったことに気がついた。
そして目の前に迫ったセドリックに弓ではなく、ショートソードで対抗しようと腰に手を伸ばした。しかし反応できたのはそこまでだった。
セドリックがジョンから奪った長剣が振るわれる。
それは弓兵の喉を風が吹いたように撫でた。その時点で弓兵の体から力が奪われた。
鋭すぎる一閃に、しばらく弓兵の喉の皮膚はパックリと開いたままで、鮮やかな切り口を見せていた。やがて盛大に血を吹き出した。
弓兵は自身の体に起こったことが理解できなかった。自分の喉を何度か掻きむしり、目玉をぐるりと回して崩れ落ちた。
残りの一人、ジョンの左隣にいた弓兵の命はもっと早くに奪われていた。
セクメトのメイスを受けた弓兵の頭部は誰だったかも判別できないほど潰れている。間違いなく即死だったろう。
「まだ、生きてる?」
セドリックが顔面に肘を叩き込んだジョンを覗きこんだ。
ジョンは鼻と口を潰されたのか呼吸する度に血の泡を沸かせながら荒い息を繰り返している。
「うん、生きているなら大丈夫」
セドリックがジョンの様子を見て頷く。
「トリスー! 出番だ」
後ろを振り返り、赤毛の女魔術師を呼ぶ。
「よし、死体を片付けるぞ」
キャップが声をかけると、ガヴリエルとトールキンが走りだした。
トリスはその後をフラフラと歩いて続く。
旅の疲れが原因ではない。
突然姿を現したの命を刈り取る場面に、顔面が蒼白になっていた。
だが、トリスがセドリックの元に辿り着いた時には、キャップとトールキンの手によって死体は両脇の森の中に放り込まれていた。そのおかげで凄惨な場面を見ずにすんだ。ガヴリエルは街道に残った血の跡を消して回っている。
「トリス、ジョンさんから記憶を引き出して欲しいんだけど」
顔面蒼白なトリスにセドリックは、一切気遣う言葉を口にはしなかった。
「……『記憶強奪』ですか? できますけど、この場でやるなら大したことは引き出せないかもしれませんよ。あとこの状態で術をかけるとおそらく……死にますけど」
喉まで駆け上がってきそうな嘔吐感を無理やり抑えこむようにトリスは背筋を伸ばして答える。
「あ、そう? いいんじゃない。もう用はないし、大したことも知らないだろうな。一応手がかりがないか調べるだけだから」
ジョンから奪った剣の方を茂みの中に放り込むと、セドリックはキャップから自分の剣を受け取った。
「分かりました。急いで準備します」
ここは戦場なんだ。
宮廷魔術師は、その言葉を何度も心のなかで唱えていた。